第二百八十八話 無駄なこと?
「……」
部屋から出て来たクレイリーファラーズは、無言のまま俺たちを睨みつけて、すぐにお手洗いに向かっていった。一瞬だけ、ハウオウルと顔を見合わせたが、やはり、放っておくことが一番だと、お互い目で確認し合う。
しばらくすると彼女は、再びこちらに戻ってきた。盛大に腹が鳴っている。お腹がすいているのか?
彼女は再び立ち止まり、俺たちを睨みつけた。で、動かない。何なんだ、一体?
「どうされましたか、クレイリーファラーズさん」
見かねてパルテックが声をかける。放っておけばいいと思うのだが、そこは女性の優しさというやつだろうか。だが、当の本人は、パルテックの質問に答えない。何をスネているんだか。
俺はパルテックに目で、放っておきましょうと促す。彼女は俺とクレイリーファラーズを交互に見比べながら、戸惑いの表情を浮かべている。
「どうした、お嬢ちゃん?」
ハウオウルが見かねて声をかける。だが、クレイリーファラーズは彼を睨んだまま黙ったままだ。
「昨日から随分とご機嫌ナナメじゃな。どうしたんじゃ、一体?」
「……」
「先生、まあ、いいでしょう。もうすぐお昼ですし、昼食を食べたら少しは……」
「いりません」
「は?」
「食事は、いりません」
我が耳を疑った。クレイリーファラーズが食事はいらないと言ってのけた。あの、食べることが大好きな天巫女が、食事を摂らないと言い放ったのだ。雪でも降るんじゃないだろうか。
「大丈夫なの?」
ヴァッシュが思わず口を開いた。彼女にとっても、クレイリーファラーズの発言は、驚天動地のものだったようだ。
「大丈夫ですよ?」
俺たちの驚きをよそに、クレイリーファラーズはすました表情をしている。
「ということは、イモはいらないと?」
「いりません」
「大学芋、イモの白煮、スイートポテト、ふかし芋……それらもいらないと」
「……いりません」
「メチャメチャ食べたそうじゃないか。そこまで我慢するのは一体なんだ?」
「私は、太っていないのです!」
「は?」
聞けば、昨夜、宰相とシーズと面談したときに、シーズから太っていると指摘されたのだそうだ。
「肉付きがいいので、縛れば見事な作品に仕上がるだろうと言われたのです。アイツ、私をハムに見立てたのですよ! 私を暗にブタだといっているのですよ! 失礼にも程がありますよ! だから、痩せてやるんですよ。痩せてやりますよ」
「ダイエット、ですか?」
「そうです」
「無駄なことを」
「何ですって?」
「まあ、いいでしょう。やってみればいいと思いますよ」
「フン……」
クレイリーファラーズはそっぽを向いて部屋に戻ってしまった。きっと、ベッドにもぐりこんでフテ寝しているのだろう。何となく、彼女の行動は読めてしまう。
「……どうするの?」
ヴァッシュが何とも言えない表情で話しかけてくる。俺は少し考えて、彼女に口を開く。
「イモをたくさん用意しておいた方がよさそうだ」
「どういうこと?」
「いや、ダイエット明け……。食事制限をした後の甘味は極上のテイストだというからね。あのクレイリーファラーズのことだ。きっと、空腹に耐えかねて料理に手を出すに決まっている。そうなると、以前にも増して甘味を求めるだろうから、今のうちにその準備をしておこうかなと思ってね」
ヴァッシュは、わかったようなわからないような表情を浮かべていた。
昼食がすむと、俺とヴァッシュは、宰相の側近たちのあいさつ廻りに出かける計画を立てた。宰相の側近とあるからには、相当に忙しいことは容易に想像できる。とはいえ、俺たちもいつまでも王都に居座るわけにもいかない。取り敢えず、会って挨拶してくれる人がいればそれでよし、ということになった。
そんな話をしていると、カーネがやって来た。彼は西キョウス地区の、地域ごとの詳細な地図を携えていた。詳細と言っても、ゼン〇ンのような地図ではない。道や川、山や街がどのあたりにあるのかがわかる程度のものだが、それでも、この世界では地図は貴重品らしい。カーネがまるで宝物を扱うようにして、それぞれの地図を広げていった。
六枚の地図を皆と共に眺めていく。すると、ある一つの地域の地図に、俺の眼は釘付けになった。
「……どうかなさいましたか?」
カーネが驚いたような表情を浮かべている。俺は彼に視線を向けながら、口を開く。
「ここはずいぶんと川が多いですね。地区の大半が川になっていますね」
「ええ。まさしく水郷地帯と言って過言ではありません。こちらは、兄君が治めておられるキーングスイン地域です」
「ここがキーングスイン地域……。特産物は何ですか?」
「ございません」
「え? ない?」
「はい。至る所に畑はありますが、これだけ川が多い地域です。川の氾濫も頻繁に起きており、その都度、作物に被害が及んでいます。むしろ、この地域は、こうした地の利を生かして、地域全体を堀に見立てて、王都防衛の拠点という位置づけとなっています」
「なるほど……」
カーネはじっと俺に視線を向け続けている。ふと見ると、ヴァッシュ以下、全員の視線が俺に集中している。
「いや、わかった。ちょっとこの地域のことが気になってね。それで尋ねたんだ。よくわかった。わかりました。ところでカーネさん。俺たちは王都を出る前に、宰相様のご家来にご挨拶に伺いたいのですけれど、どうすればよいですか?」
「そういうことならば、私にお任せください。シーズ様に申し伝えてまいります」
そう言って、カーネは部屋を出て行った。俺はふと、天を見上げながら物思いにふける……。




