疑問
息を付く間もなく慶花に連れて行かれたのは、王宮の図書館だった。
王宮関係者しか足を踏み入れることができない場所であるが、星詠み姫候補者であることを理由に、皇太子殿下から特別に許可を頂いたということだ。
今回の星詠み姫選定の儀については、皇太子である万里が指揮を取っているという。
その皇太子殿下に偽物だと知られてしまったというのに、どうして自分はまだ王宮にいるのだろう。
王宮から追い出されてもおかしくないはずだ。一族の責任として紅家が糾弾されておかしくない。
なのに、なぜ皇太子殿下は替え玉である自分を見逃してくれているのだろう。
むしろ、更紗が絹蘭としてここに存在することを望んでいるかのようだ。
星詠みの手解きを今更受けたところで、絹蘭の代わりが務まるはずがない。更紗にだってわかることだ。慶花と万里がわからないはずがない。
なんだろう……色々おかしい気がする。
そもそも、姉絹蘭の身代わりになること自体がおかしいのだ。王族に叛く行為だと気付かないわけがないのに。
無意識に天を仰ぐと、吹き抜けの天井の高さに思わず目を見張る。明かり取りの窓には色つきの硝子が嵌まっているらしく、色とりどりな光を室内に落としていた。
高い天井まで届く書棚に並んだ膨大な書物の数。膨大な知識の奈落の底で、呆けた頭でぼんやりと思う。
この幾多の書物の中に、わたしの疑問の答えが書いてあればいいのに。
仰け反り過ぎ、上体がぐらりと揺れる。咄嗟に更紗の背を支えてくれたのは慶花だった。
「気を付けて」
慶花の呆れを含んだ声と、意外にも力強く手の感触。この二つがちぐはぐで、頭が一瞬混乱する。
「け、慶花さま?」
「何でしょう?」
「……ありがとうございます」
首だけ振り返ってお礼を述べると、慶花は返事の代わりに苦笑する。
途端、心臓が大きく跳ねる。
これまでよく目にしていた冷やかな笑みではなかった。ただそれだけなのに、胸の鼓動が速くなる一方だ。
「ほら、呆けていないで、始めますよ」
「は、はいっ」
更紗は慌てて背筋を伸ばす。
余計なことを考えている場合ではない。付け焼刃で構わないから、絹蘭の真似事ができるようにしなければならない。せっかく慶花が協力してくれるのだから。
更紗の一番の望みは、選定の儀をそつなくこなし、慶花が星詠み姫に選ばれること。
そうすれば帰れる。
しかし、慶花は星詠み姫になることを望んでいない。
もし、慶花の望み通り自分が絹蘭として星詠み姫に選ばれたら、本物の絹蘭は、どうなってしまうのだろう?
わたしは……どうなってしまうのだろう。
* * * *
「十三の星々の運行が示されています。これらの星の動きから、運勢を読み解くのです。星詠みの教育は受けていなくとも、これくらいの知識はおありでしょう?」
基本的な知識くらいあって当然と、暗に慶花は言っているのだろう。
「はい……」
占術は一般庶民の間でも広まっている。
出生日、場所、時間から運命や宿命を詠み解く命術。
絵札や筮竹などを用いて偶然の要素から意味を詠み解く卜術。
手や顔の形、地形などから吉凶を占う相術。
星詠みは命術に当たり、庶民の間でも人気がある。しかし命術は難易度が高く、どちらかというと卜術の方が人気が高い。
「更紗殿は、何か占術をご自身で行ったことはありますか?」
「……」
思わず口ごもる。
実をいうと、更紗自身も絵札を使った占いをたまにする。星詠みの一族なのに、卜術に手を出しているとは言いにくい。
「……あるのですね。卜術ですか?」
「え、なぜ……?」
慶花が言い当てたので驚く。何も言っていないのに、どうしてわかったのだろう。
更紗の驚いた様子を見て、慶花は軽く目を細める。
「あなたは考えていることが顔に出やすい。それに一般的には卜術、相術は取っつきやすく人気があります。特に女性には絵札を使った占術を好む傾向があります。絵札占いなどは、女性にも人気がありますし、現に母は一般の方々にも占術を教えています」
「え、明楼様がですか?」
「いえ、母の弟子たちがです。人に教えることも勉強のうちだと。とはいえ星詠みは難解ですので、初歩的な星詠みと、絵札を併せて指導しています」
「そうなのですか……」
「璃家は商魂たくましいのです」
慶花が澄ました顔で言うものだから、つい笑ってしまう。
璃家はずいぶんと柔軟な考えのようだ。紅家は弟子は取っているが、一般の者には占術の指導はしていない。ましてや星詠み以外の占術などは行っていない。
「……まったく、あなたは本当に謀に向いていない」
「! また、顔に出ていましたか?」
思わず頬を押さえると、慶花が小さく笑い声を立てる。
その苦笑交じりではあるものの、何の裏を感じない純粋な笑顔に、自分の心臓が小さく跳ねるのを自覚する。
また……一体、何?
「どうされましたか?」
「いえっ! なにも」
ふと、慶花は探るような眼差しになるが、すぐに関心は他に向いたようだ。
「方法は何であれ、基本的には占うことには変わりありません。そうですね……では、他人を占ったことはありますか?」
「……いいえ」
更紗は頭を振った。慶花の目が「なぜ?」と訊ねているのがわかる。
実は慶花自身も目で語る……というのだろうか。真っ直ぐな眼差しから、彼女の意志が伝わってくる。
「あの、自信がないのです」
慶花は黙って頷いた。
恐らく想定された回答だったのだろう。彼女が口を開かないのは、もっと詳しく語ることを促しているに違いない。
「もし、占ったことが外れていたらと思うと、怖くて……できないのです。そもそも、他の人には内緒にしていたので……」
慶花はある程度予想していたのだろう。軽く溜息を吐くと、軽く頬に手を当てる。
「更紗殿、占術など当てよう思わなくて良いのです」
慶花の放った衝撃の言葉に、更紗は絶句する。
彼女はこれも予想していたのだろう。更紗の表情を目にして、ニヤリと笑う。
「もし、今年は豊作だと星が伝えていたとしましょう。だからといって作物に水を与えなければ? 生まれながらに健康に恵まれていると言われた人が、怠惰な生活を送っていたらどうでしょう?」
「作物は枯れてしまいますし、不健康になってしまいます?」
「その通り。予知した災害や病に対処すれば、未来は変わることになります。つまり、当たらなかったことになるのです」
「……屁理屈です」
「そうとも言います」
「ええっ?」
「冗談です」
こちらは必死なのだから、ふざけないで欲しい。思わず必死に訴えると、慶花は小さく吹き出した。
口元を手で押さえ、小刻みに肩を震わす慶花の姿に今更ながら驚いてしまう。
「あの……慶花様?」
「つまり、私達星詠みは、星の動きを読み取り、伝えることが務めです。先ほど申したように、予知した良からぬ未来を防ごうと動けば星詠みの結果が外れるのは必然です。だから外れても仕方がないのです」
「そういうものなのですか?」
「少なくとも、私はそう思っております」
星詠み姫候補がそういうのだ。そういうものかもしれないけれど、少なくとも母や姉の口からは聞いた試しがなかった。
もっと気楽で、いいのかな?
もっと力を抜いてもいいのかな?
少し力を抜いてみてもいいのもしない。
もしかしたら、慶花様は、わたしが肩の力を抜けるように言ってくれたの……かな?
「ですが、星を正しく読み取らなければなりませんよ」
「は、はい……」
正しく読み取る……当然よね。
最後にしっかり釘を刺され、更紗は項垂れるように頷いた。




