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第三百六話   急いで準備

「どうしたの? ニヤニヤしちゃって?」


ヴァッシュが怪訝な表情で眺めている。俺はゴシゴシと袖で顔を拭いて、彼女に視線を向ける。


「いや、何でもないよ」


「ふぅん?」


彼女は不思議そうな表情を浮かべながら小首をかしげた。その様子を可愛らしいなと思いながら、再び地図に視線を向ける。


「ご領主、何か、良い考えでも浮かばれたかの?」


「いいえ、先生。ただ……ちょっと確認したいことができました。明日、もう一度外に出て、見に行きたいと思います」


「おおそうか。せっかくじゃ、儂も同行するぞい。何か、面白そうなことが起こる気がするでの」


「いや、そんな大したことじゃありませんから」


「ホッホッホ」


「じゃあ、私も行くわ。ね、パルテック?」


ヴァッシュの声に、パルテックはゆっくりと頭を下げた。ワオンも、後ろ足で立ちながら両手を挙げている。彼女も一緒に行くようだ。


「あなたはどうするの?」


「どちらでも」


ヴァッシュがクレイリーファラーズに話しかける。彼女は、心ここにあらずといった様子で返答している。どちらでも、って何だよ。


だが、ヴァッシュはそんな彼女を相手にしなかった。明日出発するときに声をかけるから、行くのか行かないのかを決めてくれと言って、その場を離れた。何とも大人の対応だ。


どうやらクレイリーファラーズは、頭の中でシーアの姿態を想像している最中らしい。よほどあの兄が気に入ったようだ。


そんなことを話していると、いつの間にか夕暮れ時になっていた。そういえば小腹がすいたなと思っていると、ちょうど良いタイミングで扉がノックされ、メイド姿の女性が入室してきた。


彼女は、夕食は主であるシーアがおもてなしをする予定であり、準備ができ次第皆様をご案内いたしますと言って、その場を後にした。


パルテックが着替えの衣装を準備しましょうと言う。いや、別に舞踏会に呼ばれているわけではないので、その必要はないだろうと思ったが、ヴァッシュをはじめ、皆が着替えの準備に入ったのを見て、俺もそれに従うことにした。


ヴァッシュとパルテックは衣装の入ったカバンを抱えて目の前の部屋に向かって行った。そう言えば、部屋割りを決めていなかった。一体、どこに何があるのだろうか。一応、この部屋を確認しておくことにする。


この部屋は、シーズの屋敷で逗留した部屋に似てはいるが、離れなどはついていないらしい。広いホールを中心に、正面に一つ部屋がある。そして、左右にはそれぞれ二つの部屋があるようだ。俺は試しに右側の部屋の扉を開ける。


そこは寝室で、ベッドが二つ並べられていた。その隣の部屋は、バスルームだった。さらに左側の一番手前の扉を開けると、そこはお手洗いで、その隣はいわゆる応接間のようになっていて、ソファーや机などが置かれていた。


……あれ? ちょっと待てよ? ベッド、足りなくないか? この流れで行けば、ハウオウルの寝る場所がない。確かにソファーで寝ることも可能だろうが、さすがにそれでは疲れは取れないだろう。これは、シーアに交渉しなければならない。


部屋を出ると、ハウオウルはワオンと何やら遊んでいる。一方のクレイリーファラーズはというと、相変わらず心ここにあらずの状態だ。


「ええと、着替えはどうします?」


「儂はええ。このままじゃ。お嬢ちゃんは着替えるんじゃの?」


ハウオウルと問いかけに、クレイリーファラーズはゆっくりと首を左右に振る。


「え? 着替えないの?」


「ええ。別に必要ないでしょ。むしろ、着替えるべきではありません」


「どういうこと?」


「本気出したら、奥様より目立つじゃないですか。それはやらない方がいいと思います」


「フホホホホ! お嬢ちゃん、面白いの!」


ハウオウルが爆笑している。その様子を見て、クレイリーファラーズはフンと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。いつも思うことだが、この天巫女は自分のことをかわいいと思っているのだろうか。その強気な姿勢は、自信は一体どこから出てくるのだろうか。


そんなことを考えていると、扉の開く音がして、パルテックが部屋から出てきた。


「さ、ダンナ様、お着替えを」


彼女はそう言いながら部屋に入るように勧めてくる。俺は言われるがままに中に入る。


「おお……」


肩を出したドレスに身を纏ったヴァッシュはとても色っぽかった。髪をアップにしているのも、さらに彼女の美しさを引き立てている気がする。思わず抱きしめたくなったが、そこは自制することにする。彼女はネックレスを付けながら、鏡に映る自分の姿を確認している。


「どうかしら?」


「うん、とてもいいと思うよ。肌がとてもきれいで、色っぽいと思うよ」


ヴァッシュはチラリと鏡越しに俺に視線を向けながら、さらに言葉を続ける。


「このままでは出ないわよ。上に何か羽織るわ」


「ええ、そうなの?」


残念がっていると、失礼しますと言ってパルテックが入室してきた。その手には俺のものと思われる衣服があった。


「さ、あなたも着替えるわよ。時間がないわ」


「え? ちょっと……」


ヴァッシュはしゃがみこんだかと思うと、俺のベルトを外して、何のためらいもなくズボンを下ろした。思わず俺は、腰をかがめた……。

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