夜に鳴く虫
「公理様に、ですか」
「はい。あと、絹蘭をよくご存知のようでした」
本当はご存知どころではすまないが。
公理と絹蘭は恋仲なのだろう。優しく和んだ眼差し、優しく包み込む腕の感触。公理の一挙一動が事細かに甦る。恋愛とは無縁の自分がいうのも何だが、あれは戯れなどではないと思う。
「この王宮で、絹蘭様をご存知ではない方のほうが少ないかと思いますが」
「あの、なんと言いますか……ずいぶんと親しげな様子でした」
「親しげな様子とは?」
詳細を促され、更紗は言葉に詰まる。
まだ公理の温もりは生々しい。耳に掛かった吐息や、柔らかな唇の感触すらも。思い出しただけでも頬が熱くなる。
「更紗殿?」
「は、はい」
声が裏返る。聡い彼女に心を見透かされやしないかと思うだけで、胸の鼓動が速くなる。慶花は怖いくらい真っ直ぐな目で更紗の様子を伺っていたが、不意に低く囁く。
「ここでは言いにくいことですか?」
どきり、とする。ほら、やっぱり鋭い。
「……やはり場所を変えましょう。それに宴の主役が二人抜けては会もお開きになりません」
そうだ。宴が。
公理との出来事で頭がいっぱいになって失念していた。慌てて衣についた土埃を払う。慶花もやれやれといった具合に小さな溜息を吐いたのを見逃さなかった。
ああもう。自分の迂闊さが嫌になる。
宴とて星詠姫候補として大事な役割だというのに。王宮での行動の一つ一つが肝心なのだと、わかっていたつもりだった。でも実際はつもりだっただけだ。
真面目に取り組まなければ。自分には無理だと言ってる場合ではないというのに。
今更後悔したところで、公理との邂逅は取り消せるわけではない。慶花にきちんと話して、今後の振る舞いを考えなければならない。
「絹蘭様、戻りましょう」
そうだ、わたしは絹蘭だ。慶花はそのようなつもりは無いのだろが改めて名を呼ばれて、自覚が足りないと言われているようで情けない。
「はい、参りましょう」
絹蘭として振る舞おう。そう決意したものの、安心したせいだろう。急に空腹を覚える。
途端、腹の虫が大きく音を立てる。
「ひゃっ!」
周囲が静かな分、余計に大きく鳴りく響いてしまう。
淑女らしからぬその音の大きさに自分でも驚くくらいだ。慌てお腹を押さえるものの、例の虫はまだ空腹を訴える。
「ふっ……」
慶花は口元を押さえたものの、明らかに肩が震えている。
「失礼しました……実は何も口にしていなくて」
恥ずかしさのあまり言い訳をしてしまう。その間も何度もなものだから居たたまれない。穴があったら入りたいとは、このような心境なのだろう。
「戻ったら、軽い食事も頼みましょう」
「はい……」
「実は私も何も口にしていないのです」
笑いを噛み殺しきれない顔のまま立ち上がると、更紗の目の前に手を差し伸べる。慶花は無意識なのだろう。当たり前のように差し伸べられたその手に、更紗はそっと手を重ねる。
「……はい」
しばらくたって気が付いた。
彼女の笑った顔を、企むようなものではなく、屈託のない表情をこの時初めて見たことに。
毎度ペースが遅いですが……。
ご拝読ありがとうございました。
まだまだ続きます。




