第百七十一話 説教
ヴァシュロンも俺の視線に気が付いたのか、スッと俺に目を合わせる。あらためて見ると、大きな、吸い込まれそうな瞳だ。何とも目の奥がきれいだ。そんなことを思いながら彼女を見つめていると、突然、彼女の眉毛がピクンと動いた。
パァン!
何かが破裂したような音がする。思わず体をびくつかせると、ヴァシュロンは俺の目を見据えたまま口を開いた。
「何か言いなさいよ!」
ふと見ると、彼女の手がテーブルに添えられている。どうやら右手でテーブルを叩いたようだ。
「うっ!」
気が付くとヴァシュロンの顔が俺の目の前まで来ていた。驚きのあまり俺は、顔を背けることもできないでいる。
「何よ? 私に考えろというわけ? 私にわかるわけはないじゃない。……何とか言ったらどうなのよ?」
「……きれいな目だ」
一体俺は何を言っているのだろうか? 思わず心に思っていたことが口を突いてしまった。しまった。ヴァシュロンの地雷を踏んでしまったか……と思ったが、彼女はゆっくりと目を逸らし、シーズに向き直った。そして俺に視線を向けることなく、小さな声で呟いた。
「早く、説明しなさいよ……」
彼女の耳が赤くなっていく。大丈夫だろうかと思いながら俺は、咳ばらいをしながらシーズに向き直る。
「ええと……。まあ、その、何です。生活を共にすればいいのではないでしょうか」
「うん? どういうことだい?」
「ですから、村人と一緒に生活をするのですよ。共に食事をし、語り、一緒になって働く……。あなたも、兵士たちも同じです。見たところ、腕っぷしの強そうな方々が揃っておいでのようです。男手が足りないところがあれば、手伝ってあげればどうでしょうか? お互いが敵意のないことがわかれば、自ずと信頼関係は生まれると思うのですよ。どうでしょうか?」
「つまりそれは、我々に何もするな、そう言いたいのか?」
「いや、何もするなとは言っていません。ここに来たのは単に、村の安全を図るためだけじゃないでしょう? 条約締結のための色々な準備をしに来られたのではないですか? それは行っていただいて結構です。むしろ、村人たちと共におやりになればいいと思います」
「村人……」
シーズの顔が険しくなる。明らかに怒りを我慢している顔だ……。
「バカも休み休み言え。ノスヤ、お前はインダークを屈服させたからと言って、増長していないか? 村人を交える? バカな! それでは我々の警備や、その他諸々の情報が筒抜けになるじゃないか。そんなことをすれば、インダークに、我々に恨みを持つ者たちに、襲撃の機会を与えるだけだ。お前は何も心配しなくていい。何も考えなくていい。全ては、私の言う通りにすればいいんだ」
「バカね」
「何!?」
ヴァシュロンの一言に、シーズの顔が紅潮している。ヤバイ。マジでヤバイ状況だ……。
「あなたのダメなところはそこだと、ご領主様は言っているのよ。同じことを私も感じるわ」
「どういうことだ! 二人して言わせておけば……なっ!」
「だから」
気が付けばヴァシュロンがテーブルの上に身を乗り出し、シーズに顔を近づけている。俺のところから見ると、一瞬キスでもしているように見えて、ドキッとしてしまう。
突然、女性に顔を至近距離まで寄せられて、さすがのシーズも困惑している。その気持ちはよくわかる。あれ、ドキッとするんだよね。
そんな俺たちの戸惑いをよそに、ヴァシュロンは諭すように、ゆっくりと噛んで含めるようにしてシーズに話しかける。
「いい? あなたは、確かに、優秀な人だと思うわ。でもね、あなた一人では、できることは、限られるの。たくさんの、人たちの力を借りた方が、やれることは多いでしょ? わかる?」
そう言って彼女はスッとシーズから距離を取り、そのまま椅子に座った。
「あなたは優秀だから、色々なことが思いつくし、それをやれるのでしょうね。でも、一人じゃ何もできないわ。結局、あなたを助けてくれる人がいて、あなたの考えは形になっていくのよ。でも、その周りの人たちから信頼されていないと、できることもできなくなるのよ。ご領主様はそれを言っているのよ。だから、村人たちから信頼を得なさいって言っているの。そのために、村人と仲良くなりなさいって言っているのよ」
そこまで言うと彼女は俺に視線を向けた。あとはあなたが何とかしなさいよと、その目が訴えている。俺はヴァシュロンから視線を外し、目の前に座るシーズに視線を向ける。
「彼女の言う通りだと思います。俺も、この村で騒動や暗殺の類が起こることは避けたいと思っています。そのために、村人たちと一丸となってこの村を警備するのが一番です。この村のことは、村人たちが一番よく知っていますから……。まずは、村人たちと食事を共にして、お酒を酌み交わしてはいかがですか? まだ、会談の日まで時間があります。それまでに何が一番良い方法なのかを考えてもいいと俺は思います」
俺の言葉に、シーズは腕組みをしながら、じっと視線を宙に漂わせている。
「申し上げます」
そのとき、兵士の一人が屋敷に入って来て、シーズに耳打ちをする。彼は一切表情を変えずにそれを聞いていたが、やがて、俺に視線を向ける。
「ノスヤ、お前宛に、インダーク帝国から書簡が届いているようだ」
え? 俺に? インダークから? ……今度は何を言ってきたんだ? 何だか、嫌な予感しかしない……。




