食えない皇子
「ようこそ、星詠み姫候補のお二人さん」
「お目に掛かれて光栄です、殿下」
我ながらまっとうな挨拶ができた。
密かに更紗は満足していたが、皇太子殿下は不満だったようだ。
「だから、そういうのはいらないから」
「は、はい。申し訳ございません」
……じゃあ、どうすればいいのよ。
渾身の挨拶を一蹴されて、更紗は泣きたい気持ちになってきた。
「もっと気さくにしてくれた方が嬉しいな」
「……はい」
無理です。絶対に無理です!
まず、皇太子殿下に気さくに話せという方が無理だ。どの程度気を遣わずにいればいいのかすらわからない。
頭の中で、堂々巡りの思考がぐるぐると回る。ついでに目も回りそうだ。
「……しっかりなさい」
どうやら本当に倒れそうになっていたらしい。慶花に肩を掴まれ、我に返る。
すると、始終にこにことしていた万理が「おや」と、目を瞬かせた。万理の表情が変わったことに気づいた更紗は、何か良からぬ予感に冷や汗が背中を伝う。
しかし万理は予想外にも、ただえさえ笑みを湛えた表情に、さらに深い笑みを浮かべただけだった。
「ほらこっちへおいで。新茶が手に入ったから淹れてあげよう」
さっさと奥へ入っていくと、おいでおいでと手招きをする。慶花は軽い溜息を吐くと、万理の後に続く。更紗も慶花の後に続くしかない。
どうやら部屋は思っていたより広いらしい。右手には天幕が貼られ、その中にすでに二人はいた。
なんだか、秘密基地みたい。
幼い頃、近所の男の子が作った秘密基地を思い出す。庭の片隅に作ったささやかなもので、使い古した敷布を木の枝に吊り下げただけのものだったが、こうして天幕をくぐると思い出す。
天幕をくぐると、ふわりと甘い匂いが立ち込めていた。すでにお茶の支度が出来ていたようで、敷布の上に胡坐を掻いた万理が白磁の茶器に、淡い黄金色の茶を注ぐ。
「ほら、君も早くおいで」
「は、い」
呼ばれたのだから従わなければ失礼だろう。ここ、と指示された慶花の隣りへ恐る恐る座る。慶花の様子をこっそり伺う。彼女は特に緊張した様子もなく、平然と万理が淹れた茶で満たされた茶器を手に取っていた。
「どう? 美味いでしょう?」
「ええ」
極上のお茶に対して、慶花の返事はあまりにも素っ気な過ぎた。彼女ならもっと気の利いたことを言うものだと思っていた。慶花の態度に、更紗の方が不安を覚える。
「ほら、君もどうぞ。熱いうちに」
「……はい。では、いただきます」
目の前に差し出された茶器を、そっと手に取る。白磁に茶の色が映える。花びらを溶かしたかのような美しい色だ。そっと口に含むと、滑らかな白磁から、するりとお茶が滑り込んでくる。
舌に転がすと、ほんのりとした甘味。後から追いかけてくるように、清涼な緑の匂いと、柔らかな苦みが口の中に広がる。
「どう?」
「美味しいです……!」
「あはは、慶花殿と違って、君の反応は素直でいいね」
万理は屈託なく笑う。
顔立ちは確かに公理と似ている。しかしずいぶんと受ける印象が違うのは、持っている気質の違いであろう。生真面目そうな公理とは打って変わって、皇太子である万理の表情は穏やかだ。
「ところで慶花殿。君が誰かを伴って行動するなんて珍しいね」
「大きなお世話です」
冷やかな声色で言い放つ。驚いて隣りを見ると、慶花の表情はまるで真逆で清楚な微笑みすら浮かべている。
「まあいいや、今日は何の用?」
「用も何も。星詠み姫候補者として、改めてご挨拶に参りました」
「もういいよ、君の顔は見飽きた」
「あら奇遇ですね。私もです」
双方から軽い笑いが漏れる。
なんなの、この空気……。
一見和やかな雰囲気だが、交わす言葉はまったく和やかさなど微塵もない。さらに二人とも始終笑顔のままというのがまた怖い。
「ほらほら、お嬢さんが固まっているよ」
硬直している更紗に気づき、万理が愉快そうに目を細める。
「大丈夫。僕と彼女は幼馴染みたいなものだから。多少の無礼も親しさ故のものだから気にしなくていいよ。君は、えっとなんだっけかな? 紅家の……」
「絹蘭でございます」
「ああ。それで通すつもりなんだ」
ふふ、と笑みを漏らすと、どこからともなく取り出した扇で口元を隠す。
「いいよ。そういうことにしておいてあげても」
「あ、の……殿下?」
「紅家の妹君。名前は何というの?」
ばれてる……。
今度は一気に血の気が引いていく。
皇太子殿下に、知られてはいけない人たちの一人である相手に見透かされていようとは。
そもそも、自分が絹蘭の代わりなど無理な話だったのだ。いくら顔は同じでも、気質が違うし素質も違う。
駄目だ。おしまいだ。
頭が真っ白、とはこのような状態を言うのだろう。この先どうなってしまうのかがわかり過ぎて、もう何も考えられない。
「大丈夫だよ。悪いようにはしないから」
万理は更紗の頭をまるで幼子にするかのように、ぐりぐりと撫でまわす。
せっかく慶花に結ってもらった髪がぐしゃぐしゃに乱れるが、抵抗するのも恐れ多くて、なされるがままに甘んじる。
「まったく両家には舐められたものだよ。まあ、僕は別に構わないのだけれどね」
万理の冷やかな声色に、ごくりと唾を飲み込んだ。




