王都脱出
光魔法と聖魔法の術式はまさに星形だった。光より成りて光より輝くもの。なるほど聖魔法は光魔法から発展したものなのだなと納得した。
「しかし、これだけの長時間持続する魔法など聞いたことがありません」
カダが考え込んだ。たしかに、魔道具ならともかく、魔法というのは基本的に魔力の放出で起きる現象だ。
「継続してかけたんじゃないですか? 呪いみたいに徐々に強くなっていく、とか」
「呪い?」
アスクレーオスが首をかしげた。
「……呪いって、ないんですか? 丑の刻参りとか……」
「ウシノコク、とは?」
そういや丑の刻、なかった! あれは日本独自の数え方だ。
え、でも待って。呪いってないの? 魔法があるから?
「……夜中の二時くらいに神社……神殿? いや教会? に行って、呪い殺したい相手の髪や爪を埋め込んだ藁人形に釘を打つんです」
日本じゃ超メジャーな呪いだが、アスクレーオスとカダにはドン引きの所業のようだ。顔が引き攣っている。
「まさか教会の柱にそのようなことを……? なんという罰当たりな」
「いえ、ご神木とか、敷地内の木に……」
「同じことですよ。神聖なるものの住まう教会で人を呪うなど、神をも畏れぬ所業です」
その神様が力を貸してくれるんだけど。神は神聖だと信じている人に言うのは怖かった。
「商会長、どこでそんな話を聞いたんですか?」
「……民間伝承を集めている時に……」
そこまで言われると、なんか地元をディスられてる気分になるな……。悲しくなってきた。
頭に鉄輪と蝋燭とか、七日間絶対誰にも見られてはいけないとか、厳正なルールがあるけど言うのやめとこ。そんなことするくらいなら決闘のほうが良いって言われそうだし。なお日本では決闘は法律で禁止されている。
「その、呪いというのは途中で解除されると術者に返るんです。継続して魔法をかけていたとしたら、解除されたのはおそらく伝わっているでしょう。聖魔法を感知されたかまではわかりませんが、ここは危険です」
とりあえず、重要なのはこっちだ。
闇魔法が呪いかはさておき、何らかの妨害で魔法が切れたのはリュカにわかっただろう。自分の魔法に自信があれば絶対に原因を探ってくるはずだ。
一難去ってまた一難。俺に安眠はいつ訪れるのか。トホホ。
「そういえば、先程から聖魔法と言ってしましたが……」
まさか、とカダがアスクレーオスを見た。
アスクレーオスが照れ隠しのようにうなずく。
「そうだ。……私は聖魔法を使えるようになった。それもすべて、商会長のおかげだ」
頼むから余計なこと言わないでくれ。聖魔法発現の秘訣を知っているなんてばれたくないんだよ。
あわててごまかしたが、カダはすっかり感激に浸っていた。
「おおぉ……っ。アスクレーオス様、おめでとうございます。多くの人々を救いたいと医師を志したアスクレーオス様にお仕えした甲斐がありました。他者の悩みに真心を持って接することができる、あなた様こそ聖人にふさわしいと信じておりました」
もしもし? あなたが崇めているその人、オデットの下に行こうとしてたんですよ?
感激に水を差すつもりはないが釈然としない。そしてカダは、次に俺に顔を向けた。
「商会長、ありがとうございます。早くから医療に関心を持ち、医療の発展に力を入れてきたタナカ商会……。あなたと手を組もうと思った私の目に狂いはなかった。どうか、これからも……っ」
カダが言葉を詰まらせて泣き出した。
……この空気の中すごく言い出しにくいんだけど、聖魔法カードが完成しているのでそんなに感激することではないのだ。アスクレーオスに限らず、誰もが治癒魔法を使えるようになる。
アスクレーオスにカードを使わせなかったのは、自分でカダの治療をしたいだろうと思ったからだ。オデットよりカダを選んだアスクレーオスを信じないわけではないが、決心が揺らいでは困る。
口先だけのオデットではない、自分でも人を救えるのだとアスクレーオスに教えたかった。アスクレーオスに足りないのはズバリ、自信だ。初代聖女という偉大すぎる壁を越えて、アスクレーオスは成長した。
「とにかく一休みして、夜明けと共に移動しましょう」
夜中の二時に起こされて、もう五時である。興奮が静まったらがくっと疲れが出てくるのが中年男性の哀しいところ。あくびを噛み殺しながら提案した。
次の日、というか今日。本当に夜明けと共に起こされた。
「おはようございます商会長。何か召し上がりますか?」
「はい……おはようございます。カダ様元気ですね……」
「とにかく動きたくて仕方ないんです」
ずっと寝てたからか、元気いっぱいのようだ。
五時ちょっと前に医師組合本部の仮眠室で休ませてもらうことになった、
夜中の二時に学院長に襲撃され、本部に着いたのは三時過ぎ。それからカダの治療やらなんやらあって寝たのは五時、そして今は六時である。寝てない自慢をするような齢じゃないおっさんにはきつい……。
顔を洗って髭を剃っても疲労が顔に滲み出ていた。体も重い。これで今日一日動けるのか?
心配になったところでふと聖魔法カードを試してみようと思いついた。疲労は病気ではないが、疲労が蓄積するといろんな病気になりやすくなるのは周知の事実である。
洗面所を出て廊下には誰もいないのを確認し、聖魔法カードを発動させる。疲労が回復するだけだ。自分の体から毒素が抜けていくのをイメージした。
ミラーボールが体から漏れないよう慎重に魔力を流す。聖魔法カードは学院長が侵入する前に腹に巻いたサラシ代わりのテーピングで密着させてあるのだ。これならたぶん刺されてもすぐに治るはずと思ってのことだったがまさかこんなところで役に立つとは。
ふっと体が軽くなったのを感じる。念のため自分の体を見回してミラーボールがないか確認した。
「おはようございます」
食堂にはすでにアスクレーオスも来ていた。
「おはようございます。顔色、思ったより良さそうですね?」
トーストとベーコン、オレンジジュースの乗ったトレイを持っていたカダが、おや、という顔をする。
「本当ですね。起こしに行った時はお辛そうな顔色でしたから、心配していたんです」
「顔を洗ったらしゃっきりしました」
てきとうにごまかすと、カダがほっとしたように笑った。
「こんなものしかできませんけれど、どうぞ」
「ありがとうございます。……カダ様のは?」
「私はもういただきました」
ちょっと気まずそうにカダが言う。このメニューなら俺でも五分で終わるな、と思っていたところでアスクレーオスが暴露した。
「カダが作れる最高のメニューですよ」
「え?」
「ちなみに私のベーコンは半分焦げてました」
あわてて自分のを見ると、綺麗に焼けている。
「せめて味付けしようと思ったのですが、火加減が難しくて……」
言い訳のようにカダが言った。
どうやら失敗作はカダが食べ、アスクレーオスにはまだましなのを出し、一番よくできたのが俺のだったようだ。
「焦げた臭いはしませんけど」
「火事と勘違いされそうなので、魔法で換気しました」
きりっとしてカダが言うけど、証拠隠滅だけ完璧ってどうよ。カダが嬉しそうなので言わないけどさ。メシマズってなんで他人に食わせたがるんだろうな……。
時間が惜しいのでトーストにベーコンを乗せてオレンジジュースで流し込む。朝はがっつり派の俺にはとうてい足りないが、ないよりましだ。ちなみに食堂の換気はしてもトースターとフライパンは洗わなかったようで、噛みしめるたびに焦げ臭が口の中に広がった。
「それで商会長、行く当てはあるのですか?」
簡単すぎる朝食が終わって、アスクレーオスが切り出した。
「ひとまずシヴォンヌまで行きます。タナカ商会シヴォンヌ支店も一時閉鎖していますが、そこで部下と合流しましょう。とにかく今は手が足りない」
学院での生徒救出、そしてアスクレーオスとカダを見て実感した。今の俺に必要なのは信頼できる仲間だ。
オデットたちは順調に干上がっているようだし、ここらで打って出よう。
「切り札はあります。俺についてきてください」
二人は同時にうなずいた。
医師組合本部には他の医師に任せる旨の書置きを残して、急いで王都の通用門へと向かう。アスクレーオスとカダには白衣を脱いでもらった。医師のトレードマークだが、これだけでずいぶん印象が変わる。オデットたちに見られても一目ではわからないだろう。
「商会長、シヴォンヌにはどうやって行くんですか?」
「門外の馬屋で馬車を借ります」
タナカ商会だけではなく多くの商会が撤退に馬を必要とした。
全部売ってしまったとしてもそれは一時的なもので、すぐに買い戻したはずだ。
馬は高価なのだ。血統や馬力で価値が跳ねあがる。その上維持費も必要で、飼葉と水はもちろん馬小屋に調教師に御者、荷馬車の荷台に乗馬用の鞍など、思いつくだけでもこれだけかかる。タナカ商会にも自前の荷馬車はあるが、長距離での行商には基本レンタルした馬を使っている。そうしないと距離が稼げないからだ。
この世界ではじめて知ったけど、馬は思ったより体力がない。徒歩より早いし荷物も多く運べるが、一日中走らせるのは不可能だった。速駆だと本当に数時間しか持たない。人間でも無理なことが馬ならできるわけじゃなかった。こまめに休憩して飼葉と水を与えないと、馬と行き倒れなのだ。
貴族にとっては馬は一種のステータスにもなる。名馬ともなると装飾もゴージャスだ。乗馬だろうと荷馬車だろうと疲れることに変わりはない。それでも徒歩よりはましだ。
アスクレーオスとカダはあからさまにほっとしていた。
早朝の通りは人がまばらだ。紙とインクが不足しているせいか新聞の配達も減っている。
俺は最低限の身の回り品と防犯グッズや便利グッズを詰め込んだ鞄を、アスクレーオスは手ぶらだが二人分の荷物が入った診察鞄風の鞄をカダが持っている。財布はスーツの内ポケットだ。
「っ」
「商会長?」
「しっ」
集合住宅の隙間から、向こうの通りに人影を見つけた。とっさに建物の影に身を隠す。
そっと壁から目を出して窺うと、数人の男が足早にどこかに向かおうとしていた。
「オデットの配下かもしれません」
口を押さえたアスクレーオスが、本当にやってきたのかと顔をこわばらせる。カダは身を固くしてじっとしていた。
「見つかると厄介です。急ぎましょう」
男たちが通り過ぎたのを待ってその場を去った。足音で気づかれる可能性があるので何度も道を変え、遠回りで門を目指す。
さて、王都に限らず門というものには開門時間と閉門時間が存在する。現在の時刻は七時を少し回ったところ。開門は九時だ。当然門は閉まっていた。
開門時間が近くなると商人の荷馬車が列をなすが、今はまだ誰もいない。
「どうするんですか、商会長」
まさかここにきて足止めされると思ってなかったのか、アスクレーオスは焦り顔だ。
「大丈夫ですよ。何事にも抜け穴ってのはあるんです」
門番のいる詰所のドアを叩いた。すぐに門番が応答する。
「おう、誰だ?」
「タナカ商会のカーです」
ガチャッと重いドアが開いて、門番が顔を出した。三十代中ほどの、兵士らしいがっちりした顔と体つきの男だ。
「なんだ、商会長。まーた『急用』か?」
「ええ、そうなんです。あっちの二人も」
呆れたような、どことなくニヤついた門番の顔があきらかに笑み崩れた。
「わかった。三人なら三十ポメだな」
「はい」
財布からポメ金貨三十枚を出す。呆気に取られていたアスクレーオスとカダを手招いた。
「じゃ、よろしくお願いします」
「ああ、商会長も気をつけてな」
詰め所の中から門を通って門外へ出る。門の外には通行人目当ての貸馬屋が軒を連ねていた。思った通り、馬の数は元に戻っている。
馴染みの馬屋に向かうと、世話をしている厩番が頭を下げてきた。
「おはようございます。やってますか?」
「はーい。おや、タナカ商会の。『急用』ですかい? 大変ですねぇ」
三人連れなのを見た店主が使用人に言いつけて荷馬車の用意をさせる。小型の幌付き馬車だ。
「どうですか、最近は」
「ええ、そりゃもうおかげさまで。商店が閉まっているせいでシヴォンヌまで買いだしに行く人が多くてねえ」
貸馬屋が機嫌よく話す。こうした世間話も大切な景気動向調査だ。
「シヴォンヌの商店はやってるとこあるんですか?」
「ええ、なんでもディーバ商会とアウフ商会がやってるそうですよ」
「抜け目ないですね」
「いやぁ、引くに引けないんでしょうよ。あそこは老舗で、王室御用達ですからねえ」
話をしている間にてきぱきと馬が荷台に取り付けられていった。
料金を支払いながら「では、よろしくお願いします」と言えば、心得た店主が笑って「お気をつけて」と返してくれた。
アスクレーオスとカダが荷台に乗り込んだのを確認して手綱を取る。
ここまで来れば一安心なので速歩程度で馬車を進めた。王都の外には畑や牛などの畜産をやっている場所もあるが、基本的には自然そのままの風景が広がっている。王都を囲う高い壁と門は、熊などの猛獣や盗賊団などが入ってこられないようにするものだ。もちろん戦争になった時の防壁ともなる。
「商会長、さっきのはどういうことですか?」
アスクレーオスが急きこむように聞いてきた。
開門前に門番を通じて門の内部を通り、馬屋も慣れた様子だった。どんな裏技か気になるのだろう。
「ようするに、賄賂です」
「賄賂!?」
「ええっ!?」
アスクレーオスとカダは驚いているが、これくらい商人には日常茶飯事である。
「お二人とも、門の通行料はご存知ですか?」
もしかしたら王都の外に出たことがないのかもしれない。アスクレーオスとカダは首を振った。
「三人で三十ポメということは、一人十ポメではないのですか?」
「一人十ペリュが正式な料金ですよ」
十ペリュは日本円にすると千円、そして三十ポメだと三万円になる。桁が一つ違った。
「ペリュ!?」
「賄賂だと言ったでしょ。あれは通行名簿に私たちの名前を書かないのと、口止め料込みの料金なんです」
正確には名簿に三人分の空欄を作っておくのだ。門を出た名簿に記載のない者は王都に入れない。逆もまたしかり。出入記録がないと王都は出入りできないようになっていた。なんといっても王都だからな、厳しいのだ。
ただし抜け穴というのはあるもので、色々と融通は利く。その最たるものが賄賂だった。
「私は何度か商売敵に狙われて夜逃げしたことがありましてね。そういう時は実に役立ちます」
「あ……、それで門番も馬屋も気を付けてって……」
「そういうことですね。心配しなくても黙秘してくれますよ、なんといっても俺はお得意様ですから!」
「笑いごとじゃないですよ」
ちょっとした冗談なのに引かれてしまった。俺の自虐ネタが……。
王都に経済制裁しているのに金に価値があるのかといえば、これがあるのだ。門番と門外の馬屋だからこそ、ある。
なぜなら、困っているのは彼らも同じだから。
王都の商店が撤退し日用品が手に入らなくなった彼らは、門を通る通行人が持ち込んだ物を買うのだ。頼まれての買い出し、あるいは手持ちで買えるだけの物を買って王都に帰ってきた人は、はじめは渋っても結局金の力に負ける。ここで門番と馬屋に睨まれて他の町に行きにくくなるよりは、高額で売ったほうが良いと考えるはずだ。いわゆる転売だな。そして馬屋と門番が払った価格を参考にして周囲にも売りさばく。経済制裁が長引けば長引くだけ、価格は上昇する。
いや、実に悪循環だね。門番と馬屋の「気を付けて」は事の発端がタナカ商会だと知っているからだ。オデットたちのタナカ商会ヘイト運動もあるだろうし、実際に俺の身は危険だ。
王都の城壁が豆粒ほどになったところで、ドーンと爆発音が遠く聞こえた。木々から鳥が飛び立った。
「あれ、火事ですかね?」
「ついに警備隊がオデット逮捕に踏み切ったのでしょうか……」
オデットに「様」と付けなくなったアスクレーオスは、それでも一度は信じた少女が犯罪者として捕らえられるのが辛いのか、痛ましげに呟いた。
「そうだといいんですけどね」
馬が怯えているので一度停止させ、振り返る。黒い煙がもうもうと空に立ち昇るのが見えた。
カダはメシマズ。




