早朝の訪問者
「おはようございます、悠奈さん」
「おはよう、世羅ちゃん」
翌朝、朝食のために食堂へ向かうと、世羅ちゃんが笑顔で挨拶してくれた。杏子さんも見た感じいつも通り。
……よかった。昨日のことは尾を引いていないみたいだ。
既に食堂へ来ていた紗羅と視線を合わせ、軽く頷きあう。
「それじゃあ、いただきましょう」
「いただきます」
そうして朝食が始まった、のだが。
半ばまで食べ進めた頃、珍しいことが起こった。
不意に玄関の呼び鈴が鳴らされ、給仕のために控えていた凛々子さんが食堂を出ていく。彼女はしばらく経った後、微妙な困り顔で戻ってきた。
「どうしたの?」
顔を上げて問う杏子さんに、凛々子さんは小さく答える。
「深香様がいらっしゃいました」
「……そう」
深香、という名前を聞いた杏子さんはため息をつき「通してあげて」と指示を出した。それを受けた凛々子さんが再び退室していく。
「あの、お知り合いですか?」
「ええ、私の妹の娘――紗羅たちから見れば従姉妹に当たる子よ」
従姉妹か。
ということは、設定上はその子も俺と親戚同士になるのだろう。顔を合わせることになるなら、挨拶くらいはしておかないと。
……話しやすい子だといいんだけど。
俺がそんなことを考えていると、紗羅がこちらに視線を向けてきた。
「悠奈ちゃん。ご飯、今のうちに食べておいた方がいいと思うよ」
「へ? ああ、うん」
お客さんが来ると慌ただしくなるから、かな?
言われた通り、俺は残った食事をできるだけ詰め込む。行儀が悪いが、三十秒と少しの時間で皿の上を空にし、グレープフルーツジュースに手を付ける。
そこに食堂のドアがノックされた。
「深香様をお連れいたしました」
凛々子さんに促され、一人の女性が入室してくる。
大学生くらいだろうか。同年代かそれより下を予想していたが、意外にも大人びた立ち姿に驚いた。服装は清潔感のある、きりっとした装いだ。
立ち上がった杏子さんに出迎えられると、彼女はにっこりと微笑んだ。
「お久しぶりです、杏子伯母様」
「こちらこそ。……でも、どうしたの? 突然やってくるなんて」
「ええ、少々用事がありましたもので」
言って、彼女は俺たちの方へと歩いてくる。
……え、用事ってこっちに?
深香と呼ばれた少女は、俺が動揺しているうちに傍までやってくる。テーブルと椅子を迂回し、俺たちの背後で立ち止まると、
「うふふ。こんにちは、世羅ちゃん」
――椅子の背もたれ越しに、世羅ちゃんの身体をぎゅっと抱きしめた。
びっくりしたのか、世羅ちゃんは一瞬びくりと身を震わせる。彼女が視線を上に向けると、深香、さんは満面の笑顔で世羅ちゃんの頭を抱え込む。
ぎゅー、っと。そんな擬音が聞こえてきそうな抱擁。
「しばらく会いに来れなくてごめんなさい。元気にしていてくれた?」
「は、はい。深香さんもお元気そうで……ふあっ」
再び世羅ちゃんがぴくんと跳ねる。深香さんが今度は頭を撫で始めたせいだ。
えっと、なんだろう。両脇にいる俺と紗羅はお邪魔というか、猛烈に蚊帳の外な雰囲気なのだが。
一方の紗羅はというと、何やら諦めたような表情で椅子に腰かけていた。
と、深香さんはようやく俺たちの存在に気づいたように、
「あ」
小さく声を上げて世羅ちゃんを解放した。
「挨拶が遅れて申し訳ありません。こんにちは、紗羅さん」
「……はい。お久しぶりです、深香様」
にっこりと笑いかけられた紗羅が静かに頭を下げる。
それから深香さんは俺へと向き直って再び口を開く。
「貴女が悠奈さんですね? わたくしは羽々音 深香。貴女にとっても従姉妹、ということになります。以後お見知りおきを」
「あ、はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
すっと右手を差し出されたので、こちらも立ち上がって握り返す。併せて軽く頭を下げて友好の意を示した。
……うん。まあ、悪い人ではなさそうかな。
そう思って顔を上げると、深香さんと正面から目が合った。
彼女の瞳がすっと細くなる。
まるで品定めをされているような視線に、少しだけぞくっとする。
「ふうん」
「あの、何か?」
「いえ。……案外、悪くないかな、と思いまして」
具体的に何がどう「悪くない」のだろう。
「深香。用事というのは?」
「ええ。少し、人払いをお願いしてもよろしいですか?」
杏子さんの声に、深香さんは表情を戻して振り返った。
ふう、と杏子さんが息を吐く。
「わかりました。……紗羅、世羅、悠奈さん。部屋に戻っていてください」
そう言われ、俺たちは杏子さんと凛々子さん、それから深香さんを残して食堂を離れた。
「えっと、どうしようか」
「うん。……言われた通り部屋に戻るのがいいと思う。一応、お話が終わるまで外出はお預けだね」
「どっちにしろ、まだちょっと時間も早いしな」
何しろまだ朝食の時間だったのだ。店も開いていないし、ついでに言えば親戚とはいえ他の家を訪ねるにも早い時間である。
「じゃあ、三人で悠奈さんのお部屋に行こうよ」
「そうね」
と、世羅ちゃんが言い出し、紗羅も頷いた。自分の部屋に戻るわけじゃないのか。いや、別にいいんだけど。
「……で、あの深香さんって人なんだけど」
部屋に戻り三人でテーブルを囲んだ後、俺はまず二人に尋ねた。それに答えたのは世羅ちゃんだった。
「お母さんが言ってた通り、私たちの従姉妹ですよ。今、二十歳だっけ」
「二十一歳だよ。夏が誕生日だから」
ってことは、紗羅さんより随分早く産まれた子供なんだな。杏子さんが旦那さんと結婚するのが遅かったのかもしれない。
「あの人って、その。世羅ちゃんのこと?」
「うん。深香様は世羅のことを溺愛してるの。可愛いものが好きらしいんだけど、その中でも特に」
「へえ。本人は男装したら似合いそうな雰囲気なのにな」
何の気なしに呟くと、紗羅が「それ、本人に言わない方がいいよ」と苦笑した。
「たぶん気にしてると思うから。本当は女の子らしいのに憧れてるんだよ」
「なるほど。……でも、それなら紗羅に目をつけるだろうに。実は節穴なんじゃ?」
「もう。悠奈さんはお姉ちゃんのことばっかりなんですから」
……そう言われても、本当のことだしなぁ。
「そういえば、悠奈さんたちは今日、お出かけするんですか?」
「うん。新しいコートを買いにね」
すると世羅ちゃんは「へえ、いいですね」と顔を輝かせながら手を合わせた。
それを見た紗羅が微笑む。
「世羅も一緒に来る?」
「いいの?」
聞き返した世羅ちゃんはちらっと俺の方を見た。
うん、別に俺の方も構わない。デートではなくなるけど、世羅ちゃんが相手なら邪魔されたという感情は浮かんでこない。
頷いてあげると嬉しそうな表情になるが、
「……ううん、そういうつもりで言ったんじゃないから」
顔を引き締めてそう言った。律儀だなあ。
そこへ、部屋のドアがノックされた。「はーい」と返事をするとドアが開く。入ってきたのは深香さんだった。
「あら。三人ともここにいらしたんですね。丁度良かった」
「深香さん。お話は終わったんですか?」
「ええ。だから、こちらに悠奈さんたちを呼びに来たの」
そう言って深香さんは微笑む。
……俺たちを呼びに? どういうことだろう、と俺は首を傾げる。
すると、得意げに立った彼女は堂々と、
「わたくし、しばらくこの屋敷に滞在することになりました」
「……へ?」
ちょっと意外なことを俺たちに告げた。
そして、彼女の意外な宣言はそれだけで終わらなかった。
「悠奈さんたちは今日、外出されるそうですね? そちらにはわたくしもご一緒しますので、よろしくお願いします」
「なっ!?」
マジですか?
突然の話にぽかん、と口を開けてしまう俺と紗羅。それを見た世羅ちゃんは何やら真面目な表情になりつつ、一同に告げた。
「……だったら、私も一緒に行きます」
……一件落着? じゃ、ないよなあ。
せっかくのデートが、なんだか波乱の様相を呈してきたしまったことに、俺は密かにため息をついた。




