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第二十五話 普通に登って岩も登って

 神社を通り過ぎると本格的な登山道になった。

 木々が左右から迫る。

 その間を縫うようにして登りが続いていた。

 三ッ瀬が前、僕が後ろ。


「秋を感じるねえ」


 三ッ瀬が言う。

 ぐいぐいと前へ進む背中に返事をする。


「ああ。ミズナラも色づいて綺麗だね」


「どの木だっけ。ああ、あれか。よく木の名前とか覚えているな」


「何種類かだけだよ」


 登山の楽しみ方も人によって違う。

 ひたすら山頂を目指し、自分を鍛えることが好きな人。

 山からの眺望が好きな人。

 都会から一時的に逃れ自然の中に身を浸すのが好きな人。

 山でしか見られない草木や花が好きな人。

 それぞれだ。

 僕は別に植物愛好家ではない。

 それでも山には珍しい植物が生えていることくらいは知っている。

 何種類かの名前は自然と身についた。

 三ッ瀬はまるで興味が無いのだろうか。


「まったく覚えていないとか?」


「流石にコマクサくらいは知ってる。北アルプス登れば嫌でも目立つ」


「ああ、まあ......うん。そりゃ覚えるよね」


 他には知らないらしい。

 これ以上突っ込むのは野暮だ。

 僕にしても数種類しか知らないので、人のことはとやかく言えない。

 そのままぽつぽつと話しながら登っていった。

 動き続けると自然と暑くなってくる。

「小休憩しよう」と言って斜度の緩いところで止まった。

 三ッ瀬が振り返る。


「どうした?」


「衣類調整。一枚脱ぐ」


「そうだな。体も暖まってきたし」


 駅に着いた時とある程度動いた後では体感温度が違う。

 秋とはいえ日差しは温かい。

 アウターを脱いでザックに丸めて押し込んだ。

 三ッ瀬も同じようにしている。

 半袖だが寒くないのだろうか。

 というか、二の腕が太い。

 体全体の厚みが大学時代より一回り厚い。

 自然と感嘆の声をあげていた。


「鍛えあげたって感じがするね」


「ん? ま、そうかもな。出来る限りのことはしてきたと思う」


 こともなげに言う。

「やらないと命に関わるからなあ」と笑うが、こちらは笑えない。

 ジョークになっていない。

 歩き出す。

 オレンジ色になったミズナラの葉の横を通り過ぎた。


「普段のクライミングの成果か。それともジムで」


「両方だな。ジムはあんまり行かない。家で筋トレする方が多いね」


「へえ? バーベル持ち上げたりしてるのかと思ってたんだけど」


「いちいち車出して着替えてって面倒だろう。家で自重使ったトレーニングする方が便利だ。普通の人がする筋トレとそんなに変わらないね」


 ほんとかな。

 クライミング用のハードトレーニングしてそうなんだけど。

 三ッ瀬が「ただし指はやってるね」と付け加えた時に「やっぱりな」と反応してしまった。


「鉄粉を敷き詰めて指で突くとか、巻き藁を指で突くとかだろ?」


「松田、お前変な武術漫画に囚われてるだろ。そんなわけあるか。天井近くの手がかりに片手でぶら下がるくらいだよ」


「それも大概見た目やばいと思う」


 敢えて言ってみる。

 三ッ瀬は頭を掻いていた。


「握力鍛えておかないとまずいからな。トレーニング中に人に会わなきゃ問題ない」


 簡単に言うけどさ。

 片手で成人男性一人の体重分だけぶら下がるって相当きついぞ。

 鉄棒の懸垂を右手一本でやるようなものだ。

 クライミングのきつさをひしひしと感じる。

 だけどプロのクライマーだからこれくらいはやるんだろうな。

 思わず「辛くないか、そんな生活」と聞いてしまった。

 三ッ瀬は振り返らない。

 肩越しに「辛いことは辛いね」とだけ答えてくれた。

 少しだけ間が空く。


「でも自分で選んだ道だからな。落ちたらどうする。ガイドをしている時に不覚を取ったらどうする。そう思うとやっぱり手は抜けないね。辛くてもな」


 言葉の端に自負が滲んでいた。

 どう返すべきか考える。

 その間にも登り続けていた。

 やや大きめの石に足をかけ、体を持ち上げる。

 そのまま山道の先を見た。

 お?

 ちょっとした鎖場になっているようだ。

 岩が組み合わさって行く手を阻む。

 頂上から鉄鎖がジャラリと垂れ下がっている。

 ただ歩くだけではここは登れない。

 難しくはない。

 けれどハイキング気分では乗り切れない。

 三ッ瀬が「こういう場所もあるか」と笑った。


「なんてことないけど、登山初心者が見たらびびるやつだよな。先に登っていいか」


「どうぞ。後学の為に下から見物するよ」


「じゃお先に」


 言うが早いか、三ッ瀬が鎖を手に取った。

 と思った瞬間、岩に取り付いていた。

 速。

 左足が岩にかかった。

 と思ったら凄い速度で体が跳ね上がっている。

 念の為に鎖を掴んではいる。

 だけどほとんど使っていない。

 数々の登攀をこなしてきただけある。

 気がついたらもう登りきっていた。

 10秒もかかっていない。

 小さい岩場ではある。

 だけど一応5メートル位はあるのに。


 "感心していても仕方ないか"


 続いて登る。

 鎖は持つけど頼り過ぎない。

 あくまで補助だ。

 三点支持をキープして確実に登った。

 ちゃんとやれば怖い岩場じゃない。

 登り終えて三ッ瀬に声をかける。


「下から見ていたけど凄いスピードだった。やっぱりプロは違うな」


「毎日やってるからな。これくらいは出来ないと恥ずかしいだろ」


 淡々とした答え方が逆に凄みを感じさせる。

 卒業してからもやっているだけある。

「そうか」とだけ言ってまた二人で登り始めた。

 鋸尾根はところどころ曲がりつつも、基本は真っ直ぐだ。

 多少のアップダウンを挟みながらじわじわと高度を上げている。

 標高800メートルを超えたあたりだろうか。

 この辺りだと麓より少し紅葉が進んでいる。

 赤や黄に色づき始めた広葉樹が陽光に照らされていた。

 何とも秋らしい風景だ。

 三ッ瀬が僕の方に振り向いた。


「鋸山ってあんまり記憶に無いんだが、ここからどれくらいだ?」


「そうだな、1時間あれば着くと思う」


 腕時計を確認する。

 余裕込みでもそれくらいあれば十分。

 三ッ瀬が頷いた。


「じゃ、そこで小休憩にしようぜ。展望良かったっけ、鋸山って」


「杉木立に囲まれていて絶望的。あとここから御前山の方への分岐路がある」


「そっか。よく覚えてるなあ、松田。俺、全部忘れてるわ」


「今の三ッ瀬には必要ないからじゃないか?」


 とは言ったものの褒められて少し嬉しかった。

 競うわけではないけど、さっきの鎖場ではまったく敵わなかったからね。

 1ポイント意地を見せた感じかな。

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