閑話 母娘の語らい(羽々音紗羅)
注:三章までで完結した話と見る場合は、最後の数行は無視していただくといいかと思います。
玄関のドアが音を立てて閉じると、口からはあ、とため息がこぼれた。
隣にいた世羅が小さく呟く。
「……行っちゃったね」
「……うん」
私の気持ちも世羅と同じだった。
行っちゃった。悠奈ちゃんが、自分のお家に。
もちろん、もう会えなくなるわけじゃない。男の子に戻った御尾くんと会うのも楽しみだし、嬉しい。
でも、少しだけ寂しい気持ちもあった。
もう、悠奈ちゃんとこのお屋敷で暮らすことはないんだ、と思うと……。
「お嬢様」
「やっ」
突然、凛々子さんが私の首筋に指を這わせた。びくっと身体を震わせたところで、ぎゅっと抱きしめられた。
柔らかくて、暖かい感じ。
……お母さん。
普段はお互いに意識しないようにしてるけど、こういう時は甘えたくなる。
ちょっとだけ、凛々子さんの胸に顔を埋める。
「ふふ。私、お嬢様にお伺いしたいことがあるんですよー」
「ふえ?」
「昨夜、悠奈さんとどんなことをされたのか。是非教えてくださいー」
「ふええ!?」
優しく抱きしめられながら耳元で囁かれたのは、とっても恥ずかしいこと。
言われて思い出すだけで、顔が真っ赤になってしまう。
……昨夜、私は悠奈ちゃんと。
抱きしめあったり、キスをしたり、それから。
私が指や唇で触れるたびに悠奈ちゃんは可愛い声を聞かせてくれて――もっと聞きたくて、ついついやりすぎてしまったけど。
好き、愛してるって何回も、笑顔で言ってくれた。
「……えへへ」
思い返すと幸せがこみ上げてきて、さっきの気分が一瞬で吹き飛んでしまった。でも、そのせいでお母さまと世羅には呆れられてしまったみたい。
「紗羅。その顔は人様の前で見せないようにしなさいね」
「特に、他の男の人には絶対見せちゃ駄目だからね」
「……気を付けます」
私の顔、そんなに緩んでたんだ。
気を付けないと。悠奈ちゃん、御尾くん以外の男の子に好かれる必要なんて、全然ないんだから。
あらためて自分に言い聞かせて頷く。
直後、ふわ、と口から欠伸が漏れた。それを見た凛々子さんが微笑んで、
「寝不足のご様子ですねー。では、お部屋に参りましょうか」
「うん。……でも、凛々子さんも一緒に?」
「はいー。……構いませんか、杏子様?」
水を向けられたお母さまは「ええ」と苦笑気味に許可を出した。
「いい機会だから、たまには二人の時間を作りなさい」
「かしこまりましたー」
……お母さまと凛々子さんは恋人同士、なんだよね。
多くを伝えなくても通じ合ってる感じで、なんだか羨ましく思えた。私と御尾くんもそんな関係になれるだろうか。
「では、お嬢様。参りましょう」
「う、うん」
凛々子さん、いつになく強引だけど何を聞かれるんだろう。
二人で部屋の方へ向かって歩き出すと、後ろからお母さまと世羅の声が聞こえてきた。
「じゃあ、世羅。私たちはお掃除でもしましょうか」
「うんっ!」
そっか。母娘二人っきり、なのはお母さまたちも同じなんだ。そう思うとなんだか気持ちが温かくなった。
お部屋にはすぐに着いた。
ドアを開けて中に入ると、凛々子さんが空気を吸い込んで首を傾げる。
「結構、思いっきり『しました』ねー」
「えっ……と」
私、ちゃんと換気したよね?
慌てて窓の方を見ると、そこはシャワーの前に開けたままになっている。だから匂いはほとんど残ってないと思うんだけど。
凛々子さんが苦笑する。
「シーツ、替えてる暇はありませんでしたものねー」
「……あ」
大元が残っていたら当然、凛々子さんにはすぐわかってしまう。私にとっては半分、自分の匂いだから気づきにくいけど、私たちサキュバスは匂いに敏感なのだ。
すぐ取り替えた方がいいよね。
一歩踏み出した私は、既に二歩以上歩いている凛々子さんの背中を見た。追いかけようとしてももう遅く、てきぱきとシーツを取り替えられてしまった。
うう、恥ずかしい……。
いつも身の回りのお世話をしてくれてる凛々子さんだから、まだ大丈夫だけど。これがお母さまとか他の人相手だったら、それだけで死んじゃいたくなっていただろう。
「では、これは洗濯機に入れてきてしまいますねー」
「あ……」
お仕事モードで言う凛々子さんを、私はつい呼び止めてしまった。
このままお話ができなくなったら嫌だな、と思う気持ちもあったけれど、他にも頭をよぎったことがあって。
どうしたのかと尋ねてくる凛々子さんに、小さな声で言ってしまった。
「その、ちょっとだけ待って」
「……ふふ。はい、どうぞ」
私の表情で察してくれたのか、凛々子さんは抱えたシーツを差し出してくれる。
こうなってしまうと後には引けない。
シーツに顔を近づけて、くんくんと匂いを嗅ぐ。直接だとさすがにはっきりと匂いがわかった。
悠奈ちゃんと私の、混ざり合った匂い。
ものすごく恥ずかしいのに理性が抑えきれなくて、結局私は胸いっぱいに匂いを吸い込んだ。
「……そろそろ、よろしいですか?」
「うん。どうもありがとう」
凛々子さんの顔が見られなくて、俯いたままお礼を言った。凛々子さんは「すぐに戻ってまいりますね」と言って私の頭を撫で、言葉通りすぐに戻ってきた。
眠気はあるけど耐えられないほどじゃないので、二人でベッドに腰かける。
昨夜、悠奈ちゃんとしたのと殆ど同じ状態だけど、胸のどきどきの種類は違った。今感じている気持ちは恥ずかしさが強い。
「さて。昨夜何をされたかは、だいたいわかってしまいましたがー」
「うう」
あんまり言わないで欲しい。
でも、こういう話をするなら凛々子さん以外いないと思う。
「聞いてくれる?」
「もちろんですー」
にっこり笑ってくれたので、ほっとしながら話し始めた。
二人でお部屋にやってきたところから、最後まで。凛々子さんは時々頷いたり、吐息を漏らしたりしながら聞いてくれた。
終わったあとはほう、と深く息を吐いて。
「良かったですね、お嬢様」
私の頭を優しく撫でてくれた。
「じゃあ、悠奈さんには最後までしてもらわなかったんですねー?」
「あ、うん」
「やっぱり、次に会った時のお楽しみですかー?」
「……うん」
私、なんでこんな話しちゃったんだろうと今更恥ずかしくなる。
ガールズトーク、というか。女の子だけで遠慮のない話をした経験は、ないわけじゃない。むしろ興味は人一倍あるけど、あの呪いのせいで抵抗も強かった。
でも、今はもう呪いはなくて、私には御尾くんがいてくれる。
「大丈夫かな。私、最後までしちゃっても」
「お嬢様なら大丈夫だと思いますよー。あ、でも、悠奈さん……悠人さんはご自分から手を出しにくいタイプですから、そうなると多少、積極的にいく必要があるかもしれませんね」
……なるほど。難しいなあ。
と。そこで私はふと「じゃあお母様と凛々子さんはどうなんだろう」と考える。この機会だから口に出して尋ねると、凛々子さんは「私たちですかー」と首を傾げた。
「そうですねー、あまり教育上良くない話になってしまうのですが」
「そうなの……?」
お母さまたち、一体どんなことしてるんだろう。
色々な意味でどきどきしながら、ちょっとだけ、ということで話を聞くと……私にはちょっと刺激が強い話でした。
あんな場所でそんなことしたり、そんな恰好でそういうことしたり……とか、本当なのか疑ってしまうくらい。
「なんでそんなことしてるの!」
「いやー、だって気分が乗るとそうなっちゃうじゃないですかー」
「それは……そうだけど」
昨夜、ちょっと暴走しすぎてしまった手前、否定できない。だって、私たちサキュバスはそういう種族だ。
「長年、一人の方と連れ添うのなら、そういう日も来ますよ」
「そう、なのかな」
「そうですよー。……それとも、悠人さんとは長続きしないと?」
「それは……そんなこと、絶対にしないよ」
悠奈ちゃん、御尾くんとはずっと一緒がいい。
もし、彼が私から離れて行ってしまったら……私はどうなってしまうかわからない。
そんなこと、ないと信じたいけど。
「大丈夫ですよ。約束、したんですよね?」
「うん」
凛々子さんが微笑んで言ってくれる。
そう。私は悠奈ちゃんと約束した。二日後の午後三時、私たちが事故に遭ったあの場所で再会しようって。
だから、大丈夫。またすぐに会える。
「それじゃあ、そろそろお休みください。お食事の時間には呼びに参りますから」
「ありがとう、凛々子さん」
笑顔を交わしあって、私はベッドに入った。
目を閉じて気持ちを落ち着けると、すぐ意識は遠くなっていく。
二日後、御尾くんに会うのが待ち遠しいな。
そう思いながら、私は安らぎに身を任せた。
* * *
まだ、その時の私は知らなかった。
御尾くんの身に起こった異変を。それによって引き起こされる未来を。
――二日後、彼は約束の場所に現れなかった。
一時間待っても、二時間待っても。やがて降り始めた雨に身体が冷え切って、迎えに来た凛々子さんに無理やり連れ戻されるまで。
私は、ずっとずっと待ち続けていた。




