第二百三話 泣き叫ぶ瞳
朝……いつもよりも早くに目が覚めた。よく寝たためか、清々しい気分だ。
ふと傍らを見ると、ワオンがかわいい寝息を立てている。ここで起こすのはかわいそうだと思った俺は、彼女をベッドにそのまま寝かせ、ダイニングに向かった。
朝の清々しさは、一瞬で打ち砕かれた。テーブルの上にはハンモックが吊るされ、そこでクレイリーファラーズが眠っていた。それはいい。いつものことだからだ。問題はその寝相にある。両足をおっ広げて、腹を出して寝ている。この人に羞恥心はないのだろうか。俺はゆっくりと目を背けながら、キッチンへと向かう。
昨日の記憶が蘇る。ここでヴァシュロンを抱っこしてやったのだ。あのときの彼女は、かわいらしかった。抱きしめたあの感触は、今でも鮮やかに思い出すことができる。そうだ、とてもいい香りがしたな……。
きっと彼女は今日も来るだろう。今日は二人で何を作ろうか。そうだ、パスタでも作ろう。卵を貰ってきて、カルボナーラのようなソースを作ってみようか。それとパンとサラダ……。うん、これを提案してみよう。
そんなことを考えながら、俺は朝食の準備にかかる。今日はタマネギを料理してみよう。料理と言っても簡単だ。玉ねぎを半分に切って、水を張った鍋に入れる。そこに、塩を一つまみ入れて、ひたひたになるまで煮込むだけだ。
そんなことをしながら、パンを焼き、卵を焼く。ワオンの好きな特製オムレツを作ってやる。キッチンにいい匂いが立ち込めてくる。
「きゅー。んきゅきゅ」
その匂いに誘われるかのように、ワオンが起きてきた。俺は彼女に「おはよう」を言って、しばらく待っているように伝える。それを聞いた彼女は、勝手口からゆっくりと外に出て行った。ちゃんと、時間になれば帰ってくるのだ。
程なくして朝食はできあがった。料理をダイニングに運ぼうとすると、クレイリーファラーズがちょうど起きてきて、ハンモックから出るところだった。
「おはようございます」
「おはよう。朝食は、食べるのか?」
「いただきます」
そう言って彼女は寝ぼけ眼のまま、テーブルに着いた。どうやら料理を運ぶ気はないらしい。
彼女に構っていては時間の無駄なので、俺は淡々と料理をテーブルに運ぶ。ちょうど、ワオンも外から帰ってきた。彼女にも朝食を出してやる。さて、いただきますと言おうとしたそのとき、クレイリーファラーズが口を開く。
「おイモは?」
「ないよ」
「どうして?」
「作る気分じゃなかったから」
「作って下さい」
「断る」
「おイモぉ!」
突然、絶叫にも似た声が響き渡る。彼女は目に涙を溜めながら、俺に視線を向ける。
「ここ最近、おイモを食べてない……。今日くらいは……せめて今日くらいは……おイモを食べさせて……」
……まあ、今日でここを出ていくしな。てゆうか、絶対に追い出すけれど。そう考えると、餞別の意味で何か拵えてもいいかもしれない。そう思った俺は、ゆっくりと立ち上がる。
「ああ、ワオン、いいよ。お食べ。……仕方がない。大学芋を作りましょう」
「あと、焼き芋と、フライドポテトも。あ、じゃがバターも。そうそう、それを作るんだったら、ジャガイモを薄く切って、ポテトチップスも作って下さい」
「何て言った? よく聞こえなかったぞ?」
「ですから、おイモ……」
「大学芋を作る……。そう言いましたよね?」
「……」
「それ食べたら、早急に出ていく準備をして下さいね。あまり時間はないと思いますよ?」
クレイリーファラーズは、何とも言えぬ表情で俺を睨みつけている。その表情を見ながら俺は、朝食が終わったら、ウォーリアにこの天巫女のことを頼みに行こう……。そう心に決めたのだった。
朝食が終わると、レークが元気よくやって来た。彼女はテキパキと屋敷の中を掃除していく。その間、俺はさらさらと手紙を書く。ウォーリアに対して、クレイリーファラーズをお願いしますという内容だ。本来は俺が赴いてお願いに上がらねばならないが、それはまた、後日にすることにしたのだ。
あらかた掃除が終わった頃を見計らって、俺はレークにお使いを頼む。彼女は元気よく返事をして屋敷を後にしていった。
「……今、渡した手紙は、何ですか?」
「大体想像はつくでしょう」
「本当に、本当に、私を追い出す気ですか?」
「昨日からその話をずっとしていますよね? 早く荷物をまとめないと、間に合いませんよ?」
「それでも、男なのですか……」
クレイリーファラーズは目に涙を溜めている。そして、その涙を拭いながら声を震わせる。
「食事はどうするのですか……。部屋の掃除は? せめて、召使いの一人をつけてください。贅沢は言いません。若くて、性格がよくて、炊事洗濯掃除が完璧にできて、私のために全力で尽くしてくれる奴隷を買ってください」
「すまない。意味がわからない。どうしてもと言うのなら、自分で買いなさいよ。奴隷商人が来ているはずですから」
「……面倒くさい」
「そんな、潤んだ目をしてみてもダメです。憐憫の情は一切湧いてきませんから。何故でしょうね? 俺も不思議で仕方がありません」
「……あんまり、調子に乗らない方がいいですよ」
「え? 今、何て言った? 自己紹介としちゃ、かなり上手だぞ?」
「私はあなたの性欲を押さえているのです。戻さなくていいのですか? よく考えてものを言ってくださいね?」
「あのなぁ……。そっちがそうなら、こっちも対応を取らせてもらうよ? 一応、俺はこれでも領主なんだ。あなたをこの村から追放することだってできるんだ。身一つで、放り出しましょうか?」
「そ……そんな。酷い……。あなたは私の笑顔を傍で見ていたいとは思わないのですか??」
俺は一瞬天井を向いたが、やがて、深呼吸をして、ゆっくりと口を開く。
「あなたの笑顔は確かに素敵です。でも、たぶん、泣き叫ぶ瞳はもっと綺麗でしょうね」
俺の言葉に、彼女は顔をひきつらせた。
「ごめんください。恐れ入ります」
玄関から声が聞こえる。すぐにレークがダイニングに入ってきて、客人を案内する。
現れたのは、ウォーリアだった……。




