対峙
「――おばさん」
……ん?
思ったのと違う展開に首を傾げる。てっきり悪魔を呼び出す魔法の呪文でも唱えるか、あるいは真夜の本当の名前を突き止めたんだと思っていたのだが。
紗羅の可愛い顔には似合わない暴言が飛び出したような。
「真夜とか言ったっけ。悪魔だもん、きっと私たちとは比べものにならないくらい生きてるんだよね。でも、歳の割に性格も幼稚なんだろうな。わざわざ私みたいな若い女の子の恋を邪魔するくらいだし。性格悪すぎるよね。きっとまともな恋愛したことないのかな」
「ちょ、ちょっと待った。紗羅?」
「なあに、悠奈ちゃん?」
慌てて呼び止めると、紗羅が首を傾げつつ振り返る。良かった、表情はいつも通りだ。特に気が狂ったわけではないらしい。
「その、悪口が悪魔と会うための秘策なのか」
「そうだよ。悪魔は地獄耳で、性格も悪いから。こうやって馬鹿にしてあげれば出てくるしかないの。呪いという形で繋がってる私が相手なら猶更ね」
……えっと、今の説明は素だったんだろうか。これも十分悪口に聞こえたが。
だが、まあ。理屈はなんとなくわかった。そんな簡単な方法を、今まで俺に伝えなかった理由も同時に察する。
「さあ、真夜おばさんはいつまで我慢できるかな? それとも、小娘ごときに何を言われても悔しくない、とか言って泣き寝入りするのかな?」
刹那、周囲の空気が凍った。
紗羅が言葉を止め、かかった、とでも言いたげな笑みを浮かべて中央に向きなおる。
すると――。
ちりん、と小さな鈴の音が響く。それはあの交通事故の時、そして予知夢のような悪夢を見た夜に聞いた音だった。
瞬き程の間。
俺たちの視線の先、その地面に、いつの間にか一匹の黒猫がいた。
あの猫は。
「――好き放題言ってくれるじゃない」
喋った。
黒猫が口を開き、大人の女の声を発した。それに俺は驚くが。
次の瞬間、猫の中心に光が瞬いたかと思うと、そこに『悪魔』が立っていた。
黒がかった紫の髪に同色の瞳。蝙蝠の翼に黒く細長い尻尾。露出度の高いボンテージ。以前に紗羅から聞いた通りの姿。
紗羅が小さく呟いた。
「真夜」
「久しぶりね、お嬢ちゃん。調子はどう?」
「最悪だよ、お蔭さまで」
悪魔――真夜は悠然と、紗羅は淡々と言って睨み合う。しかし、二人の言葉の端には隠しきれない苛立ちが滲んでいた。
俺はそれを見つめながら深いため息を吐く。
つまり、紗羅がこの方法を口にしなかった理由がこれだ。悪口を言って「怒らせて」呼び出すのだから、相手と最初から喧嘩腰にならざるを得ない。
手っ取り早いが故に、大きすぎるリスクを負う手段なのだ。
「それで、何の用かしら? そっちの子まで連れちゃって」
「とぼけないで。私たちの用件くらいわかっているんでしょう?」
真夜の瞳がこちらを向き、一瞬びくりとするが、すぐに紗羅が返してくれる。すると真夜はつまらなそうに頷いた。
「まあ、ね。……じゃあ、とりあえず場を整えましょうか」
真夜が左手を上げ、ぱちんと指を鳴らす。
その音を合図とするように、公園内を包み込むように不可視のドームが形成される。見えないのに認識できたのは、ドーム外の景色から色が失われたからだ。
いわゆる結界の類だと認識すれば、おそらく間違いではないだろう。
真夜は更にもう一度指を鳴らす。と、今度は紗羅と真夜との間に四人掛けのテーブルが出現した。その上にティーポットとカップが三つ。
「とりあえずお茶でもどう? 長々と立ち話もなんでしょう?」
「おかまいなく。悪魔を相手に、出された物へ不用意に手を付けるほど考えなしじゃないから」
「あらそう。残念」
大して残念そうでもない口調で呟くと、真夜はポットからカップへ紅茶を注いだ。それからカップ内の液体を飲み干すと、再度指を鳴らしてテーブルと食器を消去する。
……簡単そうにやってるけど、これって多分、結構な大事なんだよな。
「真夜。私の呪いを解いて」
「嫌よ。決まってるでしょう?」
「なら、対価を支払うから。それならどう?」
「……へえ?」
面白がるような声。立場的、力量的に圧倒的に有利だという自信の表れか、真夜の態度はどこまでも超然としている。
身に纏うボンテージとその美貌も相まって、女王然とした威厳があった。
「このまま呪いを維持していても、貴女の手に入るのは満足だけでしょう? だったら、実際の利益を取った方が良くはない?」
「利益ねえ。そう言われても、お嬢ちゃんに呪いをかけるのに私も魔力を使ったのよ。そう、寿命が削れるくらいにね」
悪魔の呪いにも代償はあるのか。
ただ、削った寿命がどの程度のものか、悪魔の寿命がどれだけあるのかがわからなければ、代償の重さは計りようがないが。
「寿命って、具体的にはどの位?」
「……四十年を二人分。それだけ払ったら解いてあげてもいいわ」
紗羅の問いかけに答えた真夜はそんな答えた。
――四十年。それだけの寿命、しかも二人分となれば相当な年月だ。人間なら人生の半分、悪魔としても決して短い時ではないだろう。
だけど、それで呪いが解けるなら。元の身体に戻れるなら。
俺は息を飲んで紗羅の動きを待った。交渉は全て紗羅に任せてある。もし、彼女がこの条件を飲むのなら、俺はそれで構わない。
しかし。
「話を逸らさないで。貴女が削った寿命は何年か、って聞いてるの」
「……ちっ」
紗羅は冷静にそう告げ、真夜が小さく舌打ちした。それを見て俺は初めて気づく。
二人の会話は噛みあっているようで噛みあっていなかったのだ。「呪いの代償に支払った寿命はいくらか」尋ねた紗羅に、真夜は「合計八十年で呪いを解く」と答えた。
これは別に「呪いの代償が八十年だ」と答えたわけではない。単に話題をすり替えただけだ。
「まあ、費やした寿命は五年ってところかしら。少しは頭が回るのね、お嬢ちゃん」
「ありがとう、全然嬉しくないけど」
五年が、八十年に。
もし俺が交渉を担当していたら、実に十六倍もの代価を要求されていた。
……うん。やっぱり騙しあいには向いてないな、俺。
「じゃあ、二人で合計五年分。それで呪いを解いてくれるよね?」
「はあ? 解くわけないでしょう。今答えたのは呪いで費やした寿命の年数であって、要求した対価じゃないわよ」
「……だよね。わかってる」
頷いた紗羅が少しだけ残念そうに息を吐いた。
「じゃあ、倍の十年。それなら利益も出るでしょう?」
「嫌よ。それじゃあ一人五年分の寿命で二人とも幸せ、末永く仲良く暮らしました、で終わっちゃうじゃない。そんなつまらない結末は認めないわ」
「……やっぱり性格悪いなあ」
「何とでも言いなさい」
あっさりと切って捨てた真夜はそれから「五十年」と要求を提示した。それだけあれば呪いを解除してもいいという。
元手の十倍。いくらなんでも暴利もいいところだ。これまで紗羅が苦しんできた年月を考えれば、こちらの痛手はそれ以上だというのに。
「……駄目。それは払えない」
「そう? なら別の物でもいいわよ」
「例えば?」
そこで真夜がちらりと俺を見た。彼女の唇が愉しげに吊り上がる。
「そうね。その子の前で、別の男に処女を捧げなさい。そうしたら許してあげる」
「な……っ」
何を、言ってるんだ。
そんなの認められるわけがない。俺や紗羅の感情を差し引いても、その条件は問題がありすぎる。さっき本人から聞いた通り、好きでもない誰かに抱かれた時点で紗羅の衝動は暴走するのだ。
そうなったら何もかも意味がない。
まさか、この条件を飲んだりはしないよな?
慌てて紗羅を見れば、彼女は俯いて身を震わせていた。
「待て、紗――」
「馬鹿じゃないの」
冷たい声が公園内に響いた。
きっと顔を上げた紗羅が真夜を睨みつける。
「私は絶対にそんな事しない。もしもう一度言ったら許さないから」
俺が止めるまでもなく、紗羅は自分で思いとどまった。
しかし――彼女は良くない方向に熱くなっているように俺には見えた。
「へえ? 許さないって、具体的にはどうするの?」
「貴女がいなくなれば、私の呪いは解ける。だったらそうすればいいだけだよ」
「っ。待て、紗羅!」
このままだと決定的な決裂になる。
そう思った俺は弾かれたように動き、紗羅の腕を掴んだ。
「悠奈ちゃん」
「落ち着け。交渉を諦めるな。まだ最後の手段に向かうのは早いんじゃないのか?」
「あ……」
丸く目を見開いた紗羅が、こくんと頷く。それを見た真夜がくすくすと笑った。
「なかなかいいコンビみたいね。さっきからお喋りしてくれないから、単にお嬢ちゃんの言いなりなのかと思ったら」
「悠奈ちゃん」
「大丈夫。そんな挑発には乗らない」
紗羅の腕を離し、真夜に向きなおる。すると紗羅も俺に並んだ。
まだ、もう少し。諦めるのは足掻いてからだ。




