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第三十九話 日本山岳会の方と面談

 初対面の方と会うのは緊張するものだ。

 自分より年配の方であれば尚更のこと。

 しかも今回は直接対面しているわけじゃない。

 PCのディスプレイ越しの面談。

 いわゆるオンラインミーティング形式だ。

 画面の中で相手が口を開いた。


「はじめまして。根津と申します。本日はよろしくお願いします」


「お初にお目にかかります。松田直人です。よろしくお願い致します」


 頭を下げる。

 相手にちゃんと見えているだろうか。

 いや、おかしくはないだろう。

 自宅からとはいえ、ワイシャツ姿なのだから。

 髪もきちんと整えている。

 相手――根津さんは「それでは始めましょうか」と穏やかに言った。

 見た目は50代後半。

 日本山岳会所属のベテラン登山者。

 三ッ瀬の名刺を頼りに日本山岳会にコンタクトしたところ、この方を紹介された。

 三ッ瀬の紹介であれば無下には出来ないということか。


 心持ち背を伸ばす。

 僕の話したいことはあらかじめメールで伝えている。

 それは承知の上で僕の人となりなどを判断したいらしい。

 さすがにいきなり「冬の奥穂高に登りたいので案内してください」とは言えない。

 不躾ではありますが、と低姿勢で切り出した。

 その上で「もしご相談に乗っていただければありがたく存じます」とお願いした。

 そうしたら後日、日本山岳会からオンラインによる面談の連絡が来たというわけだ。

 自分にとっては山の大先輩による面接のようなもの。

 緊張するなと言われても無理がある。


 幸い根津さんの問い方は穏やかだった。

「メールは見ました。なるほど、冬の奥穂をやりたいと。それで三ッ瀬君のツテを辿ってこちらに連絡したわけですね」と話し出す。

 心持ちゆっくりとした話し方だ。

 こちらの緊張をほぐそうとしてくれているのかもしれない。

 僕は素直に「はい。その通りです」と答えた。

 根津さんは頷き、幾つか質問してきた。

 登山のキャリア、冬山の経験、最近登った山など全て山関係のことだ。

 盛っても仕方がない。

 全部正直に話す。

 僕の答えを聞きながら「ふむ」と根津さんは頷いていた。

 オンラインなので微妙な雰囲気が分からず、少しもどかしい。

 次は何を聞かれるのだろうか。

 そう思った時だった。


「松田さんは何故冬の奥穂に登りたいと思っているんでしょうか?」


 切り込むような問いだった。

 恐らく聞かれるだろうなとは予期していた。

 だけど準備していた答えでは物足りない気がした。 


「去年の1月、山岳部時代の友人が亡くなりました。ご遺族にその人の大学時代の日記を託されました。読んでみたら、冬の奥穂に登りたかったと書いてありました」


 事実はこの通りだ。

 だがこれだけだと恐らく伝わらない。

 その程度のことではわざわざ冬の奥穂高という難関に挑むモチベーションにはならない。


「その人の遺言、というよりメッセージに心打たれたのもあります。弔い合戦的な意味もあるのかもしれません」


 嘘ではない。

 嘘ではないが、全てでもない。


「ただそれに加えて、僕自身が見てみたいのです」


「何をでしょう?」


「冬の雪に染まった奥穂高の頂上からの景色を。またそこに挑むことによる自分自身の限界を」


「......ほう」


 根津さんの表情が動いた。

 沈思するかのように視線がやや下を向く。

 僕は話し続けた。

 言いたいことはここで言わないと。


「心のどこかでコンプレックスがありました。山岳部の皆はそれぞれの道を歩んでいます。それなのに僕は学生時代から進歩していない。社会経験は積んだかもしれないけど、自信を持てないままです」


 皆のことが嫌いなわけじゃない。

 大学を卒業した後でもある程度好感は持っている。

 幸せになってほしいと思っているのは嘘じゃない。

 だからこそかもしれない。

 自分は大したことないからと自分に言い聞かせて。

 楽な道に逃げているのが嫌になったのは。


「公務員試験を受けたのも、1つには民間で競争することが嫌だったというのはあります」


 今の仕事自体は嫌いではない。

 だが心のどこかでいいのだろうか、と思っている自分がいる。

 公務員の職務を通じて社会を良くしたい。

 その思いは嘘ではない。

 だが、安定志向に染まりきってしまっていた。

 自分は大したことないから。

 だから別にこのままでも良いんだと。

 全部を全部、赤裸々に根津さんに話すつもりは無かった。

 初対面の相手だ。

 いきなり言われても戸惑うだろう。

 だが、せめて要点は伝えないと。


「冬の奥穂にチャレンジして登れたら、現状打破出来そうな気がするのです。自分の殻をぶち破って、新しいものが見えてくる......だからやってみたいんです」


「なるほど。自らの成長の為ということですか」


「はい。それも含めて登る価値がある。そう思っています」


 言い切った。

 他人が聞いたらどう思うか。

 そこまで考えは回っていなかった。

 とにかく自分が言いたいことは言わないと駄目だ。

 その熱に押され、言葉は自然に紡がれた。


 登山自体は難しいとはいえ、登ったからといって社会での価値は無い。

 冬の奥穂高に登っても登山経験者が「ほお」とちょっと感心してくれるくらいだろう。

 今までに登った人も何人もいる。

 だが。

 価値があるかどうかは外からどう見えるかだけなのか。

 自分自身が自分の行為をどう見るか。

 自分自身が自分の行為を誇りに思えるか。

 そういった視点に立てばまた変わってくるはずだ。


「根津さんから見れば甘い動機かもしれません。ですがもし、僕が参加出来そうな奥穂への山行があれば」


 頭を下げた。

 虫の良いことを言っている意識はあった。

 けれど面子などどうでもいい。


「ぜひよろしくお願いいたします」


 伝わっただろうか。

 1秒、2秒。

 ほんの短い時間のはずなのにやけに長く感じた。

 画面の向こうからは何も聞こえてこない。

 恐る恐る顔を上げる。

 根津さんは「うん、なるほど」と頷いている。


「悪くないですね。三ッ瀬君の知り合いということなので元々無下に断る気は無かったのですが。そうですか、そこまで冬の奥穂に登りたいと」


 滑らかな話し方ではない。

 むしろ朴訥な話し方だ。

 だがその分だけ奇をてらっていない。

 本音で話してくれていると分かった。


「2月にね。ちょうど冬の奥穂をやろうと思っているんですよ。長野にいる友人夫妻と一緒にね」


「それは」


 心臓が跳ねた。

 根津さんは「まあ聞きなさい」と笑う。


「元々3人パーティーで登る予定でしたが1人くらい増えてもいいでしょう。あなたから見れば結構な歳の者ばかりだが......それでもよければどうです? ああ、ガイド料などは不要です。プライベートなのでね」


「ぜひよろしくお願いします」


「はは、大事なことだ。即答しなくてもよろしいよ。分かりました。詳細はメールします。それをよく読んでから参加の可否を教えてください」


「はい、承知しました。ありがとうございます!」


「元気でいいなあ。いや、そうだな。私も若い登山者の方を手助け出来るなら、この年まで山をやっている甲斐があったというものだ」


 根津さんのご厚意に甘える形になる。

 我ながら図々しいとは思った。

 だがこれを逃せばもう機会は無いだろう。

 悪いと思うなら荷担ぎやラッセルで貢献して返せばいい。

 もう一度「よろしくお願いいたします」と頭を下げた。


「そう何度も頭を下げなくてもよいよ。じゃ、後でメールしますから。今日はどうもありがとう」


 そう言って根津さんはさっさとオンラインを打ち切った。

 こちらが礼を言う暇も無い。

 拍子抜けしたけど、いや、気を抜いている暇は無いな。


 "奥穂へのプロセスが決まった"


 誰と登るかという点は少なくともクリアした。

 日本山岳会のベテランと同行か。

 これ以上の条件はまず無い。

 後はメールで詳細を確認しよう。

 そう決めて僕もオンラインを打ち切った。



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