呪喰の男
薄暗い倉庫の中央に、痩せた男が倒れている。
年齢は三十代前半頃だろうか。
男は生気のない顔つきで天井をぼんやりと眺めていた。
そこにスーツ姿の若い男が歩み寄る。
若い男は静かに呼びかける。
「平松さん、起きてください」
「……阿藤君、おはよう。今何時?」
「もうお昼の二時です。それより依頼ですよ」
阿藤と呼ばれた若い男は、赤黒い栞を差し出す。
痩せた男・平松は上体を起こしてそれを受け取った。
「……何これ」
「花笑刃樂……否古家の所有する呪物です。所持するだけで早死にするそうですが、捨てたり破壊しても元通りになって戻ってくるのだとか。毎晩、血を与えることで事故死を予防できるらしいですね」
「うわぁ……おっかないなぁ」
「否古家の現当主は、自分の代で呪いを断ちたいとのことです」
説明を聞いた平松は、呪われた栞――花笑刃樂を見つめる。
阿藤はさりげなく距離を取って尋ねた。
「消化にはどれくらいかかりそうですか?」
「たぶん一分半……頑張れば五十秒くらいかなぁ」
「じゃあ頑張って四十秒でお願いします」
「うーん、善処するよ」
そう言って平松は花笑刃樂を齧り始めた。
ゆっくりと丁寧に咀嚼し、残らず飲み込んでしまう。
刹那、倉庫全体に極彩色の花が咲き狂った。
床、壁、天井が花で埋め尽くされていく。
異様な光景を前にしても、二人は動揺しなかった。
平松は腹を撫でて目を閉じている。
阿藤は懐から特殊警棒を取り出して伸ばした。
花畑の一部が隆起し、歪な人型を形成し始めた。
さらに人型の両手から錆びた刀が生えてくる。
特殊警棒を構えた阿藤は異形と対峙しつつ、背後の平松に声をかけた。
「ではお願いします」
「うん……死なないでね」
異形が駆け出し、両手の刀で阿藤に襲いかかった。
阿藤は特殊警棒を素早く振るって弾く。
連続で繰り出される斬撃と刺突に対して、機械のように正確な動きで対抗していた。
「五、六、七、八……」
異形の猛攻を凌ぎつつ、阿藤は経過時間を数える。
絶え間なく振り回される刀が、彼の手足や頬を掠めていった。
阿藤は痛みや出血にも表情を変えず、平然と特殊警棒で反撃する。
強烈な突きが異形にめり込み、大きく仰け反らせていた。
順調かと思われたその時、異形が唐突に加速した。
すり抜けるように放たれた刀が阿藤の腹部を貫通する。
刺された阿藤は固まって吐血した。
「……ッ」
阿藤は特殊警棒で異形の頭部をぶん殴って怯ませると、己に刺さった刀を握り込んだ。
そのまま力任せに突進し、異形を押し倒して滅多打ちにする。
間もなく異形が蒸発するように崩れ去り、室内の花畑も幻のように消えた。
ゆらりと立ち上がった阿藤は、特殊警棒を懐に仕舞う。
「――三十七秒。さすが平松さん。凄まじい消化能力です」
「そんなことより平気なの? すごく痛そうだけど……」
「いつも言ってますが、俺は呪いで不死身なんで。これくらいすぐに治ります」
満身創痍の阿藤は、腹部の傷を見て言う。
溢れ出した鮮血がシャツを真っ赤に染めていた。
「さて、仕事も終わりましたし、ラーメンでも食べに行きましょうか」
「いやいや! まだお腹に穴が開いてるから! さすがに安静にしようよ!」
「問題ありません。味噌ラーメンが俺を呼んでるんです。早く出発しましょう」
「それ絶対に幻聴だから!」
慌てる平松を連行し、阿藤は意気揚々と倉庫を出るのであった。




