天使の試練
杏子さんは言った。
あれは自分たちの上位者からの啓示だと。
「つまり、あの夢は誰かが意図的におれ……私たちに見せたってことですか?」
「ええ。偶然にしては出来過ぎていますし、『そういうことがある』というのは家の伝承にも残っています。……もちろん、極稀な事例ですが」
杏子さんを含めた屋敷内の全員に干渉している事から見ても、羽々音家に害意がなく、かつ天使と同質の力を持つ者の仕業であると考えられる。
「俺、前に真夜から夢を見させられたことがありますけど」
「悠奈さんお一人が相手であれば可能でしょう。まして彼女は純粋な悪魔ですから。ただ、今回は規模が違います」
俺が見た夢と、杏子さんたちが見た夢の内容は殆ど同じだった。
違いは本人宛かどうかだけ。つまり皆は「御尾悠人に試練を与える」と、何者かから宣言される夢を見たらしい。
「どうして私だけじゃなくて皆にまで?」
「素直に考えれば、協力者の候補と捉えられているのではないかと。あるいは『これが単なる夢ではない』という証明のためか」
なるほど。実際、俺は「変な夢だな」で流しかけていたわけで、それは必要な措置だった気がする。
「じゃあ、試練と褒美は本当に……」
「存在すると考えていいでしょう。人ならざるもの……純粋な天使であれば、実際に『示された褒美』を与えることも可能かと」
そもそも俺の女性化は真夜がかけた呪いの影響だ。
純粋な悪魔と純粋な天使、その力が同等だと仮定すれば、確かに俺を元に戻すことができてもおかしくはない。
「悠奈さん、どうされますか? 試練に挑まれるというのであれば、私たちもできる限り協力しますが」
杏子さんの言葉に、凛々子さん、世羅ちゃん、そして紗羅が頷く。
「そう、ですね……」
しかし俺は即座に「やります」と答えることができなかった。
生返事をしつつ、つい視線をテーブルへと落としてしまう。
「悠奈さんー?」
「どうしたんですか? 元に戻れるチャンスなんですよね?」
その通り。これは元通り『御尾悠人』に戻るという、殆ど諦めていた望みを叶えるまたとないチャンスだ。
なのに、即答することができないのは。
「いいのかな、って。せっかくこのまま『羽々音悠奈』でいようって決めたところだったのに」
決心が宙ぶらりんになって、どっちつかずになってしまわないか。
つい一昨日、紗羅と決めた矢先のことだったため、戸惑ってしまった。
俺の呟きに、杏子さんたちが複雑な表情を浮かべる。と、
「いいんだよ。悠奈ちゃんは元に戻って」
微笑みながら紗羅が言った。彼女の顔には迷いや動揺はない。
「紗羅?」
「前にも言ったでしょ。悠奈ちゃんの好きなようにしていい、って。私はそれを応援するし、それが嬉しいの」
「……そっか」
「うん」
そっか。
俺は元に戻っても、戻ろうとしてもいいのか。
……なら、紗羅の言葉に甘えてしまおう。
「ありがとう、紗羅。やってみるよ」
「うん。それがいいと思う」
こうして、俺たちは天使の試練に挑むことになった。
朝ご飯を食べながら細かい話をした結果、しばらくの間、試練には手が空いた時に取り組むことに決める。現状、俺の体調も思わしくないし、期末テストが終わるまでは勉強時間も取らなくてはならないので、日常生活を優先させる。
……何より、命の危険がある人の存在を期待して必死に探すって、なんか嫌だし。
「第一の試練に関しては、直接的でないにせよ、悠奈さんが助命に関与しなければならないでしょうし……基本的には悠奈さんと紗羅にお任せします」
「わかりました」
杏子さんや凛々子さんが独自に動いて誰かを助けたとして、さすがにそれをカウントしてくれるかは微妙、という話だ。
もちろん必要になれば協力してくれるし、こちらからも進展があれば報告するつもりだ。
「……でも、難しいだろうな。人の命を救う、って」
「そうだね……」
登校中のバスの中で、紗羅と小声で相談しあう。
「そういう状況に陥っている人と会うことがそもそも難しいだろうし」
「目の前で明らかな危険が起こることなんて、あまりないものね」
当てはまるのは、俺の経験で言えば生涯で一度きり。約一か月前に交通事故から紗羅を助けた時だけだ。
ただ、あれも真夜が仕組んだ罠だったわけで、偶然の出来事ではない。
そう考えると「ただ待っている」だけで遭遇できるかどうか。
「悠奈ちゃん。条件、ちゃんと覚えてる?」
「一応。スマホにメモも取ってあるよ」
『第一の試練は、他者の命を救うこと。期間も対象も方法も問いません。誰かの手を借りても構わない。誰か一人の命を救いなさい』
いつでもいい、誰でもいい、どういう手段を使っても、協力者がいてもいい。
条件自体はかなり緩いと言っていいだろう。
「……これ、例えば怪我や病気の子を治す、とかでもいいのかな?」
現代日本において死を日常の中で感じることは滅多にないが、それでも俺たちの周りに命を落としかけている人がいないかといえば否だ。
例えば大きな病院に行けば、そういう人は簡単に見つかるだろう。
「……条件には違反しないと思う」
俺の問いに、紗羅は少し考えてからそう答えた。
紗羅には治癒の能力があるし、杏子さんも他者を癒せるらしい。どちらかが俺に同行して癒しを行えば、協力者という扱いにはなるはずだという。
しかし紗羅はそこで眉を下げ、首を傾げた。
「でも、それはちょっと難しいかな」
「どうして?」
「魔術や魔法……そういう異能の力は公に使うものじゃないの。できるだけ普通の人達には隠さないといけないから」
例えば難病の子のところへ行って「お姉さんたちは魔法使いなんだよ?」とか言いつつ軽く病気を治して見せる……というわけにはいかない。そんなことをしたら大騒ぎになってしまう。
やるなら誰にも知られないように、極力違和感を残さないように。病や怪我だけを治し、本人も知らせずに去るのが望ましい。しかし普通に治らないから命に関わっているわけで、ある日突然治った、という事実自体が怪しまれる原因になりかねない。
「ぎりぎり、命を繋ぐ分だけ治癒すれば違和感は抑えられるだろうけど。それで試練の達成になるかわからないよね」
「……中途半端に治す、っていうのも気分悪いかも」
考えてみれば「命を救う」というのも微妙に曖昧だ。放っておいても死なない、例えば手術で助かるとか、事故に遭っても大怪我ですむような状況に介入したとして、それは救ったことになるのだろうか。
やっぱり、試練というだけあって一筋縄ではいきそうにないか。
「じっくり腰を据えて取り組むのが良さそうかな」
「そうだね。私も協力するから、一緒に頑張ろう?」
「うん」
紗羅と顔を見合わせて微笑みあう。
そうしているうちに、バスは学園の最寄り駅へと差し掛かっていた。
新しい方法が見つかっただけで儲けものなのだ。焦りは禁物、むしろ準備を整えたうえで確実に取り組んだ方がいい。
せっかく、心強いパートナーも傍にいてくれるのだから。




