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第三十八話 2024年の抱負

「一年の計は元旦にありです」


 何言ってんだ、こいつは。

 僕は息巻く後輩を見ながら黙っていた。

 明けて2024年、仕事始めの日からこれだ。

 しょうがないから話に付き合ってやる。


「よくそう言うよね。ちなみに何を計画しているんだい」


「いちいち言わせるんですか? 結婚ですよ、け、っ、こ、ん! 一応これでも適齢期ですからね」


「恋人を作るより先に結婚が来るのか。急いてはことを仕損じるって知ってるかい?」


「大は小を兼ねるとも言うじゃありませんか。大丈夫です。結婚を目標に頑張れば恋人フラグは自動的に立ちます!」


「乙女ゲーのやり過ぎだろう。現実は甘くないぞ」


「可愛い後輩の夢をぶっ壊して楽しいんですか!? 松田先輩の鬼!」


「リアリティに欠ける計画は達成出来ないと教えているんだ。とても優しい先輩だと自負しているよ」


 淡々と諭してやる。

 僕の言葉に後輩が「うっ、反論出来ない」と顔をしかめた。

 計画倒れにしたくないならもう少し地に足を着けた計画にしなよ。

「まったく」と呟き時計を見る。

 12時40分。

 まだこの雑談を続けるくらいの時間はある。


「登山だって同じだよ。初心者がいつかはエベレストに登りたいと考えても、そのままじゃ絶対に到着出来ないだろう。まずは手近な山、それこそ高尾山に登ってみるのが普通だ。一度登れば興味が沸いて、次はこの山がいい、その為にはザックや登山靴が必要だ、と考えるようになる」


 この説明を聞いて後輩が首をかしげた。


「え、ちょっと意外ですね。先輩って、まず登山ショップに連れて行って必要なものを買わせるタイプかと思っていました。いきなり高尾山登らせるんですか?」


「ああ。そもそも超初心者は山が楽しいかどうかも分からない。まずは登ってみて登山って悪くないな、と思ってからでも遅くない。というか登山靴などを買う意欲が出てくる」


「なるほど。確かに高尾山ならケーブルカー使ってお手軽に登れるし、それはありですね」


「だろ? それにさ、高尾山に登れば周りの登山者が自然と目に入る。その人達の格好を見れば大体どういう装備が必要なのか、納得するだろうし。登山のガイドブック読むより、この方が手っ取り早いよ」


 百聞は一見にしかずと言う。

 もっともこれは高尾山という安全が限りなく保証された山があるから使える手段だ。

 後輩もそれは分かっているらしい。

「高尾山がお試し体験ってことですね」と理解してくれた。

「何でも山に例えちゃうところは先輩らしさ満載ですね」とは余計だが。

 そこまで言ったところで会話が一瞬止まった。

 切り上げるか、と思った時。


「で? 松田先輩の新年の抱負は?」


 それか。

 僕の中では決まっている。

 けどすぐに教えるのも何だかな。

「当ててごらん」と聞き返す。

 後輩は「クイズですかぁ」と言いながら腕を組んだ。


「去年の先輩の行動から考えて、結婚じゃなさそう」


「正解。ちなみに永遠に独身でいる気は別にないから。一応言っておくけど」


「その割にまったく行動していないようですが。ま、それは置いといてと。管理職試験、ってわけでもなさそうですね」


「うん、違うね。別に今年合格しなくてもいいし」


「そんなこと言ってていいのかなーと思いますが。課長が言ってましたよ? 松田君はもったいないなあって」


「やる気になったら受けるさ。で、既に2回外しているわけだけど」


「回数カウントしているんですか。性格悪くないですか、それ? んぬ、なら当てますよ。山でしょ、簡単ですよ」


「簡単過ぎたな」


 苦笑しながらお茶を一口啜った。

 そうだな、分からない方がどうかしている。

 後輩もそろそろとお茶を飲んだ。

「猫舌なんですよね、私」とぼやいている。

 そんなこと言われても知らん。

 後輩はそのまま宙に目を泳がせていた。


「山って言っても色々あるわけでー。さすがにどこの山かは分からないんですけどー。ええい、当てずっぽうだ! キリマンジャロ!」


 キリマンジャロ。

 アフリカはタンザニアによる山だ。

 標高5895メートルにも達するアフリカ大陸最高峰で、ってそんなことはどうでもよくって。


「いきなり海外!? 僕の好きなコーヒーの銘柄と勘違いしてない!?」


「へぇ、そうなんですか。私、コロンビアが好きなんですよね。風味が柔らかくて」


「中々通だね、って別にそんなこと聞いてないんだけど」


「いや、山の名前ってほんと知らないんで詰んじゃって。あとはそう、ベスビオ山は聞いたことがありますよ」


「ああ、イタリアのナポリの近くのね。大昔に噴火して近くのポンペイという街が火山灰に埋もれて......って世界史の授業か!」


「先輩よく知ってるじゃないですか。ちょっと感動しました。私の中で先輩の株が上がりましたよ。0.01ミリくらいですけど」


「目で見えないレベルじゃないか」


「中々上がらない方がありがたみがありますからね。ええと、そうじゃなくて。で、結局先輩が目標にしている山って何なんですか? まさかのエベレスト?」


 とりあえず言ってみましたという感じだな。

 でも聞かれたからには答えないと。

 素直に「冬の奥穂高。2月にやるから」と言ってみた。

 後輩は目をぱちくりしている。


「え、奥穂高って上高地から行く山じゃなかったです? なんかすんごい高い山ってことは薄っすら覚えているんですけど」


「正解。標高3190メートル。日本第3位」


「......2月って来月じゃないですか。バリバリの雪が積もった冬山ってことくらいは分かりますけど、そんなの登れるんですか?」


 後輩の顔が少し強張っている。

 現実味がある話になったらからか。

 エベレストやキリマンジャロは冗談にしかならないもんな。

 登れるんですか、か。


「ああ。登れる。というか登るさ」


「よくやりますね......ニュースで冬山で遭難事故聞くし、正直なところやめといた方がと思うんですけど」


 そうだよな。

 普通はそう思う。

 だけど、僕にも理由があるんだ。


「――約束した人がいるんだ」


 誰とまでは言わなかった。

 後輩もそれ以上は聞いてこなかった。



 冬の奥穂高に挑むにあたって考えなければならないことが幾つもあった。

 登山スケジュール、装備、必要経費、そして何より誰と行くのかだ。

 登山を再開してから基本的にはソロで登ってきた。

 山岳部時代の経験もあったので、無茶しない限りは大丈夫と考えたためだ。

 登山仲間になれそうな友人もいなかったのもある。

 ただ、本格的な冬山となるとソロはきつい。

 雪が深くなった場合のラッセルも一人でやらねばならない。

 冬山で使う道具も全部一人で背負わねばならない。

 お互いをロープで結び、風で体勢を崩されるのを防いだりというのも出来ない。

 夏山より冬山の方がソロ登山の厳しさが増す。

 それも格段に。


 2023年末の硫黄岳くらいなら僕一人で行けた。

 だが奥穂となると無理だ。

 ソロだと死にに行くようなものだとは思わない。

 ただ死んでも全然おかしくない、という程度のリスクは潜んでいる。


 "まだ死にたくないんだよね"


 特に夢とかあるわけじゃあない。

 でも生きたいか死にたいか選べと言われたら、やっぱり生きていたい。

 自ら死地に飛び込むような愚を犯すほど酔狂じゃないつもりだ。

 というわけで単独行(ソロ)は捨てた。

 じゃあ誰とどうやって登るのか。

 幾つか選択肢はある。

 希望者を募ってガイドが随行する登山ツアー。

 SNSでその場限りの登山仲間と一緒に登る。

 個人でガイドを手配する。

 考えてはみたけれど。


 "どれも一長一短なんだよなあ"


 ベッドにごろりと寝転がった。

 登山ツアーは都合よく奥穂に登るツアーがあるのか不明だ。

 SNS繋がりは相手が信用出来るか分からない。

 個人でガイド手配は確実だが、料金が相当かかる。

 いや、文句だけ言っても仕方ないか。

 とりあえず使えそうな登山ツアーがあるか調べてみようか。

 ――いや、待った。

 脳裏に閃いたものがあった。

 ベッドから跳ね起きる。


「確かザックのポケットに」


 日帰り用のザックを探る。

 そうだ。

 去年の秋、三ッ瀬と大岳山に登った時だ。

 別れ際に名刺をもらったはずだ。

 日本山岳会の連絡先が書いてあると言っていた。

 あった、これだ。

 しわくちゃにもならず仕舞われていた。


「あの時の自分、ナイス」


 小声で自分自身を褒めてみる。

 名刺には北アルプスの山々が透し彫りされている。

 書かれているのは窓口となる人のフルネーム、連絡先の電話番号とメールアドレス。

 よし、ともかく一度コンタクトしてみよう。

 三ッ瀬の名前を出せば門前払いはされないだろう。

 されたらその時はその時だ。

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