第一の試練
とにかく急いで亜実ちゃんの元へ向かうことにした。
メンバーは俺と紗羅、世羅ちゃん。杏子さんと凛々子さんは屋敷に残る。
「でも、ここからで間に合うのか?」
「飛んで行けば大丈夫だと思う」
言って、紗羅はサキュバスへ変身する。緊急のため、今回は衣装まで変化させている。一方、紗羅ちゃんも背中に羽毛を生みだしたが、こちらはパジャマの生地を突き破る形を取っていた。
「私、お姉ちゃんみたいにはうまくできないから」
ともあれ、三人で玄関を出た。
飛ぶ、って具体的にどうするのかと思ったら、
「悠奈ちゃん、ちゃんと掴まっててね」
「う、うん」
ひょい、っと紗羅に抱き上げられた。慌てて首に腕を回すと、紗羅は片手で俺を保持したまま世羅ちゃんと手を繋いだ。
すると、不意に俺たちの周囲がかすかにぼやけた。
「結界を張ったので、これで周りからは見えないはずです」
「悠奈ちゃん、腕輪からの魔力の流れに集中してみて」
言われて、腕輪の方へ意識を向ける。既に繋がりができているせいか、作業は幾分か楽だった。
赤い丸印の横に方向を示す矢印が現れる。
「……よし。ナビはできそう」
「ありがとう。じゃ、行くよ」
ばさり、と翼を羽ばたかせ、紗羅と世羅ちゃんが飛び立った。
二人はあっという間に数階建てに相当する高度まで上昇すると、俺が指さした方向へ移動を始めた。紗羅が先行し、世羅ちゃんの手を引くように飛んでいく。
多分、結界を張っている世羅ちゃんに負担をかけないためなのだろう。
結界によってある程度外気まで遮られているのか、パジャマのまま夜風に当たっている割にはあまり寒くなかった。
二人のスピードは乗用車とさして変わらないように思える。信号に捉われず、直線移動ができると考えればかなり早く着けるはずだ。
「あそこだ」
五階建てマンションの最上階。その一室を感覚が示している。
マークは……変わらないまま。これ以上の変化があるか不明なので、亜実ちゃんの安否はわからないが。
「ベランダに下りるよ」
紗羅の声を合図に、無人のベランダへふわりと着地した。
室内からはカーテンで遮られているため、この時点で気づかれる心配はない。
世羅ちゃんに結界を維持してもらったまま、紗羅が窓を睨む。彼女はふっと息を吐いて、
「……大丈夫、まだ無事みたい。薄く切った手首をぼんやり眺めてる」
「っ」
世羅ちゃんの身体がぴくりと震えた。うん、早くなんとかしないといけない状態には違いない。
ただ、深く傷つけたわけじゃないってことは、自分で処置できる範囲のはず。
「世羅ちゃん。スマホ持ってきてる?」
「……持ってます」
「じゃあ、電話してあげたらどうかな」
リストカットを咎めるのでもなく、問いただすのもなく、ただ普通に世間話をする。きっとそれだけで、彼女は思いとどまってくれるのではないか。
俺がそう言うと、世羅ちゃんはしばらく考えた後に頷いた。
「やってみます」
彼女はふわりと舞い上がり、屋上へと移動した。そうすると俺たちは結界の範囲から出てしまうので、紗羅があらためて張りなおす。
「電話、出てくれたみたい」
「そっか」
俺には中の様子もわからなければ、屋上にいる世羅ちゃんの声も聞こえない。だから直接状況は把握できないものの、信じて待つ。
そして十数分が過ぎた頃、亜実ちゃんの状態がグリーンに戻った。
「……もう大丈夫そう」
室内から視線を外した紗羅が微笑み、屋上からは世羅ちゃんが降りてきた。
「二人とも、早くそこから離れてください」
「へ?」
「さっき、うっかり天気の話をしちゃって」
その言葉を聞いた紗羅は慌てて俺を抱き上げると床を蹴った。
間一髪、俺たちが空へ舞い上がるのと、ベランダの入り口が開くのとは同時だった。
「でも、結界があるんだから慌てなくてもいいんじゃ?」
「バレるバレないの問題じゃなくて、亜実ちゃんにきちんと星空を見せてあげたいでしょ?」
紗羅や世羅ちゃんは『認識を阻害する』タイプの結界を張っていたため、至近距離に立たれても姿を認識されることはない。ただ、別に透明になっているわけではないので、向こうの景色はきっちり遮られてしまう。
『なんかよくわからないけど、星空は良く見えなかった』なんて印象は、このタイミングには相応しくない、ということだ。
「世羅ちゃん、どうだった?」
「はい。……きっと、もう手首を切ったりはしないと思います」
屋敷へ向かって飛びながら尋ねると、力強い声が返ってきた。
「一緒に清華へ通おうね、って約束しましたから。その前に死んじゃうなんてこと、ないと思います」
「……そっか」
そうなってくれたらいいな、と思った。
そして世羅ちゃんの言葉は、その日見た夢によって裏付けられた。
* * *
広く、何もない世界に光が満ちている。
前に見た夢と同じ浮遊感とともに、方向のわからない場所にいた。前回と違うのは、最初から『何か』の存在が感じられること。
「あなたは、第一の試練を果たしました。よって、第二の試練を与えます」
杏子さんの話によれば、これが天使の意思なのだろう。
俺はただ揺蕩いながら、彼、あるいは彼女の声を聴く。
「第二の試練は、他者の罪を止めること。期間も対象も方法も問いません。誰かの手を借りても構わない。誰かが犯す罪を止めなさい」
天使はそれだけを告げると、再び俺の意識を押し流していく。
目を開くと、やはり朝になっていた。
* * *
「これで亜実ちゃんは助かったんですよね」
「うん、そうだと思う」
月曜日の朝食の席で、世羅ちゃんが声を弾ませた。
昨夜のリストカットを放置していれば亜実ちゃんは死んでいたのか。あるいは、世羅ちゃんとの約束が未来の死を未然に防いだのか。
「どういう形かはわからないけど、少なくとも私たちのやったことは無駄じゃなかったんだと思う」
「良かったね……」
「ええ、そうですねー」
紗羅や凛々子さんもほっと胸を撫で下ろしている。
そんな中、杏子さんは微笑みを浮かべながらも、第二の試練のことを気にしていた。
「それで……次は、他者の罪を止めること、ですか」
「はい。後の条件は殆ど同じみたいですけど……」
やはり、どこか曖昧な感じのする指示だ。
第一の試練がこうして達成された以上、きちんと成否は判定されているのだろうが。
「……あるいは、自由な条件に見えて、悠奈さんに何か期待している行動があるのでしょうか」
「というと?」
「例えば、百瀬亜美さんを救うこと……とか」
亜実ちゃんとの出会いからここまでの出来事について、少し出来過ぎてはいないか、というのが杏子さんの考えだった。
だとすれば、素直に受け取ると、天使は亜実ちゃんを救いたがっていると思える。
「じゃあ、今回の試練も亜実ちゃんが関係してるの?」
尋ねた世羅ちゃんの顔は不安げだった。
杏子さんは眉を下げて首を振る。
「……わからない。悠奈さんに言い渡された試練の内容自体に、百瀬亜美さんへの言及はないもの。そう考えれば、全く無関係だとも考えられる」
……もし、今回も亜実ちゃんが関係しているのだとしたら、罪を犯すのは誰なのだろう。
彼女の周囲にいる人間なのか、それとも。
「どっちにしても、もうしばらく亜実ちゃんの様子は見てみたいです」
着けたままの腕輪を示して言うと、紗羅も頷いてくれた。
「まだ、お友達との関係が解決したわけじゃないものね」
「うん」
いずれにせよ、今回の試練も前回のものと性質は近い。
ただ闇雲に探したり、起きることを期待するようなものでない以上、慌ててこなそうとしても仕方ない。
なら、これまで通り生活を送りながら、できることややりたいことをこなしていこう。俺たちはそう、あらためて確認しあった。




