悲しい知らせ
あっと言う間に期末テストが終了した。
懸念だった生理は幸いにもテスト前日である月曜日に治まってくれ、火曜日から四日間の日程が恙なく過ぎ去った。
事前にしっかりと準備したおかげで手ごたえも十分。これなら俺が転入試験なしで入学したとは誰も思わないだろう。
また、試験中ではあるが魔法の特訓も再開した。
ただし現在、杏子さんは忙しいらしく、ここ数日は睡眠時間も削っているような状態だった。そのため紗羅に付き添ってもらい基礎をおさらいする程度ではあったが。
「私でも、集中してれば悠奈ちゃんの中にある魔力を見られるから。もし危険な動きがあったらすぐに言うね」
「ありがとう」
体内の魔力に意識を向け、火を生み出すイメージをひたすら反復。
しかし、成功率は高くなく、数割程度に留まった。もともと深香さんの催眠を受けながらの特訓中だったからだ。
催眠、催眠か……。
「あの、紗羅。ちょっとお願いがあるんだけど。囁いてくれないかな?」
「え? 囁く、って」
「うん。耳元で『集中しろ』とか言ってくれないかなって」
ということで、お願いして囁いてもらった。
椅子に座った俺の後ろに紗羅が回り、肩に手を置いて顔を近づけてくる。
「悠奈ちゃん……集中して」
「ふあ……っ」
かすかな声が耳をくすぐる。
……なんだろう、女の子の囁き声ってそれだけで心をくすぐるものがあると思うのだけれど、相手が紗羅だと特に意識してしまう。その、微妙に誘われてるみたいな。
やばい、どきどきしてきた。
「どう? 役に立った?」
「ごめん、ちょっと離れてくれると助かる」
催眠が必要なら、紗羅に視線で暗示をかけてもらえばいい、と気づいたのはその後。
すると以降の特訓は捗った。サキュバスは暗示の類が得意だというのは本当らしく、深香さんにかけられた催眠より深く入れた気がする。
強制的に集中した結果、成功率はぐっと上がり、木曜の夜には安定して火を出せるようになった。
「紗羅のおかげだよ」
「ふふ。でも、私がいなくても集中できるようにならないとね」
催眠かかったままで成功してても実用性はないからな……。
とはいえ、テスト期間中に頑張りすぎるわけにもいかず。適度なところで切り上げて眠った。
そうして迎えた金曜の放課後。
俺と紗羅は、帰宅した世羅ちゃんから亜実ちゃんの話を聞いた。
「日曜日に遊びに行くことになったんです。お姉ちゃんたちも一緒にどうですか?」
「うん、是非」
「そうだね。私も行きたいな」
亜実ちゃんとはある程度普通にメールのやり取りができているらしい。そんなに心配がいらなかったのか、世羅ちゃんのコミュニケーション能力の賜物か。
「じゃあ、日曜は皆で出かけるとして……土曜は暇かな」
明日はテスト休みということで授業はない。だから家でゆっくりしていても問題ないのだけれど。
「紗羅、良かったらどこか行く?」
「ううん。毎日お出かけしてても疲れちゃいそうだし。それより、お家でゆっくりしたいな」
「じゃあ、家の中でできることを考えてみよっか」
「うんっ」
二人でそうやって話していると、世羅ちゃんが小さな声で呟くのが聞こえた。
「……二人とも一緒に過ごす前提なのが怖い」
いや、まあ。どうせ同じ屋敷にいるわけだし。
そして――夕食の時間を迎えた俺たちは、杏子さんから思いもしない宣告を受けた。
「分家との調整が、現在思わしくない状況です」
「え……」
紗羅が、世羅ちゃんが、その言葉に食事の手を止める。
もちろん俺も同じだった。俺たちは揃って杏子さんを見つめると、彼女は隈のできた顔を苦しそうに歪めて言った。
「紗羅を屋敷から離し、事実上の離縁状態とするよう求める声が急速に強くなっているんです」
瞬間、空気が凍ったように俺は思えた。
「何故、ですか?」
きっと誰もが同じ気持ちだっただろうが――。
その問いを最初に口に出したのは、意外にも凛々子さんだった。
「深香さんとの一件は、こちらに有利な展開で進められるのではなかったのですか?」
そうだ。あの件はお互い傷つけあう結果になったとはいえ、強硬な姿勢をとった深香さんに問題があったはず。
なのに、何故。
「問題にされたのはその件ではなく、悠奈さんの試練の件なのです」
生じた疑問の答えはすぐに与えられた。
しかし、そうすると今度は別の疑問が湧いてくる。
「その件って、紗羅は関係ないですよね?」
「……ええ。紗羅に直接的な関わりはない事件です」
当然、杏子さんだって百も承知だったのだろう。尋ねればすぐに答えが返ってきた。
「直接的な、ってことは」
「はい。……悠奈さんが受けた試練を、紗羅が間接的に支援する意思を見せたこと――問題とされたのはそこでした」
深香さんとの件については以前に言っていた通り、俺たちに不利な論調にはならずに落ち着いていたのだという。
紗羅が深香さんを相手に戦闘を行ったことは問題にされたものの、それは当の深香さんが俺に手を上げたこと、誰の許可も得ず独断で動いたことで相殺、むしろ軽率な行動を咎める趣旨が強くなっていた。
そこへ俺たちが見た例の夢について報告したところ、風向きが変わったらしい。
「夢の真偽については疑われませんでした。羽々音家の記録にも残っている話ですし、私や世羅の証言を疑うほど、関係はこじれていませんから」
問題にされたのは紗羅の行動。
俺を『御尾悠人』に戻すことについて、屋敷の人間である紗羅が協力するのは当然なのだが、にもかかわらずそこに物言いが入ったらしい。
サキュバス――淫魔の少女が、『少女になってしまった少年』を元に戻そうとしている。しかも、その相手に特別な感情を抱きながら。
つまりそれは、人畜無害を装っていても、心の底では姦淫を望んでいる証拠だと。
「酷いこじつけ……いえ、完全な言いがかりですねー」
「凛々子」
「事実ではありませんかー」
……正直、俺も凛々子さんに同感だった。どうして紗羅がそこまで言われなくちゃならないのか。
というか、好きになった相手と仲良くしたいと思う気持ちに、天使もサキュバスも人間も関係ないだろう。
「お母さま。それで、私はどうすればいいんですか?」
「お姉ちゃん……?」
そこへ紗羅が口を開いた。心配そうに見つめる世羅ちゃんに微笑みを返すと、杏子さんへ真っすぐ視線を向ける。
彼女の表情は落ち着いていた。まるでこの状況を予想していたか、最初から諦めていたみたいに。
「悠奈さんの身体が戻り次第、屋敷を出て貰う……という話になっています」
「わかりました」
いや、紗羅はとっくに諦めていたのだろう。
前に言っていた通りだ。杏子さんたちが悪いとは思っていない。ただ、今の生活が続けばいいと思いながらも、心のどこかで諦めている。
……でも、それでいいのか?
「俺が男に戻ったら、なんですよね? 試練を中止すればその話はなくなりますか?」
「悠奈ちゃん!?」
杏子さんに尋ねた途端、紗羅が悲鳴じみた声を上げるが、ひとまず無視する。単なる仮の話だし、紗羅がどう思おうがこれは確かめたい。
じっと見つめた視線の先で杏子さんが首を振った。
「……いいえ。一度そういう論調になってしまった以上、たとえ悠奈さんが断念したとしても、完全に止まりはしないでしょう」
「……そうですか」
そりゃ、そうだよな。
「ごめん、紗羅。勝手なこと言って。でも、俺が元に戻れても、紗羅が不幸になるんだったら意味ないから。一応確認しておきたかったんだ」
「わかってる。わかってるけど……冗談でもそんな事言わないで」
見れば、いつの間にか紗羅は涙ぐんでいた。
さっき、自身の境遇について杏子さんと話をしていた時は毅然としていたくせに。
――はあ、とため息をつく。
じゃあ、もう諦めるしかない、か。
どっちみち、紗羅は大学進学する頃には屋敷に居られなくなると思ってたんだ。それが早まるだけだとも言える。
元に戻れるにせよ戻れないにせよ、この屋敷を出て紗羅と二人で暮らしていく。
それも悪くはない……と言い聞かせるように思っていると。
「待ってください」
再度、凛々子さんの硬い声が食堂に響いた。




