第六十話 救出
レークの耳に、耳慣れない音が聞こえてきた。まるで、ぬかるんだ地面を抉るような音で、彼女は思わず体を強張らせながら、ガックリとうなだれる。
「ああ……私……死ぬんだ……」
幼い頃、近所に住んでいたお婆さんから聞いたことがある。死ぬときは天から、それはそれは美しい女性が迎えに来て、神様の許に連れて行ってくれると。レークはせめてきれいなお姉さんが迎えに来てくれますように、死神のような恐ろしい人ではありませんように……と、頭の中で繰り返し祈るのだった。
「あっ! いた! いました! いましたよ!」
女性の声に思わず彼女は顔を上げる。だが、あまりのまぶしさに顔をそむける。
「あ、ごめんなさい、ちょっと光が強すぎましたね」
再び女性の声が聞こえてきた。その直後から徐々にまぶしさが収まっていく。レークはゆっくりと目を開けて声の主を確かめようとする。おぼろげだが、金色の髪と白い服を着た女性のようだ。きっと、天からのお迎えに違いない。
「ああ……迎えに来てくれたのですね……きれいなお姉さん……」
そう言って彼女は、再び目を閉じた。
逆光の中、クレイリーファラーズが目をカッと見開いて俺を睨みつけている。この子、わかってますやん! と言いたげな表情だ。てゆうか、その前にライトが近すぎるだろう。「ネタは上がってんだよ!」とでも言えば、完全に刑事ドラマの取調室そのものだ。
俺はレークの顔のすぐ前に出ているライトをどけながら、彼女の様子を観察する。膝を抱えながら小刻みに震えている。着ている服は汚れ、ぐっしょりと濡れている。さぞ寒かったことだろう。
「おい、レークか? 大丈夫か?」
俺の声に彼女はゆっくりと顔を上げる。
「うっ……顔が腫れ上がっているじゃないか……」
彼女の左頬に青黒い痣があり、そこが腫れ上がっていたのだ。俺はヴィーニからタオルを取り出して、その顔に当てる。
「くっ……あなたは……」
レークの目が再び開かれる。俺は彼女に向かって声をかける。
「助けに来た。もう大丈夫だぞ!」
ぼんやりと俺に向けられていた彼女の目が、徐々に大きく開かれていく。そして彼女は飛びのくようにして俺たちから距離を取った。
「あなたは……領主様!?」
「ノスヤ・ユーティンだ。助けに来たよ」
彼女は予想しない展開だったのか、口をパクパクさせながら、俺とクレイリーファラーズを交互に見ている。まあ、確かに、この森の中に領主が迎えに来るとは思わんよね。
俺は戸惑う彼女をそのままに、ヴィーニから毛布とタオルを取り出す。そして、タオルを彼女の目の前に差し出す。
「まずは体を拭きな」
「そ……そんな……」
「どうした?」
「私……汚れています……」
「気にしなくていい。あとで洗えばいいんだ」
「でも……」
彼女はフルフルと顔を振っている。俺はタオルを広げ、彼女の頭の上にフワリと投げた。
「うわっ!」
突然目の前が見えなくなったために、少しパニくっているレークに、俺は頭の上に手を置いてわしゃわしゃと動かす。そして、タオルを取り上げ、再びそれを広げて、今度はそれを肩にかける。
「まずは君の体を温めないと、本当に死んでしまう」
戸惑う彼女をゆっくりと立たせ、その上から毛布を掛けてやる。その瞬間、彼女は両手で毛布の裾を掴み、俺の手を止めた。
「私……濡れています。毛布が……汚れてしまいます」
「構わない。寒いだろう? さ」
「ううう……」
俺に促される形で、彼女は戸惑いながら毛布を体に纏う。その直後、その目から大粒の涙が零れ落ちた。
「あったかい……あったかいですぅぅぅ……あったかいですぅぅぅ」
俺は号泣する彼女を抱きかかえるようにして、ゆっくりと馬車まで連れて行った。
馬車が動き出してもしばらくの間、レークは泣き続けていた。俺はかける言葉が見つからず、ただ無言で彼女を見守り続けるしかなかった。
「にゅー」
俺の膝の上に座るワオンも、レークの号泣ぶりに戸惑っているようで、何度も俺と彼女を交互に視線を移していた。俺はワオンに向けて、ゆっくりと首を振る。俺の意図を察したのか、それからワオンは俺と共に、レークを見守っていた。
「森を……抜けたか?」
誰に言うともなく、思わずそんな言葉が口をついた。気が付けば雨はやみ、夜空には美しい満月が出ていたのだ。その月明かりにラッツ村の畑が美しく照らされている。
ふと見ると、レークもまた、馬車の窓から村の畑を眺めていた。だがその目は虚ろで、彼女はただ無言のまま、呆然とした様子で、流れゆくラッツ村の景色を眺めていた。
ほどなくして馬車は、俺の屋敷に着いた。レークは俺に促されるまま馬車を降り、ゆっくりと坂を上って屋敷の中に入った。
「体が冷えているだろう? 今、温かい飲み物を出そう。お腹も減っているだろう? ちょっと待ってな」
俺はお湯を沸かし、皿にタンラの実を数個出してやる。レークはそれを淡々と食べながら、ゆっくりとお湯をすすった。
「あったかい……」
「すぐに風呂を沸かすから、ゆっくりと入るといい。気にしなくていいからな? あ、服がないな……ちょっと大きいけれど、クレイリーファラーズの服を借りるか。しばらくはこの屋敷に居るといい……って、おい、レーク? レーク?」
気が付けば、彼女はガックリとうなだれて動かなくなっていた。そして、その体はゆっくりと床に倒れていった……。




