第九十三話 えっ? そっち?
シーズとクレイリーファラーズは不気味な笑みを交わし合っている。と、そのとき、クレイリーファラーズから小さな声が上がった。
「うあっ」
見ると、シーズの手がクレイリーファラーズの胸を鷲掴みにしていた。かなり強く掴んでいるようで、彼女は苦悶の表情を浮かべる。その様子にシーズはフッと目じりを下げた。
「いいね。いい表情だ。だが……」
彼は全く躊躇せずに、服の上からクレイリーファラーズの胸をまさぐっている。彼女も声を上げたいのだろうが、歯を食いしばりながら首をブンブンと振っている。
「あ……あの……ちょっと……」
俺の言葉にシーズは我に返ったかのような表情を浮かべている。そして、クレイリーファラーズから手をどけて、コホンと咳ばらいをしながら、ゆっくりと俺に向き直った。
「いや、この奴隷が攻め、だというものだから、つい興味がわいてね」
「どういうことです?」
「どうもこうも、この奴隷は攻めなのだろう? 肉便器なのだろう? とすれば、どんな調教を施しているかと思ったのだけれど……それらしき様子はなかったのだけれど? 体に縄を打っているわけでもない、ましてや、乳に針を討って串刺しにしているわけでもなさそうだ。お前は一体、どんな攻め方をしているのだ?」
「もしもし? 何を言っているのですか?」
俺の言葉に彼はキョトンとした表情を浮かべている。その後ろでクレイリーファラーズはずっと俯いたままで、その表情を伺い知ることはできない。そのとき、シーズがしまった! というような表情を浮かべた。
「そうか! 僕としたことが! 調教前だったのか! すまない、お前が手をつける前に僕が手をつけてしまったね。これは僕の失態だ。すまない、本当にすまない」
マジで申し訳なさそうな表情を浮かべながら謝っている。その様子に俺はドン引きしてしまっている。そんな中、シーズは再び踵を返して、クレイリーファラーズの許に近づく。その足音に気が付いた彼女はガバッと顔を上げると、見る間にその表情に恐怖の色を浮かべた。そんな彼女の表情をシーズは、片膝をついて至近距離まで顔を近づけて、まじまじと凝視する。
「……いいね。なかなか愛嬌があっていい顔をしている」
そう言うと彼はスッと立ち上がり、再び俺に向き直って、言葉を続ける。
「もし、この奴隷に飽きたら、譲ってもらえないかな。僕の色に染めてみたいんだ」
言っている内容は物騒そのものだが、彼の表情は実に無邪気な笑顔を浮かべている。こんな表情を見るのは初めてだ。俺は戸惑いながらも、必死で言葉を返そうとする。
「い、いや……彼女は今のところ……」
「だろうね」
俺の言葉を遮るかのようにシーズが言葉をかぶせてくる。
「これから自分の色に染めようとしているところだ。いけないいけない。こうしたことはどうしても自分の欲望が先立ってしまうね。すまない、許しておくれ」
俺は必死で笑顔を作ろうとするが、どうしてもいびつな笑顔になってしまう。何となく、自分でもわかるほどなので、実際はかなり引きつった笑みになっているのだろう。そんな俺から目を逸らすことなく、シーズは言葉を続ける。
「さて、戯れは終わりにしよう。ノスヤ、先程僕がお願いした件については、くれぐれもよろしく頼むよ。僕はこれから立ち返って、避難する者の選別にあたる。五日後にまた会おう」
そう言い残して彼は、不気味な笑顔と共に屋敷を出ていった。
「ううう……ヒック、ヒック、ヒック……」
シーズが出ていくのを待っていたかのように、クレイリーファラーズの嗚咽が聞こえてきた。俺はハウオウルと顔を見合わせながら彼女の許に近づく。それに釣られるかのようにして、レークとワオンも彼女に近づいて来た。
「一度ならずも二度までも……。私の胸を蹂躙して……。私を何だと思って……あの男には……人としての心が……」
泣きながら、悔しさを滲ませながら彼女は言葉を吐き出すようにして呟く。皆、何と言葉をかけていいのかわからない様子だ。
「何で攻め、なんて言ったのです?」
俺の言葉に彼女はすぐに顔を上げ、キッとした目で俺を睨みつける。
「どっちって聞いていたでしょう!? どっち、と聞くということは、攻めか受けしかないでしょう? 私は攻め派ですから! 誰が何と言おうと攻めなのです! 受けだけでいいという人が多いですが、攻めあっての受けなのです! 攻めです! 断然私は攻めですから!」
「ちょっとアンタ、何を言っているだ?」
彼女の言う意味が全く理解できない。俺が理解できないのだから、他の者が理解できるわけはない。事実、ハウオウル以下、他の誰もがポカンとした表情を浮かべている。
「許さない……今まで誰も触れさせてこなかった私の胸を……触るだけじゃなく、揉みしだいて……きっとあの男は、これからずっと、私の胸の感触を思い出しては、ニヤニヤと下卑た笑い顔を浮かべて、スケベな妄想にふけるんだわ……許せない……許せない……」
「……そこまでしますかね?」
「するに決まっています。男は野獣です。女の胸に触れておくだけ、などという男はいるものですか……」
「シーズの興味はそこじゃない気が……」
「黙れこの野郎!!」
クレイリーファラーズが絶叫にも似た叫び声を上げる。あまりのキンキン声に、俺たちは再び固まる。
「許さない、絶対に許さない……。復讐してやるわ。絶対に復讐してやる……」
そう言うと彼女は再び俯き、鼻をズルズルと鳴らしながら、しゃくり上げるようにして泣き声を上げた……。
「あの男……」
「え? 何です?」
突然彼女の呟きが聞こえたので、俺は思わず声をかける。クレイリーファラーズは背中を震わせながら、絞り出すようにして、再び呟いた。
「女性の趣味は、とってもいいわぁ……」
俺は無言で彼女の頭を叩く。屋敷の中に、とてもいい音が響き渡った。




