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狙われ、襲われ、助けられ


「お前リサ・グランフォードだな?」

 学院からの帰り道、道端で見知らぬ男に突然呼び止められ、リサはまたか、と嘆息した。

 これがいわゆるナンパならどれだけよかったことか。こういう風に呼びかけられ、続く言葉は「一目ぼれしたんだ」なんていうのがロマンス小説の王道だろうに、悲しいかな、これはロマンス小説でもなんでもなくリサにとっての現実なのだった。

「何の御用ですか」

 冷たく聞くリサには答えようともせず、男はいぶかしげにリサをじろじろ眺めまわす。

 そしてリサの髪に目をとめた。

「ふん、ほんとに髪色は茶色なんだな。本当に『魔女』の娘なのか?」

 やっぱり、と顔をしかめ、男を無視してリサは歩を進める。おい待て、と手をつかまれ、彼女はきっ、と男を睨みつけた。息を大きく吸い込み、ありったけの声で叫ぶ。

「この人痴漢ですー!!!!!!」

 わらわらと学院の生徒が寄ってきたのを見て、男はあわてて逃げ出した。ふん、とリサは鼻を鳴らす。生まれてこの方17年、誘拐されかかること何百回。対処法くらいわきまえているのだ、見くびるなよ、と走り去る男に舌を出した。


 彼女-リサは至って普通の娘だ。醜くはないが特別美人でもない、十人並みな容姿。王立学院においても平均ちょっと上くらいの普通の成績。これといった特技があるわけでもなく、少々お転婆で気が強いくらいの性格の、ごくごく普通の町娘。

 ところが、彼女の家-正確に言えば彼女の両親は、普通ではなかった。


 18年前、このアレディア王国を危機が襲った。王家の人間が次々に病に倒れ伏し、不安にかられた国民たちはそのとき台頭してきた邪教にのめりこんでいった。原因はその邪教集団の呪いだとわかったこの国の王子は、一人でなんとかしようと奮闘した。

 ところが相手も生易しい相手ではない。傷つき困り果てていた王子の手助けとなったのは、突然空から降ってきた黒髪の娘だった。

 『魔女』の伝説を知っていた王子はその異世界の少女に協力を仰ぎ、その異世界の少女は、王子の護衛をしていた騎士や彼女の友人となった人々、そして王子と一緒に邪教の神官を滅ぼしたのである。

 その『魔女』ナツコと、彼女と恋に落ちた騎士ダニエル。そのふたりの子供が至って普通の彼女、リサだった。


 それゆえリサは、生まれたときからある意味特殊な環境下にいた。

 黒髪の『魔女』は今でもこの国の英雄だ。そして彼女の持つ『奇跡の力』も国民に広く知れ渡っている。その『魔女』の子供が娘であると知った多くの人々はこう考えたのである。

 娘に、『奇跡の力』が受け継がれているのではないか、と。


 実際のところ、リサにはなんの力もない。髪色も、この国の半数と同じ茶色だ。けれど、『魔女』の娘という価値を見出し、それを利用しようとする人間はあとをたたなかった。加えて『魔女』の娘を娶り、『魔女』の血縁になって権力を得ようとするものも大勢いた。だからリサは……もっと言えば『魔女の娘』は、生まれたそのときから多くの人間にその身を狙われ続けてきたのである。

 それに、とリサは自分の長くはない半生を思い返す。物心つく前から大人には狙われ、子供には媚を売られるか、もしくは遠ざけられてきた。『魔女』の娘にうかつに近寄って不興を買いたくないということなのだろう。小さな町だったからかもしれない。父はナツコと結婚したあと騎士をやめ、小さな町に引越し、そこで商売を始めたのである。だから、リサはある意味有名人だった。悪目立ちしていた。友達も出来なかったし、あの町にいい思い出はほとんどない。

 明るく優しく、リサを守り、愛してくれる両親のことは大好きだ。けれどあの環境が辛くて、15歳になったとき、リサは王都にある王立学院に入学するため家を出た。


 それから最近まで、それまでからは考えられないほど平凡な日々をすごした。王都には大勢の人がいる。誰もリサが『魔女』の娘だなんて知らなかったし、たくさんの友人も出来た。不幸なことに恋人という存在は作ったことはなかったが、それでも彼女の生活は充実し、楽しい学生最活だった。

 ところが、ここ半年くらいでまた身の危険が増えた。今日のように声をかけられるだけならまだしも、力ずくで誘拐されかかったことも1度や2度ではない。

 リサにはその理由がわかっていた。

 もうすぐリサが18歳になるからだ。

 結婚が許されるその歳に。

 何より-『魔女』がこの世界に降り立ち、そして『奇跡の力』を覚醒させたのと同じ歳に。


 やっとの思いで現在の住まいであるアパートに帰ってくる。部屋に入り、ふう、と息をついた。そこでしまった、と気づく。食材を買ってくるのを忘れたのだ。もう買いだめの分はほとんどない。帰り道に市場に寄ろうと思ったのに、どっかのバカのせいですっかりそのことを忘れていた。

「ほんと迷惑……」

 悪態をつくと、脱ぎかけたコートを再び着なおし、リサは外へ出た。


「あら、リサどこか行くの?」

 階段を下りると、隣人であるリッカに出会った。ちょうど帰ってきたところらしい。そこの市場まで、とリサが答えるとリッカは少し眉根を寄せた。美人のリッカがやるその仕草は憂いがあって艶っぽいとリサは思う。

「気をつけなさいよ、なんだか最近物騒だから」

「うん」

 曖昧に笑う。物騒なのは自分……というか自分を狙うバカのせいだ。近所でも評判の美女のリッカにもその被害が及んでいるかと思うと申し訳なくて涙が出る。しかし彼女に自分の素性がばれるわけにもいかないので、「ほんと最近変態が多いよねー春間近だからかなー」と誘拐犯をひとくくりに変態呼ばわりしておいた。


 リッカと別れ、夕焼けのなか市場へ急ぐ。さすがに日暮れまでには帰りたい。

 なのに。

「リサ・グランフォード」

 またか、とリサは舌打ちした。先ほどの変態、もとい誘拐未遂犯の男がそこに立っていたのである。

 人通りの少ない道。叫んだら人は来てくれるだろうか。

「だからなんなのよ!わたしには何の力もないんだっていってるじゃない」

「いつあの『魔女』みたいに力を覚醒するかわからないからな。お前を捕まえておいて損はないだろう」

「思考がぶっ飛びすぎなのよ!」

 勇ましく怒鳴る。そして昼と同じようにまた叫ぼうとして、それは後ろから伸び出てきた大きな手に塞がれた。

「もがっ」

「さすがに何度も同じ手は食わないさ。仲間を連れてきた。大人しいガキかと思ったら、あんな大声で叫ぶなんて、鼓膜が破れるかと思ったぜ。彼氏もいないわけだよな」

 にやにや笑われる。余計なお世話だ、とリサは思った。もちろん文句をつけようとも思ったが、力強い手が口を塞いでいるせいで彼女の言葉はもがもがと吸収されていく。


「なんならオレたちが男を教えてやろうか?」

 下卑た笑いを浮かべ、男がリサに近寄る。なんで、なんだってわたしはこんな目に合わなくちゃならないんだ。こんな最低なことってあるだろうか。バカ、変態、ロリコン、滅びろ。思いつく限りの罵詈雑言を心の中でわめく。リサの瞳は怒りの炎と恐怖の涙でできらめいていた。

 

 男の手がリサの顎にかかる。

 最後の最後には舌でも噛み切ってやる、と近づいてくる男を睨みつけていると、ふいに男がピタリと止まった。

「……?」

 そして、リサを羽交い絞めしていた男の手の力も弱まる。

 彼女は解放された。

 そこで、ようやく誘拐犯たちの背後に、王国騎士団の制服を来た男たちが立っているのに気づいた。


「あ……」

「大丈夫ですか」

 リサを羽交い絞めにしていた男をすばやく捕縛すると、彼女と同じくらいの年齢の青年が心配そうな顔でリサに走り寄ってきた。優しげで穏やかな瞳が曇っている。その様子に思わず子犬を思い出したリサは笑みを浮かべて「大丈夫です」と答えた。


 リサの正面にいた男を捕縛していたのは、大柄で精悍な顔立ちの青年だった。リサがお礼を言おうと視線を向けると、にぱっ、と笑う。野性的で精悍な顔立ちに浮かべる何のてらいもないその笑顔は、リサの気持ちをこれ以上なく安心させた。

「大丈夫かー?いやー、お嬢さん勇気あるねえ。あんな場面で敵のこと睨みつけるなんて、コイツより度胸あるよ」

 コイツとは、リサに駆け寄ってきてくれた子犬のような青年のことらしい。ひどいですっと彼が膨れる。リサはもう大丈夫だ、という安堵を覚え、深く頭を下げた。

「助けてくださって、ありがとうございました」

 その言葉に、大柄な青年は微笑み、優しげな青年は照れたように笑う。ところが、その大柄な騎士が続けた言葉は、リサの予想していたものとは少し違っていた。

「いいのいいの、困ってる国民を助けるのが俺たちの仕事だからね……といいたいところだけど、時にお嬢さん、ちょっとお願いがあるんだよね」

「……なんでしょう」

 いぶかしげに、彼を見つめる。その視線に苦笑して、彼はそっと懐から金色に輝くボタンを取り出して、リサに手渡す。

「一緒に来てもらえるかな、お嬢さん」

 その言葉に、リサはため息をついた。



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