第三十六話 白い毛玉
「……何と、まさか、タンラの実がなるとは」
呆然とした表情を浮かべているのは、村長だ。彼は金色に輝くタンラの実を見ながらゆっくりと首を振っている。
無理もない。寒暖の差が激しいこの村で、タンラの実がなることなど想像もしていなかったのだろう。温暖な場所でしか生育しないタンラの実。幻の実が目の前にあるのだ。村長の頭の中は真っ白なのだ。だが彼は、一瞬にして意識を現実に戻し、いきなり口を開いた。
「まさか、火山の噴火があるのではありますまいな!」
俺は一瞬キョトンとなるが、隣にいるクレイリーファラーズは、眉毛をハの字にしながら首を振っている。あとで聞いてみると、この村から二日ほど馬で南に下ると、大きな湖があり、その真ん中に火山があるのだそうだ。そこは既に噴煙などは上がっていないそうなのだが、地下にはマグマが溜まっているのだろう、その山の周囲だけは常に温かいらしい。そこに、タンラの木が生えているのだという。
当然、人々はそこに幻の果実を取りに向かうのだが、何故か生きて帰るものはいないのだと言われている。村長曰く、おそらく高ランクの魔物、例えばドラゴンクラスの生き物がいてそこを縄張りにし、来る者を全て食らいつくしているらしい。ただ、彼の推測は少し無理がある。高ランクの魔物で人間を食いつくしているのであれば、なぜラーム鳥がタンラの種を持ち帰ることができているのかの説明がつかない。これは俺の推測だが、おそらくその山には、火山性ガスが噴出しているのではないか。そのために、人間が山に入れば、ガス中毒になって意識を失っている可能性が高い。ひきこもっていたときに、グー〇ルやウ〇キペデ〇アで調べたことがある。グー〇ル先生やウ〇キペデ〇ア師匠は、嘘をつかない……はずだ!
おそらくラーム鳥は、ガスの薄い場所から急降下して、ピンポイントでタンラの実をゲットしているのだろう。そんな気がするのだ。
そんなことを考えていると、村長は、「ご無礼」と言いながら、タンラの実を口に運んだ。そして、気持ちの悪いくらいに幸せそうな表情を浮かべたかと思うと、通常の顔に戻り、ゆっくりと口を開いた。
「……確かに、タンラの実に間違いはないでしょう。素晴らしいですね。まさしく神が与え給ぅた神木に違いありません」
その言葉を聞いてクレイリーファラーズがすかさず、口を挟む。
「ええ、その通りです。神木であるからこそ、少ないとはいえ、この寒暖の差が激しいこの村で、タンラの実がなったのです」
その言葉に村長はゆっくりと頷く。
「まさしく、言われた通りですね。おそらく、来年にはもっと実をつけてくれるでしょう。そのために、我らは全員であの木を守らねばなりません。明日以降は人をやりまして……」
「結構です。素人が手を出すと、枯れてしまう恐れがあります。私はタンラの木の生育を手伝ったことがあります。今後もあの木は我々で管理します。もし、何かあれば村長様に相談させていただきますので」
クレイリーファラーズの説明に、村長はグウの音も出ない。単なる大飯ぐらいのポンコツ天巫女だと思っていたが、ちょっと見直した。何だ、やればできる子じゃないか。
村長は今後のタンラの実のことについて話をしようとしたが、そこは敏腕秘書と化しているクレイリーファラーズが、ものの見事にブッた切った。今回はたまたま実がなったが、これから夏が来て冬を迎える。その間に木が枯れるかもしれない。タンラの実をどうするのかを話し合うのは、この木に毎年実がなるのを確認してからにしましょうと言い切ったのだ。どうした? マジで今日は冴えている。雪でも降るんじゃないだろうか。
そんなやり取りをして、村長を説得した俺たちは、屋敷へと戻る。だが、扉を開けた瞬間に、俺たちは衝撃の光景を目にしてしまった。……それは、ヴィギトさん夫婦が抱き合っていたのだ。
シワシワのおじいちゃんとおばあちゃんが、しっかりと抱き合っているのだ。それはそれで素敵なことなのだろうが、俺は失礼ながら正視に耐えられず、思わず目を逸らしてしまった。そんな俺を見つけるや、夫婦は安堵したような表情を浮かべた。
「ああ~ノスヤ様、お帰りなさいまし」
「……一体どうしたんですか? ずいぶんとその、仲がいいのですね」
「何をおっしゃいます! その……外の魔物は、もう、いなくなりましたか?」
「は?」
俺はクレイリーファラーズと顔を見合わせる。屋敷に帰ってくる道中では魔物には出会わなかった。というより、俺がこの屋敷に来てから、魔物らしい魔物にはほとんど会ったことがない。
「ご覧になりませんでしたか? あの……巨木の下に……」
「タンラの木にですか?」
俺は再びクレイリーファラーズと顔を見合わせる。目が合った瞬間、俺たちは勝手口から外に向かって飛び出していた。まさか、タンラの実の香りを嗅ぎつけた魔物が現れたのかもしれない。そんなことを思いながら、俺はタンラの木に視線を向ける。
「……毛玉?」
よく見ると、タンラの木のすぐ下に、ポメラニアンを一回り大きくしたような、真っ白い毛玉が見えたのだ。一体これは何だと思ってゆっくりと近づいてみるが、それは微動だにしない。だが、俺たちが至近距離まで近づくと、その白い毛玉は突然声を上げた。
「にゅー、ゆー、ンきゅっ」
聞いたことがない鳴き声だが、なかなか可愛らしさを感じる鳴き声だ。恐る恐るその毛玉を見てみると、それは驚愕の生き物だった。
何と、小さいが、それは確かにドラゴンだった。小さいドラゴンが、天に向かって口を開けていたのだった……。




