第百四十二話 さらに、お見合い
レーヴ嬢は俺の言葉にキョトンとしている。どうやら、先程の言葉の意味がわからなかったようだ。そのとき、キッチンから大きな拍手が聞こえてきた。
「やっぱりあのご領主様は天才よ! 痛くないと居たくない。同じ言葉のように聞こえて、実は違う意味を持たせているの。わかる? これを瞬時に言葉にするなんて、すごくない?」
この声はヴァシュロンだ。どうやら、レークに喋っているらしい。ワオンを抱っこしながら、ヴァシュロンのハイテンションの喋りを聞いているレークの姿が目に浮かぶ。そんなことを考えていると、レーヴ嬢が声のする方向に視線を向けている。
「……何か?」
「今の声は、ご当家の下女でしょうか?」
「ええ、まあ」
「では、お願いがございます。あの、大声を上げた下女をお手討ちにして下さいませ」
「は?」
「無礼です。このアンソレ子爵家の一員である私に対して、一介の下女が大声を上げてこの場の雰囲気を滅茶苦茶にするなど、あってはならぬことですわ」
……その声を上げていたのは、下女ではなくて公爵令嬢なのですよ、という言葉を飲みこむ。どうやらこの女性は、思い込みがかなり激しそうだ。
「何ですって?」
「出るな! 出てくるな!」
キッチンからヴァシュロンの声が聞こえてきたので、俺は反射的にそれを止めた。彼女がここに出たら最後、徹底的にやり合うことは目に見えていたからだ。そんな俺の様子を、レーヴは満足そうな表情で見ていた。
「何とお優しい、慈悲深い方なのでしょう。たかが下女ごときに……。しかしノスヤ様、優しいばかりではいけませんわ。時には鞭も与えませんと。優しさだけでは、下々の者は付けあがりますわ」
その言葉を聞いて、俺は思わず大きなため息を漏らす。
「奥にいる者をここに出さなかったのは、あなたのためです」
「私の?」
「彼女にかかれば、あなたはおそらく、プライドのすべてをズタズタにされ、屈辱しか残らないようになるからです。さすがにそれは見ていて忍びないことです。だから、ここに呼びませんでした」
「……どういう意味かしら?」
「あなたは知ることになるからです」
「知る? 何をでしょうか?」
「自分がいかに無知であるか、ということです」
「私が無知? ぶっ……無礼な! たとえノスヤ様といえども、私を侮辱することは許しませんわよ!」
「いえ、侮辱しているわけではありません。真実を申し上げているのです」
「何という……お方なのかしら」
「無礼は承知の上で申し上げています。あなたは何も知らない。いや、知らなさすぎる。まず、あなたは自分一人で生きているわけではありません。父上がいて母上がいて……。下女たちがいて、召使いたちがいて……。その上に、あなたは領民たちから支えられています。あなたが毎日食べる食事……それは領民たちが拵えた食べ物であるはずです。今日、あなたに提供した料理……。これはラッツ村の領民がそれこそ、汗水たらして作ってくれた作物です。命をかけて狩ってきてくれた肉なのです。それをあなたはご存じない。知っていれば、下女が大声を上げたくらいで、その命を奪えなどとは言えないはずです」
「そのくらい私も、存じております」
「ではあなた、畑の中に入ったことはありますか? 自分で料理をしたことはありますか?」
「ご質問の意味がわかりかねますが……」
「意味などわからなくてもよいのです。経験があるか、ないかを聞いています。どうなのでしょう?」
「……ございませんわ」
「一度、ご自分で領内の畑に行き、泥にまみれて作物を作ってごらんなさい。いや、収穫を手伝うだけでもいいですよ。そして、ご自分で料理を作ってごらんなさい。そのようなことは言えなくなりますよ」
「お話の筋がそれておりますわ。料理と私が無知であることは関係ありませんわ」
「あなたは、ご自分が置かれた立場を理解していないと言いたいのです。それを知ることは、屈辱以外の何物でもないでしょう。いかに自分が一人では何もできないのか……ということを知ることになるのですから。こう言っては生意気ですが、キッチンに控えている者は、少なくとも、己が何もできないということを知っております。その上で、一つでもできることを増やそうとしております。そのような者とあなたが話し合ったところで、あなたの負けは目に見えております」
「ぶっ……無礼な……。下女と私を比べた挙句、私が負けるなどと……。よくもそのような態度をとられたものですわね!」
「これも、あなたが原因なのです」
「わっ……私が?」
彼女のこめかみがピクピクと動いている。だが、ここで手を緩めるわけにはいかない。
「今、目の前に起こっていること……。これは全てあなたが作り出した状況なのです。もう一度、俺との会話を考えてごらん下さい。なぜ、こんなことになっているのか。何が悪かったのかを……」
彼女はグッと何かをこらえるような目をしている。そして、呟くように俺に口を開いた。
「このようなことを言われるとは……一体私に、何の落ち度があってこのようなことを言われるのですか? むしろ、私に、何を求めておいでなのでしょうか?」
何を求めて……と言われて、ちょっと困ってしまう。
「俺は、優しい女性が好きです。人に対して労わることができる人が好きです。あなたは……俺の見たところ、利用価値があるから結婚を決意されたのかなと思います。ということは、俺に利用価値がなくなれば捨てられるのかなと思うのですよ。そう、あなたに対しては情というものを感じません。やはり、情のない人と居るのは、俺はイヤなのですよ」
俺の言葉を聞き終わるか、聞き終わらないかのうちに、レーヴ嬢がツカツカと歩き出した。そして、ヴァシュロンのいるキッチンに向かい、その中に入っていった。
俺は、慌ててその背中を追いかけた……。




