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青い海、青い空、白い雲…… 赤い砂浜  作者: 風風風虱
第二章 我らその川を越えて行かん
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その後のガダルカナル攻略戦

 8月21日の一木支隊の攻撃は800人以上の死傷者を出して失敗しますが、それでガダルカナル攻略戦が終わったわけではありません。それからまだ半年近く続きます。簡単にその経緯を記してこの物語を終わらせようと思います。

 最初に22日にガダルカナルに上陸する予定だった一木支隊第二梯団がどうなったのでしょうか?

 結論としては上陸しなかった。いや、出来なかったのです。

 21日の第一梯団の攻撃失敗で第二梯団の当初の上陸計画はキャンセルになります。

 ずるずると日延となり、最終的には8月25日に再度上陸を目指しました。しかし、この輸送はアメリカ軍の空爆を受け、大半の戦力を失う結果になりました。

 そして、最終的には28日頃に駆逐艦による輸送(第一梯団と同じ輸送方法!)で僅か300人が上陸できただけでした。

 この頃になるとガダルカナル攻略の主戦力は川口(かわぐち)清健(きよたけ)少将率いる川口支隊になっていました。

 川口支隊は8月31日に一木隊と同じタイボ岬へ上陸します。(これも駆逐艦でのネズミ輸送)

 川口少将は一木隊の教訓からイル川(中川)の防衛線を迂回。ルンガ飛行場の南に広がる密林を抜けて夜襲を仕掛けます。

 総兵力およそ3000人。

 9月13日の事です。

 しかし、この攻撃もアメリカ軍の激しい砲撃と防衛線に阻まれ失敗。川口支隊は兵力の半分を失い、撤退します。

 次に第十七軍は第二師団を基幹にし持てる戦力をガダルカナルに投入します。

 その数およそ二万人。

 しかし、この時、既にソロモン海域の制海権はアメリカ軍のものであった為、輸送船での人員、装備の輸送は困難でした。

 仕方無しに二万という兵員を駆逐艦を使って輸送しました。やっていることは一木支隊の第一梯団と同じです。違うのはその規模だけでした。いや、もっと悪いかもしれません。

 駆逐艦で人員ばかりをどんどん送りましたが、それら人員を養うのに見合う食糧を送らなかったのです。敵の抵抗が激しく送れなかったというべきかもしれません。しかし、どちらにしても結果は同じです。ガダルカナルに送られた将兵はたちまち餓えました。

 餓島の出来上がりです。

 もう、戦いをさせるために送ったのか餓えさせるために送ったのか分からない状態でした。

 それでもガダルカナルへ送られた将兵は歯を食いしばり、粘り強く戦闘準備を整え、10月24日に総攻撃をかけます。

 またも夜戦です。

 これは夜戦がやりたくてやったというより大砲を輸送できなかったため、火力不足を夜戦で補おうとしたのです。

 勝てる方法で戦った、というよりはそれしかできないからやってみた。そんな戦いです。しかも、南の密林から攻め上がる作戦でした。

 これも規模こそ大きくなってはいるものの、1ヶ月前に川口支隊が実施して失敗した作戦の繰り返しでした。

 密林に阻まれ一部の部隊が攻撃位置に間に合わなかったり、攻撃箇所を巡って司令部と現場指揮官の意見が対立して、戦闘開始直前に現場指揮官が解任される(解任されるのは先に登場した川口少将)など作戦の端々で大混乱していました。

 正直、勝てる要因がほとんどない戦いです。当然のように第二回目の攻撃も失敗に終わります。

 それでも諦めずに、第十七軍は兵力を投入(第三十八師団)します。この新たな戦力で11月18日、三回目の攻撃を実施します。

 この攻撃も失敗します。

 更に日本軍はさらに一個師団を投入しますが、この頃にはアメリカ軍は七個師団に増強されていました。すでに一個、二個師団を投入してなんとかなるレベルではなかったのです。

 攻撃をすれば猛烈な火力で蹂躙される。じっとしていても食べるものがなくどんどん餓死や病気で死んでいく。そんな過酷な状態に撤退命令が出るまで、数万人(一説には四万から五万人)の人間が放置されるのです。大本営ですらもう、どうにもならないと思いつつもガダルカナル撤退が決まったのはさらに一月後の12月31日でした。そこからガダルカナルに残っていた一万人近くの将兵の撤退が完了するのが翌年の2月5日でした。

 これをもってようやくガダルカナル攻略戦は終結するのでした。


 




 



 

2019/08/23 初稿


 ガダルカナル攻略戦はミッドウェー開戦とならび日本の太平洋戦争における日本軍の大敗の事例として取り上げら戦いです。

 いわく、敵の戦力を確認せずに、無謀な突撃を繰り返した。

 いわく、戦力の逐次投入を行った。

 いわく、自分の補給力の限界を越えたところでまで戦線を無自覚に拡大した。

 特に敵の戦力も把握せずに無謀な攻撃を仕掛けて全滅してしまった戦いとしてガダルカナル緒戦の一木隊のイル川渡河戦が例としてあげられることが多いです。

 一木大佐は、盧溝橋事件当時、牟田口廉也連隊長の指揮下で中国軍陣地への発砲命令を受けた際に「本当に発砲しろという命令ですね」と念押しで確認したエピソードを持っています。

 そこから想像される人物像は『慎重』かつ『冷静』です。果たしてそんな人物が一般に言われているような無謀な突撃を繰り返して全滅してしまうことに違和感がありました。

 そう思い調べていると関口先生の本に出会いました。関口先生も自分と同じことを疑問に思い一木支隊について丹念に調べられていました。この物語を書く上で大いに参考にさせていただきました。

 世の文献には一木支隊(その後に続く川口支隊、第二師団も)は無謀な銃剣突撃を繰り返して損害を重ねた云々との記述が多く見られます。確かにそれは事実なのですが、彼らは、無謀に繰り返していたのではなく、それしか与えられてなかったのです。

 ガダルカナルで繰り返された悲劇の本質は断絶だと思います。

 コミュニケーション不足、とか話せば分かる、というそんな生易しいものではありません。住んでいる世界が違う人々の間にある理解を阻む大きく深い溝、すなわち断絶です。

 たとえるなら、鳥が魚に空の自由さを説明したり、魚が鳥に海の美しさを語るようなものでどんなに言葉を尽くしても熱を込めても伝わらない、途方もない断絶がありました。

 大本営と第十七軍司令部、第十七軍司令部と一木支隊や川口支隊との間に、確かにあったのです。

 そして、この絶望的な断絶は過去の話ではなく、今を生きる私たちの中にも普通に存在していると思います。

 本社のノルマを達成するために不正をしてしまう支社の営業マン。物理的にこなせない量の検査を押し付けられ、不正と知りながら合格にしてしまったり、無資格者に検査をさせてしまう現場。無くならないサービス残業。

 理想と現場への無理解しかない上層部と伝えても理解してもらえない現場。その図式は日本のいたるところに転がっています。

 ガダルカナルの戦いは、遠い昔の話ではなく、今、私たちの目の前にある問題にも思えます。

 目の前の川を渡る前に、私たちは一木大佐から学ぶべきなのでしょう。

 どうあるべきだったのか? どうすれば良かったのか。

 命のあるうちに、正解にたどり着けること、間に合うことを切に願います。




《参考文献》

●書籍

『誰が一木支隊を全滅させたか』(関口高史著@芙蓉書房出版)

『ガダルカナル決戦記』(越智春海著@光人社)

『巡洋艦入門』(佐藤和正著@光人社)

『陸軍良識派の研究』(保坂正康著@潮書房光人社)

『日本陸軍装備大図鑑』(Agustin・Saiz著/村上和久訳@原書房)

『世界の戦車メカニカル大図鑑』(上田信著@大日本絵画)


●Web

《郷土をさぐる 23号 戦後六十年 アメリカで発見された兄の日記》

《ガダルカナル・日米死闘の島》

《四一式75mm山砲》

《ガダルカナルを巡る攻防》

《一木清直》

《陽炎型駆逐艦》

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