第六十五話 怒りのボルテージ
店主は俺を睨んでいたが、やがて肩に担いでいたクレイリーファラーズを床に下した。彼女は寝そべったままピクリとも動かない。俺は店主と彼女を交互に見比べるようにして視線を動かす。
「ベイガ……お前、その娘さんをどうした!?」
眉間に皺を寄せながらティーエンが立ち上げる。その瞬間、店主がドスの効いた声で口を開いた。
「うるせぇ、ティーエン。お前には関係ねぇ話だ。黙っていろ」
「黙っていられるわけはないだろう。夜にいきなり領主様の家に訪ねてくる。しかも、領主様の身内の方を担いで来るというのは、一体どういうつもりだ? まさか、お前たち、寄ってたかってそのお嬢さんを……」
「言葉を慎めよ、ティーエン。子供の前じゃねぇか」
フンと店主は鼻で笑いながら、その目をレークに向けた。彼女は怯えの色を見せながら固まっている。彼はニヤリと笑みを浮かべながら再び視線を俺に戻し、クイッと顎をしゃくった。
「ウチの店で酔いつぶれやがってな。起こしても起きやしねぇから、わざわざ運んできてやったのさ」
俺は無言で立ち上がり、床に倒れているクレイリーファラーズに近づく。……酒臭い。一体どれほど飲んだのか。姿が見えないと思っていたら、まさか酒を飲んでいたのか? 出ていったのが朝だから……丸一日飲んでいやがったのか? 何ちゅう天巫女だ。
「クレイリーファラーズさん? ちょっと。ちょっと!」
何回か頬を打ってみるが、全く反応はない。あの店の酒は密造酒だ。正確に言うと、酒を飲んだ感覚が味わえる液体で、酒ではないと聞いた。なぜ、そんな怪しくて危険なものに手を出したのか。オヤツ抜きがそこまで彼女を追いこんだのか……。そんな思いが胸に去来するが、改めて彼女の顔を見たところ、ちょっと赤みが差しているが、顔色自体は悪くない。呼吸も安定している。小さいがイビキもかいている。これはおそらく大丈夫だろうと判断する。だが、さすがに、いつまでのこんな床の上で寝かせておくことはできない。
「よい……っしょっと!」
クレイリーファラーズを抱きかかえる。重い。想像していたよりもはるかに重い。俺は必死で歯を食いしばる。幸いベイガたちに背中を向けていたので、彼らに表情を見られることはないのだが、このままでは間違いなく落としそうだ。いや、落としても構わないかも?
「ノスヤ様、私が……」
俺の様子を見たティーエンがクレイリーファラーズを抱き取ってくれた。かなり重いのだが、彼はそれをものともせずに、彼女を俺の寝室に連れて行った。その直後、俺の背後でベイガの声がした。
「今日は取引に来た。すまねぇが領主様、人払いをしてくれねぇか?」
彼は不敵な笑みを浮かべながら話しかけてくる。人払い? 三対一で話し合おうというのか? 絶対にイヤだ。確実にアカン臭いがする。
「ティーエンさんやヴィヴィトさんたちがいるといけませんか? 申し訳ありませんが、人目を避けてコソコソと何かをするのは、俺は嫌いです。お話があるのでしたら、今、伺います。どうしました? やましいことがなければ、この場で話せますよね?」
「うるせえ!」
店主の声でビクっとなる。まずい、ビビっていると思われてしまっただろうか? 俺がビビっていることが相手に悟られると、さらに調子に乗ることになる。俺は、心臓がものすごい速さで鼓動を刻み、足が小刻みに震えているが、それを必死で隠しながら努めて平静を装う。そんな俺の内面を知ってか知らずか、彼は口元にニヤリと笑みを湛えながら口を開く。
「村長から貰うはずだったジャガイモを、分けてもらいてぇんだ。元々はヤツから貰えるものだったんだ。領主様、アンタは村人たちが村長に借りていた金を立て替えたよな? 俺にもその慈悲を……願いてぇんだ」
「ジャガイモを……どうするつもりです?」
「決まっているだろう、それで酒を造るんだ」
「ベイガ、いい加減にしろ」
ティーエンが低い声で口を開いている。だが彼はそれには全く目もくれずに、俺を睨んだまま言葉を続ける。
「俺に酒を造らせな。そうすりゃ、放っておいたって俺の店は繁盛するんだ。俺の店が儲かれば、アンタの懐も潤うってわけだ。これまでは村長と取引していたが、ヤツが消えた今、俺はアンタと取引することに決めた。まあ、そういうことだ」
彼はフフフと不敵な笑みを浮かべている。だが、俺はゆっくりと首を横に振った。
「興味がありませんね」
「何だと?」
「別に俺は金を儲けて贅沢をしたいとは思いません。むろん、俺の地位を上げようなんて思いもこれっぽっちもありません」
ベイガの目がピクピクと動いている。怒りの沸点が近そうだ。だが、俺の隣にはティーエンが腕組みをしながらヤツらを睨んでいる。それだけで何となく安心感がある。俺も本気を出せば勝てると思うのだが、何せ本気で人と戦ったことがないので、自分の実力が分からない。意外とポンコツだったというのも困るが、ここで火魔法をぶっ放せば、まだ完ぺきに威力をコントロールしきれない部分もあって、何かとんでもないことになりそうな気がするのだ。
そんなことを考えながら、俺は言葉を続ける。
「それよりも俺は、美味しいお酒に興味があります。ジャガイモを使ったお酒は、丁寧に作るととても美味しい物になると聞いています。あなたの造るお酒は、丁寧に……丁寧に丁寧を重ねて、どこよりも美味しいお酒を造っていると、自信を持って言えますか?」
「……」
ベイガがゆっくりと、小刻みに頷いている。俺は美味い酒を造る気があるのならば、相談に乗りましょう……そう言いかけたとき、不意にベイガが口を開いた。
「ハッ、話にならねぇな。それじゃいい。だが、村長から払われるはずだったものは払ってもらうぜ。……そこにいるレークだ。そいつを貰って帰るぜ」
そう言って彼はニヤリと笑う。その言い方と表情が癪に障る。俺の怒りのボルテージが、一気に上がった……。




