紗羅の講義
「支配、って一言で言われてもわかりづらいよね」
そう言って、紗羅は詳しい説明をしてくれた。
サキュバスは性に特化した種族だ。性質的には悪魔同様、欲深い傾向にあるものの、その矛先は基本的に性行為にのみ向けられる。
特性上、彼女たちの能力も性行為を助けるため「他者を興奮させたり、理性を失わせたりする」ことに長けている。
「サキュバスは何かの媒介を使って、相手の状態を掌握するの。そして自分の都合のいい状態に変化させる」
だから、支配。
一番分かりやすいのは欲情させたり、身体を敏感にしたり――そういう系の効果らしいが、これが一歩先に進めば洗脳とか記憶操作に及ぶ。
「じゃあ、人間とか……生き物相手に使うのが本当の使い方、ってこと?」
「ううん。そうとは限らないよ」
「へ?」
首を傾げる俺に、紗羅は首を傾げて言う。
「たぶん、悠奈ちゃんは私たちの能力をテレパシーみたいなものだと思ってるよね?」
「違うの?」
「完全に間違ってるわけじゃないけど……ほら、物って心がないでしょ?」
「うん」
俺は頷いた。そりゃそうだ。そもそも生きてないんだから。
「支配は精神を介するから……心がない相手には通じないように思えるかもしれないけど、逆なの。ないってことは、ゼロっていうことだから」
心のある相手であれば、支配される際に抵抗する。強い意志を持つ相手を支配するのは大変だし、本人の嗜好に反する行動は取らせづらい。
でも、物は抵抗しない。だから容易に支配できる。
支配した結果引き起こされる事象は精神的な変化に留まらないので、例えば形を変えるとか、自壊させることも可能となる。
「一番簡単なのは、自分の身体かな」
言って、紗羅は自分の右手を伸ばす。彼女がそれを睨むと、睨まれた右手をみるみるうちに黒く硬質な何かが覆い、肘のあたりまでを包んだ。
深香さんとの戦いで見た手甲と同じものだろう。
「触ってみる?」
「じゃあ、ちょっとだけ……」
椅子から立ち上がり、ベッドの傍まで歩み寄ると紗羅の右手に触れる。
こつん、と固い手ごたえ。陶器っぽい音だが、硬さと柔軟性は高そうだ。武器、あるいは防具にするのだから、金属と打ち合っても壊れない強度はあるのだろう。
思わず両手で握って指を滑らせつつ紗羅に尋ねる。
「これって、感触はどうなってるの?」
「握ったりはできるけど、温度や痛みはあんまり感じないかな。……こんな風に、自分の身体なら物体として支配できるし、性質も把握してるから変化もさせやすいの」
「……なるほど。洗脳っぽいイメージするからわかりづらいけど」
魔力を通して操るのが本領だから、生き物でも物体でも関係ないのか。
感心しつつ、椅子を引いて座りなおした。
「さっき言ってた媒介っていうのは、紗羅が相手を睨んでるやつのこと?」
「そう。私の場合は『視線』を媒介に能力を使ってるの。だから、基本的に見えない場所には何もできないし、死角で何かされると反応が遅れちゃう」
真夜との戦いの時はその性質を読まれ、触手を殺到させられて突破されかけた。
深香さんもやったように攻撃の手数を増やすのも有効だ。視線を合わせないといけない以上、いっぺんに対処するのは難しくなる。
「視線じゃなくて他のもの……言葉とか、動作を媒介にするサキュバスもいるけど、どれも一長一短かな。戦いになったら何かしら弱点になっちゃう」
それはまあ、もともと戦闘向きの種族じゃないから仕方ない。そもそも現代において武力を行使する機会なんてそうそうないわけだし。
「悪魔は、簡単に言うと『イメージを具体化』するのが得意」
よくお話に出てくる「願いを叶える悪魔」みたいなもの。自分や他人が思い浮かべたものを形にする能力である。
具体的にイメージが可能で、魔力さえ足りれば何でもあり。極まれば、真夜がやったように呪いのようなものすら作り出せる。また、媒介も必須ではなく、あくまで精度を高めたり魔力を節約するために用いる。
「じゃあ、天使は?」
「『魔力の流れを操作する』のが得意だよ」
魔力には形がないため、自在に操作するのは骨が折れる。だからサキュバスも悪魔も、基本的に手や視界が届く範囲で魔力を行使するのだが、天使はそんな魔力を操作することを得意としている。
指向性を持たせて遠くに影響させたり、薄く周囲へと広げてみたり。複数を同時に操ったり、属性を付与することで性質を変化させることも容易だ。
そうした特徴を利用して、この屋敷には杏子さんによる結界が常時張られているらしい。結界内で不審な動きがあれば杏子さんが察知することができる。
「逆に言うと、戦いとか緊急性が高い場面ではちょっと出遅れちゃうかも。悪魔は過程を飛ばして結果を出すけど、天使は欲しい結果を出すために過程を踏まないといけないから」
「どれも良し悪しってことか……」
魔力を扱うというのは共通していても、方法は三者三様。良い面もあれば悪い面もある、と。
当たり前のことのようだが、こうして聞くと実感しやすい。
「ってことは、私が習った方法は……やっぱり天使のやり方に近いのかな」
魔力の流れを意識して、取り出した力を火に変換する。
「そうだね。……もっと言うと、火を出すっていう結果を優先してる部分もあるから、悪魔の方法とのいいとこどりかな。強引だけど分かりやすい方法だと思う」
天使である深香さんが基礎を手ほどきしつつ、素人でも取り組みやすい方法で「実際に使う感覚」を身体に教え込んだ。その結果があれだ。
短期間で形ばかりとはいえ魔法に成功し、ぶっつけ本番で実用的なレベルの炎球を生み出すことができた。
「悠奈ちゃんの魔力が多いからこそだね。慣れないうちは凄く消耗するから」
並の人間には絶対取れない方法だ、と紗羅は言った。
「普通の人の基準で言うと、私の魔力ってどれくらい?」
「トップクラス、かな」
……マジで?
「天使や悪魔、サキュバスがそもそも普通じゃないんだもの。私たちの平均なら、普通の人からしたら凄く多いよ」
それでも「トップクラス」であって、異常値でもなければ頂点でもないらしいが。それでも十分すぎる量だという。
「それって偶然、なのかな?」
「……わからない。でも、そのおかげで私はここにいられるんだよ」
そう言って紗羅は微笑んだ。
俺に魔力がなければ、真夜との戦いで俺たちは負けていた。もしそうなっていたら、想像するのも憚られるような未来が待っていただろう。
「だから、やっぱりあれは奇跡だって考えていいんじゃないかな。私たちが巡りあって、一緒に戦ったからこそ勝てた、って」
「紗羅……」
俺たちだから勝てた。
俺たちじゃなかったら勝てなかった。
そう考えたら確かに奇跡だ。俺と紗羅が巡りあったこと、そのものが。
「詳しい事はお母さまたちが調べてくれるだろうから、私たちはそう思っていてもいいかな、って思うんだけど」
「ん……そう、だね」
そういう考え方もあるか。
考えてもわからないことは置いておいて、ただ今ある幸福に感謝する。それも決して間違ったことではないだろう。
「ありがとう、紗羅。私は紗羅がいてよかった。紗羅が紗羅で良かった」
「……そんなこと言われたの、生まれて初めてかも」
ふっと微笑んだ紗羅の目に涙が浮かんだ。
彼女がそっと伸ばしてきた右手を、俺は同じく右手で受け止めた。そうして指を絡ませると手甲が解けて柔らかい感触が帰ってくる。
そうして俺たちは、しばらくして凛々子さんがお風呂の準備ができたことを知らせに来るまで、ただ静かに指を絡めあっていた。




