召喚されて捨てられました
新連載です。10万文字くらいで終わります。1日1~2回更新。
追放聖女がおにぎりを握ったり、従者に溺愛されたり、ざまぁしたりしつつの
ほのぼのゆるふわ旅なお話です。
時刻は深夜零時半。私、上里仁菜は愛しの自宅アパートにようやく帰り着くことができた。
今日も残業だった。それも当然のようにサービス残業である。新卒入社から毎日毎日……土日以外はこの調子だ。
――これが世に言うブラック企業。
玄関の冷たい床に倒れ込みそうになったものの、私は気力を振り絞る。せめてご飯くらいは食べて寝ないと。シャワーは明日起きてからでいいや。食べる、寝る。この生命維持に必要な行動だけはとにかく死守したい。
米を、お釜に入れると適当に研いで、炊飯器にセットして早炊きスイッチを押す。
そして部屋着に着替える気力もなくスーツのままで、無感情にテレビを見ていた。テレビの中の人々は大きな口を開けて楽しそうに笑っている。
いいなぁ、笑ってて。私が最近笑ったのは、いつだっけ。
そんなことを考えているうちに、炊飯器からはピーッ! というご飯の炊けた音がした。
冷食を温めるのも面倒だから、卵かけご飯でいいや。そんなことを考えながら冷蔵庫から卵を取り出し、炊飯器の蓋に手を触れた瞬間。
視界が、ぐにゃりと歪んだ。
ガチャン! と音を立てて炊飯器が床に落ちる。混乱しながらも慌ててそれを拾ってから、私は気づいた。今目にしている床が安っぽいアパートのフローリングではなく、重厚な石造りの床になっていることに。
床には繊細な光る文様が刻まれており、恐々としながら視線を前に向けると男性らしき足が数人分見える。私は恐怖で身を竦ませた。
これは……どういうことなの?
「聖女様を、召喚できたのか?」
一番上等な靴を履いた足が、こちらへと近づいてくる。私は拾い上げた炊飯器を胸に抱きしめながら、おそるおそるその足の持ち主を見上げた。磨き抜かれた靴、上等な布の白いトラウザーズ。さらに視線を上げると映画の登場人物のように整った――西洋人の顔。薄い色の金髪、薄い色の碧眼。美しい人だけれど酷薄な印象を受ける表情だ。
部屋は意外に狭くおそらく十畳くらい。そこに私と美形、そして数人のファンタジーな鎧を纏った屈強そうな男たちがいた。
そして、もう一人。
隣では私と同じく呆然とした表情の、部屋着の女の子が震えている。あれ、これってお隣の部屋の大学生じゃ。
毎日のように部屋で友達と騒ぎ、音楽は大音量で垂れ流し。ゴミの日はまったく守らない。挨拶をしても毎回無視……どころか時々鼻で笑われる。諸々問題があるけれど、見た目はすんごい美少女なお隣さんだ!
お隣さんの足元では、一匹の白い子犬が身を擦り寄せている。可愛い、犬種はなんなのだろう。
金髪碧眼の美形はお隣さんの前で座礼する。そしてその小さな手を取って、優しく微笑んだ。お隣さんはぽーっと頬を赤らめながら美形を見つめている。美男美女で絵になることだ。
「聖女様、聖獣様。よくぞいらしてくれました」
「……聖女? 聖獣?」
わけがわからずに思わずそんな言葉を発した私に、その美形はあからさまな侮蔑の表情を向けた。だけどここで怯んではいられない。
「なにが起きているの。これは、どういうこと? 拉致?」
「醜い……私に話しかけるな。お前は聖女に近い座標にいたから『ついで』で召喚されたのだろう」
彼の言葉はあきらかに日本語ではない。だけどなぜか聞き取れるし、私の言葉も通じているらしい。
というか醜いって失礼だな!?
たしかにスーツはヨレヨレで皺くちゃだし、ストッキングはどこで引っ掛けたのか伝線している。髪は後ろで無造作にひっつめていて、化粧もぐちゃぐちゃだ。目の下は連勤の疲れで隈が濃くて、そばかすも人より多いけれど……うう、否めない。醜いことが否めない!
いや、負けるな私。私はごく平均的な今年二十三歳の日本人女性の容姿のはず、だ。
お隣さんはなんだか小馬鹿にした目で私を見ている。まったくこの子は……!
「おい、この女を。ここから……いや、王都から追い出せ」
「はっ! 王子!」
『王子』とやらの指示に従い屈強そうな男たちが駆け寄ってくる。そして呆然としている私を部屋から引きずり出した。そしてそのまま馬車に乗せられ……私は、城塞都市らしき街から外にポイッと放り出されてしまったのだ。
……まるで、ゴミ出しの日のゴミみたいに。
「王都へは戻ってくるな。戻ってきたら処刑する」
門が閉まる瞬間、そんな言葉が冷たく吐きかけられた。
「――状況が、まったくわからない」
周囲は墨を流したような夜闇だ。二つの月が空に煌々と輝いているので、視界が完全に塞がれるということはないけれど。
――月が、二つ?
私は改めて月を見て、びくりと身を震わせた。
――聖女、聖獣、召喚。
――明らかにファンタジックな格好の人々。馬車から見た、同じくファンタジーな街並み。
嫌な予感がぐるぐると渦巻いて、脳裏に嫌な像を結んでいく。
「この世界は、私のいた世界じゃ……ない?」
つぶやきに答えるものはなく、冷たい風が体を叩くようにしながら吹き抜けていく。
寒さからなのか恐怖からなのか。足が震えてどうしていいのかわからない。月明かりでわずかに見える周囲はただひたすらに平原で、さわさわと草木の揺れる音だけがあたりに響いた。
ぎゅるるる……
その時、緊張感のない腹の音が鳴った。そうだ、私……ご飯を食べる直前だったんだ。
私は腕に炊飯器を抱えたままだ。当然その中には炊けた白米が入っている。
周囲を見回すと、私はちょうどよさそうな木の下に腰をかけた。
「……とりあえず晩ごはんを食べよう」
これは現実逃避かもしれないけれど。いや、現実逃避だな。だけど突っ立ったまま震えているよりも、いくらかマシだ。
ぱかりと蓋を開けると、電源コードが抜けてしばらく経ったはずなのにお米はほかほかと熱い蒸気を漂わせている。そのことを少し不思議に思いながらも、私は炊飯器に手を突っ込んだ。だってしゃもじがないし!
「あち! あち!」
手の中で熱いお米を転がして冷ましてから、おにぎりの形にする。お塩が欲しいけれど、ないものは仕方ない。ちなみに私は料理があまり得意ではない。作れるのはおにぎりと卵焼き。後は単純な炒める、煮るができるくらいだ。
手の中でそれなりの三角形になったおにぎりを口に入れて咀嚼する。うん、お米本来の味しかしない……塩気が欲しいなぁ。
そんな味気ないおにぎりでも、空きっ腹には沁み渡る。しっかりと噛みしめているとお米本来の甘さが、口の中にじんわりと広がっていく。私は二個目のおにぎりを握り、また口に入れようとした。
その瞬間。
ガサリ、と背後で茂みが動いた。
びくりと身を震わせながらそちらを見ると……
そこには、一匹の愛らしい子犬がいた。
そんなこんなの、はじめてのご飯ものになります。
基本的にはいつも通り、従者が溺愛するヤツです。
お好きな方は楽しんで頂けますと幸いです。




