二人の皇子
「それで、君の名前は?」
万理はにこりと微笑むが、目が笑っていないことに今更ながら気が付いた。
名乗れば、偽物だと肯定しているのと同じだ。しかし、白を切ったところで今更取り繕えるとは思えない。
思わず救いを求めて慶花に目を向けてしまう。一瞬彼女は目を瞠ると、決まり悪そうに視線を彷徨わせる。
「殿下はすでにお気づきです」
なんてことだろう。ああ、だから慶花は殿下とのお目通りを設定したのであろう。更紗は頭を抱えたくなったが、さすがに皇太子殿下の御前で取るべき行動ではないことくらいわかっている。
「更紗、と申します」
何もかも投げ出したくなってきた。半分破れかぶれな気持ちのせいか、珍しく声は震えかなった。
「更紗殿か。いい名前だね」
「ありがとうございます」
もう作り笑いすら作れない。背中に冷や汗が伝う。始終穏やかな態度ではあるが、万里のその内心までは計り知れない。緊張のあまり、顔すら上げることができない。そもそも王族に直接話をすることすら不敬に当たるのだ。
わたし、生きて帰れるのかな……。
本来ならこの場にいることすら、許されない立場なのだ。星詠みの一族とはいえ、更紗は星詠みには関わっていない。母と姉が出入りする王宮を、更紗は生まれて初めて訪れたくらい、王宮とは無縁なのだから。
「大丈夫だよ。この件は僕の胸にしまっておくつもりだから」
「……ありがとうございます」
まるで心を読んだかのようだ。
どこまで信じてもいいのだろう。失礼ではあるが、この皇太子は本当に読めない御仁だ。盗み見た万理の浮かべるその笑顔がまた胡散臭い。
「更紗殿は素直だね」
「そうで……ございましょうか」
盗み見ていたのに気付かれたようだ。慌てて顔を伏せる。
「うん、こいつ胡散臭いって、顔に描いてあるよ」
「っ!」
申し訳ございませんと謝ろうとしたが、謝っては認めてしまうのと同じだ。一瞬言葉に詰まったが、この沈黙も認めたと同様。しどろもどろに「滅相もございません」と必死に頭を振った。
「君は謀には不向きな子だね。ほら、面をあげてごらん」
「はい……」
恐る恐る顔を上げると、万里が愉快そうに肩を揺らして笑う。さっきまで浮かべていた読めない笑顔とは違うものだ。不意に第二皇子公理の間近で見た笑顔と重なって、胸の鼓動が速くなる。
だが、それは一瞬の出来事。更紗の顔を目にした途端、呆れたように目を細める。
「よくもまあ、紅家も絹蘭殿の代わりになど立てたものだ。確かに顔の造作はそっくりだけど、雰囲気がまるで違うから、すぐに別人だとわかってしまったよ」
まったくその通り。返す言葉もない。
「慶花殿、君も思うだろう?」
「はい。まったく紅家も無謀だと思います」
慶花に無謀とまで言われてしまった。なんかもう……心が折れそうだ。
「でも王宮で絹蘭殿を直接知る方は、星詠師の間でも案外少ないので、上手く装えば切り抜けられるかもしれません」
「へえ、彼女を知っている人間はどの程度いるの?」
「星の宮長の鵬 哉義殿、正星詠師の紅 蘭汀殿、璃私の母である 明楼。そして殿下と弟君の公理様、妹君の瀬怜様です」
「じゃあ、星の宮長と璃殿は急病で辞職、公理は南方の領地に駐屯させて、瀬怜は嫁にやろう。そうすれば更紗殿が偽物だと気づくものもないだろう」
朗らかに怖いことを言う。
「すでに公理樣と接触してしまったそうです」
「そう? まあ問題ないだろうよ。あいつは案外鈍いから」
「恋人同士なら、別人だと気づかれてしまうのではないでしょうか?」
無礼と知りつつ、恐る恐る口を挟んでしまう。
「大丈夫。多分気付かないよ」
一瞬、驚いたように目を見開いたものの、万里はすぐにその表情を笑顔で隠してしまう。
「あいつは鈍いんだ。多少の違いがあっても気付かないだろうね」
「そんな……」
慶花や万里はすぐに気付いたというのに。恋人である公理が気付かないなんて。
「しかも、二人は恋人同士じゃないっていうのにね」
「恋人同士じゃないんですか?」
思わず大声を出してしまった。すかさず「声が大きいですよ」と慶花に咎められてしまう。しかし万里は一向に気にも留めない様子で話を続ける。
「こちらが知る限りじゃ違うよ。まあ、公理はずいぶん熱を上げていて、何度も絹蘭殿に迫っていたのは知っているけれど」
「こ、恋人同士じゃないのに、あんなことをするんですか?!」
驚きのあまり、つい口が滑ってしまった。
「……あんなことって?」
表情は変わらないのに、万里の声に剣呑な響きが混じる。
「え、あの……なんでもないです」
「言いなさい。何をされたのかな?」
慶花も眉をひそめていた話題を、万里はどう受けとるかなんて大体想像がつく。再び慶花に救いを求めるように視線を送ると、わかったと言わんばかりに小さく頷いた。
「更紗殿に代わって私が説明致しましょう」
慶花の助け舟は、捕まったら沈む泥舟だったようだ。更紗が説明したよりも、出来事は少々誇張されただけではなく、隠していた首筋への口付けまでも報告されてしまった。
ど、どうして慶花樣が知ってるの?!
咄嗟に首筋を押さえてしまったのが、よくなかったようだ。万里が放つ空気がますます重くなる。
「それは……なかなか赦しがたい行為だね」
数拍の間の後、唸るように呟いた。
万理は笑っているが、目が明らかに笑っていない。目が笑っていないのは、変わりないのだが、目に見えて笑っていないとわかるから怖い。
「しかし、信じられないのです。公理様は真面目な方です。戯れで選定中の候補者にそのような振る舞いをなさろうとは考えにくいのです」
「じゃあ、更紗殿が嘘を吐いているんだ」
「それは……ありません。私もお二人が一緒のところを目にしています」
慶花様、見ていたの?!
新たな事実に衝撃を受ける。
「わかっているよ。更紗殿は嘘は吐いていない。それに公理も確かに真面目だよ。本気で娶ろうと考えているくらいだからね。でも絹蘭殿は幼い頃から努力を重ねていたからこそ、星詠み姫候補に選ばれたのだから、王族である公理の申し出を受け入れれば星詠みとしての道は断たれてしまう。だから彼女は、公理の求婚を拒んでいたのかと思っていたのだけれど」
万理は言葉を切ると、始終貼りついていた笑みを消した。真っ直ぐな眼差しは、公理と同じ深い海の色と、彼よりも少し明るい灰色の髪。巷に出回っている王族の絵姿で、二人の皇子の容姿は知っていたが、あまり似ているとは思わなかったが。
やっぱり、似てる。
『確かに顔の造作はそっくりだけど、雰囲気がまるで違うから、すぐに別人だとわかってしまったよ』
万理に言われた言葉を、改めて実感する。
二人の皇子は更紗達姉妹とは逆だ。外見は違うが、雰囲気がよく似ているのだと。
「それでさ」
底冷えするような万理の声に、更紗は我に返る。
「絹蘭殿は、どうして選定の儀を君に託したのだろうね?」
気づいたら、前の更新から約一ヶ月が経過していました……。
亀の歩みですが、お付き合い頂けると嬉しいです(^_^;)




