浴場で
御尾家の外風呂は露天風呂、それもいわゆる岩風呂だった。
足元は石を敷き詰めた上でしっかりと磨かれ、平らになった状態。風呂の周りの岩は形を残したまま使われていて、大きいものも小さいものもある。
お湯は沸かしたものを送り込んでいるので温泉ではないものの、空に浮かぶ月と周囲の自然が相まって、ある種幻想的な和の風景を作り出していた。
実は、俺は昨日もここを使わせてもらっている。だから今日が初めてというわけではないのだが、それでも景色から受ける感動は変わらない。小さい頃から何度も入っているであろう華澄もきっと同じだろう。
「綺麗……」
「お気に召していただけたけたのでしたら、幸いです」
周囲を見回しながら呟いた羽々音さんに、華澄が微笑む。仲がいいのか悪いのか、少女たちは並んだまま歩いていく。
と思ったら、二人が途中で立ち止まってこちらを振り返った。
「御尾くん?」
「悠人様、どうしました?」
「あ……いや、なんでもないよ」
首を振って歩き出しつつ、俺は心中で叫んだ。
……目のやり場に困ってたんだよ!
何しろ、華澄と羽々音さんは裸だ。一応、大きめのバスタオルを身体に巻き付けてはいるものの、それ以外は何も身に着けていない。
当然、羽々音さんの起伏に飛んだ柔らかそうな身体も、華澄の細く張りのある身体も、その質感をありありと感じ取れてしまう。
とはいえ、今更「これはマズイのではないか」と言っても仕方のない話だ。
何しろ……俺よりも二人の方が乗り気なのだし。
「私は構わないよ。御尾くんとだったら」
「華澄も同じ気持ちです」
そんな風に華澄たちに言われ、ここまでやってきてしまった。
二人と同じく俺も全裸で、腰にタオルを巻いているだけの状態。これが外れてしまえば、本当にすべてを晒すことになる。
……うん、それだけは阻止しよう。
「とりあえず、身体洗っちゃおうか」
「うん」
「そうですね」
俺の提案に二人も頷いてくれる。
床は滑りやすいので注意しつつ洗い場まで移動し、置かれていた椅子に腰かける。すると華澄たちも椅子を引いて俺の傍へ座って……?
「二人とも、近くに座り過ぎじゃ?」
「これで、いいんです。だって」
「御尾くんの身体は、私たちが洗うから」
俺の腕をそれぞれにぎゅっと握る。
「さあ、御尾くん」
「華澄は前と後ろ、どちらを洗いましょうか……?」
……ええと。
拒否権はないと考えると、比較的、冷静な対応をしてくれそうな相手に大事な部分を任せるのがいい、か。
「華澄、に前をお願いします」
「かしこまりました」
指名された華澄は嬉しそうに頷いて、俺の正面へと移動した。
一方、羽々音さんは少し不満そうに頬を膨らませつつも、素直に後ろへ回ってくれる。
「では、失礼しますね」
スポンジにボディソープを含ませた華澄が、前半分を洗い始める。ゆっくりと丁寧な手つきで、満遍なく泡が身体を包み込んでいく。
良い洗剤を使っているのか、贅沢な使い方をしたのか。辺りにほのかな柑橘系の香りまで漂い始めた。
「御尾くん、じっとしててね」
少し遅れて羽々音さんも動き出す。使っているのは同じボディソープのはずだが、こちらは首筋から肩にかけて、ぺたりと吸い付くような感触が這う。
これ、スポンジじゃないよな。じゃあ、もしかして手で直に……? それは反則なんじゃなかろうか。っていうか俺、どこの王様だよ。
などと思っているうちに、前後ともに泡へ包まれた。
「悠人様、終わりましたが……」
「これ、取っちゃっていい?」
「いや、さすがにそこは自分で洗うから!」
タオルの結び目を引っ張ろうとする羽々音さんの手を押さえて、俺は叫んだ。
で。残りの部分もくまなく洗うと、俺は自分たちの身体を洗い始めた華澄たちより一足早く、岩風呂へと移動した。
「はあ……」
お湯に身体を浸けると、温かさが染みわたる。少し熱いくらいだが、その方が湯冷めしなくていいだろう。
しばらくすると華澄たちもやってきた。二人はそれぞれ、当然のごとく俺の隣に陣取るが、まあ、さすがにもう突っ込まない。
「いいお湯だね……」
「ええ、本当に……」
羽々音さんが夢心地で呟けば、華澄が吐息混じりに同意する。さっきから思っていたのだが、この二人はいつの間にか、割と仲良くなっているような。
……もしそうなら純粋に嬉しいな。
「は、羽々音さん?」
いつの間にか羽々音さんが俺をじっと見つめていた。今回は顔ではなく身体がメインみたいだけど。
暗いから、湯に浸かってる部分までは見えない、よな?
「ごめんなさい。御尾くんの身体、じっくり見るのは初めてだから」
さすがに恥ずかしいのか目を伏せて言う彼女。すると華澄がそれに反応し、視線を向けてくる。
「そういえば、そうですね。婚前にはしたないとは思いますが……」
「いや、人様に見せるほどのものでもないから」
割と本心からそう言ってみたものの、二人は視線を外してはくれなかった。
その後は何事もなく風呂から上がった。先に華澄と羽々音さんに脱衣所へ戻ってもらい、十分弱の間を置いて俺も出る。
誰もいない脱衣所で浴衣を羽織ったら、トイレに寄ってから部屋に戻った。
……しばらくして夕食の席へ顔を出すと、何やら羽々音さんが俺を見て鼻を鳴らしていた。何だろう。彼女に耳打ちされた華澄まで顔を赤くしていたので、すごく気になった。
* * *
夕食を済ませると、特にすることは無くなった。華澄や羽々音さんがやってくる気配も、今のところは感じられない。
そうすると気持ちは自然に思考へと向かう。
考えなければならないことは山積みだった。
中心にあるのは華澄と羽々音さん、俺に好意を寄せてくれている二人のこと。
華澄の気持ち。御尾家が果たしてきた役割と、これから果たさなければならない役割。
羽々音さんの気持ち。失われた記憶と、同時に失われた彼女との関係。
俺は、どうするべきなのだろう。
「記憶が、戻ればいいんだろうけど」
今、俺は華澄に惹かれている。
もしかしたら恋愛感情とは違うのかもしれない。傍に居ると安らぎを覚える、この子となら長い時間を過ごしていける……そんな思い。
あの時寸止めされたせいで燻ったままの『これ』だけど、いったん生まれた感情を蔑ろにすることは俺にはできない。
けれど羽々音さんの言う通り、彼女と築いてきた関係、過ごした時間を俺は知らない。
知った上であらためて選ぶべきだ、というのもわかる。
わかるが、知るのが少しだけ怖い。
『どうして、忘れちゃったの!? 私のことも、みんなのことも、全部!』
羽々音さんをあれだけの激情に駆り立てた原因は何なのか。
高嶺の花だった彼女を、俺はどうやってあんな風に惹きつけたのか。
羽々音さんは今の俺を「変わってない」と言ってくれたが、それがわからない――覚えていない以上、当時の俺と今の俺は明確に「違う」はずだ。
だとしたら。
記憶を取り戻した俺は、もう一度変わってしまうのではないか。
それが怖い。
「ま、そもそも記憶を戻す方法がわからないんだけど……」
静かな部屋で呟く。当然、誰からも返答はない。
ない、と思ったのだけど。
「それなら一つ、試してみたいことがあるんですよー」
間延びした声が障子の向こうから聞こえて、びくりとした。
「凛々子、さん?」
「はい、そうですー」
大人の女性を下の名前で呼ぶのはどうか、と思ったが、凛々子さんは特に気にした様子もなく答えると、障子を開けて中に入ってきた。
変わらず女中めいた着物姿。職業柄か、借り物の衣装なのに堂に入って見える。
「あの、試してみたいこと、って?」
「はいー。悠人さんの記憶を戻せる可能性がある方法ですー」
そんなものがあるのか。
感心する俺に、凛々子さんは「ただ、問題があって」と前置きしつつ。
「悠人さんが、私に身体と、心を委ねてくださる必要があるのですがー」
と、何故かほんのり頬を染めつつ言ったのだった。




