街は今日も、平和です……?1
ぺちゃぺちゃと、頬に湿ったものが触れてくる。
なんだろうと思いながら手を動かすと、ふわふわとした毛玉の感触を手のひらに感じた。
「うーん……?」
毛玉の感触が気持ちよかったので、それを何度も何度も優しく撫でる。すると『きゅん』という鳴き声がして、今度は額のあたりにまた湿ったものが触れた。もしかしなくても、これは……
「……キール?」
『わん!』
名前を呼ぶと、元気なお返事が近くで聞こえた。
眠気を堪えつつ懸命に目を開ければ、カーテンの隙間からは朝のものとは思えないまぶしい陽が差している。
もしかして……私、寝過ごした!?
「キール、おはよ。ごめんね、寝過ごしちゃった!」
旅の疲れが溜まっていたこと、温泉でしっかりと体を温めて寝たこと、久しぶりのベッドがとても気持ちよかったこと……寝過ごした原因はいくつも思い当たる。
申し訳ないなと思いながら身を起こすと、キールが尻尾を振りながら私のお腹のあたりに身を擦り寄せてきた。
「ふふ。可愛いなぁ」
子犬姿のキールは、いつも私を翻弄してくる接触過多の美少年と同一だとは思えない。
どちらも可愛いことには、変わりがないのだけど。
キールの柔らかな毛を撫でているうちに、少しずつ眠気が去っていく。私が「ん~っ」と大きく伸びをしたタイミングでキールはとんと床に下りて、いつもの美少年の姿に早変わりした。
「おはようございます、ニーナ様。寝過ごしたといっても、ほんの少しだけですよ」
キールはにこにこと笑って言いながら、カーテンと窓をさっと開ける。きっと換気のためだろう。
……その陽の高さは、明らかにお昼に近い時間だと思うんだけどなぁ。それに『お昼ですよ!』っていう元気いっぱいな光が、部屋中に降り注いでいる。
「ランフォスとワーテルは下にいます。お着替えなどの準備が済みましたら、行きましょうか」
「わ、わかった!」
そそくさと旅装に着替えてキールと一緒に階下に行くと、ランフォスさんとワーテルが食堂のテーブルに着いて談笑している姿が目に入った。テーブルには食事を済ませた形跡があって、結構な時間待たせてしまったんだろうなと思うと申し訳なくなる。
「おはよう、ニーナちゃん」
『おはよう、ニーナ』
「おはようございます、お待たせしてしまって申し訳ありません……!」
ぺこぺこと頭を下げていると、ランフォスさんに「気にしないで」と優しく微笑みながら言われた。
うう、優しさが沁みる。社畜時代にこんな遅刻をしていたら、一体なにを言われていたことか……
想像するだけで、胃のあたりがぎゅっと痛くなる。
「さ、ニーナ様。ご飯を食べてから、あの魔道士のところへ行きましょう」
「そうだね。待っててね、早く食べるから……!」
「急がなくても、大丈夫ですよ」
慌てて席に着くと、キールにくすりと笑われる。
「キール。今の時間帯のメニューは、なにがあるのかな?」
「そうですね……」
メニューはお昼の時間帯のものに切り替わっていて、重めのものしかないらしい。
その中でも割合さっぱりしていそうな温野菜のサラダとオムレツを注文すると……
温野菜のサラダの上には、温泉卵がぷるりと光りながら載っていた。




