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星詠み姫の選定  作者: 勇魚
15/21

内緒の相談事

 高く結い上げた髪を下ろしただけでも、なかなかの苦労だった。本来なら侍女に解いて貰えるところだが、慶花が身仕度の一切を断ってしまったため、更紗自身もすべて一人でやらなければならない。

 大量の髪止めね金具を外したら、化粧を落とさねばならない。かなり厚く化粧を塗り込んだから、ちゃんと落ちるか自信がない。


「どれを使えばいいのかな……」


 鏡台の上には様々な化粧品が用意されているが、これまで化粧などしてこなかった更紗には、どれがどんな用途のものなのかすらわからない。


 適当に見当をつけた瓶を手に取り、脱脂綿の上に垂らしてみる。さらっとしたほぼ水のようなものが滴り落ちる。そっと頬を拭ってみると、一応化粧が拭えてたようだ。これが化粧を落とすものに違いない。今度は多めに垂らして、べっとりと頬に擦り付ける。

 落ちるには落ちるが、思ったよりも落ちてくれない。まあこんなものかと思って、今度は赤く染まった唇を拭うが。


「っ!」


 綺麗に落ちるどころか、赤い色が頬まで広がってしまった。ごしごしと擦ってみるが、赤い色を伸ばすばかり。擦るものだから、唇も頬もひりひりしてきた。

 もしかすると、これは化粧落としではないのではなかろうか?

 途方に暮れて呟くと、扉を叩く音がした。


「更紗殿? どうされました」

「あの、いえ……」


 大丈夫です。と言おうとしたが、はっきり言ってこのままでは、化粧すら落とせそうにない。恥を忍んで慶花に救いを求めた方が得策に決まっている。しかし、今のこの顔の状態を見られるのは非常に恥ずかしい。


 どうしよう、どうしたらいいの?

 寸前まで慶花に助けを求めようかと迷ったが、やはり恥ずかしさの方が勝った。


「……何でもございません」


 取り敢えず、手あたり次第試してみるしかない。更紗は新たな化粧瓶に手を伸ばした。

 





「化粧を落とすだけで、ずいぶんと時間が掛かりましたね」

「申し訳ございません……」


 くつろぐ前に化粧だけは落としたいという我儘を聞き入れては貰ったが、かなりの時間が経過してしまった。待ちくたびれたように円卓に着いた慶花は、髪も解き、衣装はさすがに晴れ着から用意されていた部屋着とくつろいだ格好にはなっていたが、化粧はそのままだった。


「慶花様、お化粧は」

「ああ、湯浴みの時にでも流すからいいのです」

「そうですか……」


 そうか。湯浴みの時に落とすという手があったのか。

 今更ながらに気が付き、疲れた慶花を待たせてしまった罪悪感に駆られる。


「申し訳ございません。化粧に慣れていないもので……落とし方もよくわからず時間が掛かってしまいました」

「そんなことだろうかと、薄々は思っておりました」


 どうやら読まれていたらしい。少し情けない気持ちで椅子に着くと、扉の外から声がした。


「失礼致します」


 宮女の楼杏と香蓮がいい匂いと共にやってきた。二人が手にした盆には、小鍋と大きな蒸籠が乗っていた。二人の宮女は、手際よく円卓の上を賑やかなものに仕上げていく。


 まず白い小花をあしらった花器。野の花のような素朴な花々で円卓を彩る。今度は楼杏が汁物を小鍋から、塗り物の椀へと注ぐ。とろみのある黄金色の汁から、ふわりと香る。この匂いはきっと貝柱で出汁を取ったものだろう。蓋を開けた蒸籠には、つるりと艶やかな白い饅頭と、柔らかそうな黄味色の饅頭が並んでいた。翡翠色の茶碗には、淡い新緑色をしたお茶が注がれる。微かに燻したような匂いが鼻を掠める。


 軽い軽食のつもりだったが、汁物はかなりの具だくさんで食べ出がありそうだ。饅頭も二品だけかと思ったが、まだ下には蒸籠がもう一枚重ねられていた。そこには魚介のすり身が包まれた蒸し物が並んでいた。淡い紅色や翡翠色に真珠色と、色も形も様々だ。どれも一口で食べられる大きさに整えられていた。これだけでも十分お腹がいっぱいになりそうだというのに、必要なら食べ終わったらまた蒸し立てのものを用意するという。


「御用の際は、こちらを鳴らしてお呼びください」

 小さな呼び鈴が円卓にそっと置かれる。慶花は呼び鈴を目にすると「いいえ」と首を振る。


「こちらは不要です」

 一瞬、呼び鈴を差し出した香蓮の表情が曇る。しかし慶花は淡く笑みを向けて言う。

「料理はこれで十分ですし、後片付は朝餉の時に引き上げてくだされば結構です」


「なんだか、すごいですね……」


 二人の宮女が退室した後、更紗は溜息を吐く。

 さらには野菜と蒸し鶏を透き通った米粉の皮で巻かれたものや、赤や緑の小ぶりな野菜の酢漬け。葡萄や杏に苺といったこの季節にはないはずの果物。二人で食べきれるか不安になるほどの料理が円卓に並んでいる。


「あの、どうしてお断りになったのですか?」

「ああ、呼び鈴ですか?」

 

 慶花は察しがいい。更紗は無言で頷いた。


「あんな小さな呼び鈴の音など、遠くまで届くわけがないと思いませんか?」

「はい……言われてみれば」

「扉の外で聞き耳を立てられていては、大事なお話が伺えませんから」

「あ……」


 そうか。宮女たちはいつ呼び鈴が鳴らされても気づけるよう、扉の外で待機していたのか。


「ほら、冷めてしまわないうちにいただきましょう」

 慶花が匙を取る。つられて更紗も匙を取る。

「いただきます」


 せっかく匙を持ったので、まずは汁物から手を付ける。汁は思った通り、とろみのついたものだった。軽く息を吹きかけ、そっと口に含む。上品でやさしい貝柱の風味と柔らかな卵の舌触り。喉を滑り落ちると、ふわりとお腹が温かくなる。


「美味しいですね」

「ええ。身体が温まります」

 にこり、と慶花が微笑む。


「食事をしながらで構わないので、さっそく伺いましょうか?」

 一瞬、何のことだろうかと首を傾げる。


「もうお忘れになったのですか? 人払いまでしたというのに」

「す、すみま……いえ、申し訳ございません。庭園でのこと、でしたね」 


 絹蘭、と耳元で囁いた公理の声が、暖かな胸に抱かれた感触が蘇る。

 あんな刃物のような雰囲気を醸し出している方でも、あんなに穏やかな眼差しを向けたり、優しい声で囁いたりするなど予想外だった。 


「更紗殿?」

 催促すらような声色に、更紗は慌てて口を開く。

「すみません、どう話せばいいか考えてしまって」

「あったことを順に説明してくだされば結構ですよ」

「はい……」


 順に、か。

 よし、と更紗は気を引き締めた。

 更紗は庭園での出来事を、淡々と、客観的に語った。


 出来るだけ客観的に、抱いた感情を交えないよう語った。最後の項への口付けは、思い出しただけで顔から火を噴きそうなので省略した。

 

「…………」


 公理の行いは恐らく予想外だったのだろう。彼女は匙を持つ手を止めたまま、一言も口を挟まない。表情もなく、じいっと更紗の話を聞いていた。


「ですから、絹蘭と恋仲だったのかもしれないと思ったのですが………あの、慶花様?」


 慶花は匙を放り出すように椀の中に入れると、片手で額を抑え盛大な溜息を吐いた。洗練された彼女の仕草からは少々かけ離れた投げやりな仕草に、更紗は目を丸くする。


「あなたは……」

「は、はい」

「莫迦ですか?」


 愚図の次は莫迦ときたか。

 なんだか慶花には罵られっぱなしだなと思いながらも、あながち外れていないものだから反論できない。


「なぜされるがままなんですか? そのまま手籠めにされてもおかしくない状況ですよ」

「さ、されるがままじゃありません!」


 口付けされそうになったところを回避したのだと伝えると、今度は眉間に皺を寄せて深い溜息を吐く。


「……相手を煽ってどうするんですか」

「煽ってなんていません」


 むきになって反論するが、濃紺の瞳がそれを跳ね除ける。


「その結果、あのような状況では否定はできないと思いすが」

「え……」


 そうだ。口付けは避けたものの、抱きすくめられ、挙句の果てに……。

 みるみる頬が上昇するのがわかる。きっと慶花にも気づかれているだろう。

 そんな更紗の様子を見て、慶花は再度溜息を吐く。


「……公理様は責任感がある方ですから、恐らく戯れで女性に、ましてや星詠み姫候補に手を出すとは考えられません。ですから絹蘭様と恋仲という可能性は高いと思われます」

「本当ですか?」

 

 よかった。と思ったのと同時に気が付く。

 絹蘭は妊娠しているとだけ告げたが、堅くなに相手の名を明かさなかったことを。

 もし相手が公理なら納得がいく。相手が第二皇子なら、家同士の問題だけでは済まされない。


「ですが、その場合、あなたが替え玉だと気付かれた可能性も高い」

「そう、ですよね……」

「また公理様が、あなたに接触しようとするでしょう。まだ公理様も疑念を抱いているが、あなたが替え玉だという確信はない。今度会えば恐らくバレるでしょうね」

「…………はい」

 力なく頷く。今度二人で会ったら、絶対に正体を知られてしまう。慶花の言う通りだ。

「とにかく、あなたは色々と迂闊すぎます。明日から私と行動を共に致しましょう」


 慶花の思いがけない申し出に、更紗は目を丸くした。

すっかり更新が遅くなってしまいました……。

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