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星詠み姫の選定  作者: 勇魚
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もう一つの理由

「もうひとつ聞いていいかな?」


 声色の柔らかさはそのまま、しかし顔を上げると笑顔ではなく、真剣味を帯びた面持ちの万里がいた。


「何故、絹蘭殿が候補を降りねばならなかったのかだ」


 万里が知りたかったのは、さっき更紗が答えた理由ではなかったのだ。

 皇子が知りたかったのは、絹蘭が何故身を引いたのか、だ。

 幼い頃から星詠みとして生きてきた彼女が、次代の星詠み姫として期待を一身に受けてきた彼女が、何故無能な妹に選定の儀を託さねばならなかったのか。


「それは……」

「どうやらはぐらかされた訳ではなさそうだね。君のさっきの答えも面白かったけれど」


 更紗は言葉を失う。

 はぐらかしたつもりはない。更紗なりに懸命に考えた答えだ。しかし、万里が聞きたかったことは違っていた。

 無意識に慶花を見てしまう。先ほどまでの無関心な様子はそこにはなかった。更紗の言葉を待つかのように、真っ直ぐな視線が向けられていた。


 そうだ。誰もわたしが身代わりに選ばれた理由なんて、気になどしていなかったんだ。


 万里はもちろん、そして慶花までも。

 そのことに気付いて、みるみる頬に熱が集まる。

 知りたかったのは、絹蘭が身を引かざるを得なかった理由だけ。更紗がここにいるのは、双子だから。姿形が同じだからという理由だけで十分だった。


 帰りたい……ここから消えてしまいたい。


 思い違いをしてしまった恥ずかしさもあるが、彼等の関心はやはり姉絹蘭にしかないのだと思うと、今この場に身を置いていることすら恥ずかしかった。


「この期に及んで隠したところで仕方がないんじゃないかな」

「はい……おっしゃる通りです」


 今更隠したところで意味がないことは理解しているし、隠すつもりもすでになかった。それでも、この二人に事実を告げるには、まだ躊躇いが残っていた。

 替え玉と知れてしまった今、それ相当の理由があるとは二人も予想しているだろう。


「姉は……子を宿しています」


 更紗の言葉を聞いた途端、万里の表情が消える。恐らく慶花も似たような表情を浮かべているのだろう。

 沈黙が続く中、万里が茶器に手を伸ばす。すでにぬるくなったであろうお茶を、ゆっくりと、すべて飲み干した。


「……ふうん、相手は誰か言っていた?」


 茶器を手の中で転がしながら、万里は何気無い口調で訊ねる。


「いえ……」


 わからないと、ゆるゆると頭を振る。すると、ふむと思案顔になる。


「月の障が止まることなんて、若い女性にはよくあることだ。思い込みだけで実際に腹が膨らむこともある。更紗殿、君はどうやって子が授かるか知っているかい?」

「……っ?」


 思いがけない質問に、更紗は動揺してしまう。そして、みるみる赤面する更紗を見て、万里はにやりと笑う。


「へえ、更紗殿は意外に耳年増なようだね」


 更紗の頬はますます熱を増す。


「わたしが通っていた学舎は、良妻賢母を育てる場所でしたので……」


 言い訳がましい言葉を口にすると、万里は同意するように頷く。


「そう。夫を悦ばせることも、良妻の務めだからね」

「は、はい……」


 言わなければよかった……。


 ああ、慶花はどんな顔をしているだろう。そのくらい当然という顔をしているのか、はしたないと呆れた顔をしているのか。


「あ……」


 星詠み姫の条件のひとつを思い出す。

 清らかな処女であること。

 もしかすると、生まれながら星詠み姫になるべく教育された絹蘭には、無用な知識として扱われている可能性がある。


「あ、あの! 慶花様っ」


 気恥ずかしさを忘れて、慶花に向き直る。突然声を上げたせいだろう。慶花はぎょっと、身を引いた。


「慶花様はご存じですかっ」

「何を、ですか」

「お子を授かる方法です」

「な……」


 言葉を失った慶花は、みるみる頬を赤らめる。

 慶花の初めて見せる表情に驚きつつも、星詠み姫として育てられた少女は子作りの方法を知らないという可能性が消えたことを知る。


「慶花様はご存知なのですね……やはりそういった教育を」

「受けておりません!」


 慶花が声を大にする。そこで更紗はようやく、自分が何を口にしたのか自覚する。怒りをはらみつつ赤らんだ慶花の顔を改めて見た途端、更紗は一気に青ざめる。


「し、失礼しました……あの、もしかしたら、星詠み姫としての教育を受けた方は……無用な知識かと思いまして……」

「確かに、更紗殿のように良妻賢母になるべく教育は受けておりません。しかし、王宮に出入りしていれば、知らず知らず耳に入ってくるものです」

「そうなのですね……失礼いたしました……」


 今こそ、本当に消えてしまいたい。

 なんてことを聞いてしまったのだろう。慶花にはしたないと呆れられたに違いない。更紗は顔を火照らせたまま項垂れる。


「……あなたは絹蘭様が、勘違いをされていると思ったわけですか?」

「はい……」


 その通りだと頷くと、慶花は気持ちを静めるかのように溜め息を吐いた。


「今後、その手に関する話題は控えていただきたい」

「はい……失礼しました」


 深く頭を垂れる。すると、二人のやり取りに区切りが付いたのを待ち兼ねていたかのように、万里が口を開いた。


「この件については、内々に調べてみるよ」


 万里は音もなく立ち上がると、薄く微笑んだ。


「私はお先に失礼するよ。茶菓子も用意してあるから二人はゆっくりしていきなさい」

「は、はい」


 頭を下げてから、万里に改まった挨拶やお辞儀はやめて欲しいと言われていたことを思い出す。


 慌てて頭を上げると、すでに万里の姿はなかった。閉ざされた空間に、慶花と二人きり。


 そして、万里の言葉どおり、いつの間にか茶菓子が用意されていた。しかし、呑気に茶菓子を貪っている状況ではないことくらい、鈍い更紗にだってわかっている。


 すると、これまで沈黙を守っていた慶花が、深い深い溜め息を吐き出した。


「絹蘭様は……本当に妊娠なさっているのですか」

「恐らく……本人がそう申しておりますし、月の障も止まっております。あと、悪阻も……」

「信じられない……。やはり相手は」


 第二皇子の万里なのか、と無言で問う。


「……わかりません」


 万里である可能性は高いが、相手が相手だけに、推測でものは言えない。


「彼女は本当に星読み姫としての資格を失ってしまったわけか」


 更紗は頷くこともできず、無言で慶花の嘆きを聞くことしかできなかった。

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