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聖女の妹、『灰色女』の私  作者: ルーシャオ


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第十八話

 私は着実に、そして内密に、最後の復讐の計画を進めていった。


 ただ、その最中にも——心揺れる出来事がなかったとは言わない。


 不思議なほどアイメル様が私に寄り添ってくれるせいで、本当にこのまま復讐を実行していいのかと迷うのだ。


 聖女アリシアの来訪以来、アイメル様は王城騎士団に出向かず、シェプハー家屋敷に留まっていた。


 本人は気楽に振る舞っておられるものの、その心中(しんちゅう)如何(いか)ばかりか。そう思うと、私のことでもないのに胸が張り裂けそうになる。


 そしてついに、私はアイメル様へこう提案したのだ。


「寝室を……分けていただいておりますけれど、何か意味がおありでしょうか? もし差し支えなければ、夫婦ですもの、同じ寝室にと思うのです」


 私は恥ずかしさのあまり、顔から火が出そうだった。


 一方で、書斎でゆったりと安楽椅子に座っていたアイメル様は、ひどく動揺したのか手にしていたコーヒーカップが著しく傾き、淹れたてのコーヒーがそのままアイメル様の太ももに流れ落ちて大惨事となった。


 ちょっとタイミングが悪かった。さすがに私も反省した。


 幸いにも火傷はなく、慌てて私は替えのズボンや下着などを用意して、着替え終えたアイメル様はこう言った。


「……それは、あなたがいいのであれば、もちろん喜んで。ただ」

「ただ?」

「いきなり夫婦の営みを、ということであれば、もうしばらく待ったほうがいいと思います。単純に」

「た、単純に……?」


 どういう意味だろう。


 私はじっとアイメル様を見つめる。


 発言から、アイメル様の意図するところが分からない。何か問題があるのだろうか。


 私だって、オールヴァン公爵家で淑女教育は受けてきた。生娘なのは間違いないが、男女の話くらい理解できている。


 貴族の結婚は、家同士の同盟と等しい。ゆえに、妻は夫の後継ぎを産むことが最優先であり、それによって同盟は深化していく。そういうものだ。


 つまり、早く私がアイメル様の御子を産めば、それだけシェプハー家にとっても有益であるはずなのだが——単純に、何が問題なのだろうか。


 アイメル様は黙ったままだ。焦らされ、私は早く答えを知りたい思いに駆られる。


 ところが、アイメル様は思案の末、思ってもみなかった話を持ち出してきた。


「準備を、しましょう!」

「準備、ですか?」

「はい。同じ部屋を共有するなら、互いに理解できる範囲の趣味趣向であるべきです。寝室ならなおのこと、たとえばカーテンの柄一つとっても趣味に合わないものを朝から目にしたくはない、そうでしょう!?」

「……そ、そうでしょうか」

「そうなのです」


 そういうわけで、私はアイメル様と買い物に出かけることになった。


 アイメル様の真意のよく分からない主張で押し切られた形だが、別に悪くはない。


 私が嫁いで以来、アイメル様と二人でお出かけなんて初めてだからだ。


 遠くの厩舎でドンケル夫人が自分も連れて行けとばかりにいなないているが、後ろ髪を引かれる思いで私とアイメル様は乗合馬車の停留所まで歩くことにした。


 私は唾広の帽子とスカーフで灰色の髪をしっかり隠し、厚手のロングドレスと簡素なジャケット、それに革鞄と歩きやすいストラップシューズ、いつもどおりの外出着だ。


 対して、アイメル様はネルシャツに乗馬用ズボン、ジョッパーブーツという慣れた服を日常着としており、そこにロングベストとシルクタイ、チェスターコートというどれも派手さはないが身分階級に相応しいきっちりとした装いだ。


 何せ、アイメル様は私より頭ふたつ分は背が高い上、肩幅や胸板の厚みも含めてかなり大柄だ。下手な服装だと無用な威圧感を与えかねず、結局地味な格好に収まったのだとか。


 もう一つ、帽子は被らないのかと尋ねたところ、以前風で飛ばしてしまい被りたくないそうだ。


「いつもは軽兜ですからね。ふと略式軍帽を頭に載せて、軽いのですっかり被っていたことを忘れていたのです。ちょっと本気で走り出したらどこかへ飛んでいきました……」


 王城騎士団副団長のアイメル様にも、悲しい出来事があったのである。


 ともかく、出発だ。未だ王都郊外は主要な街道以外は整備が進んでおらず、土道(つちみち)が多い。二人で歩くとそれがよく分かる。


 道側を歩くアイメル様は、普段よりゆっくりと歩いていた。私は普通に歩いているだけで、その歩幅に追いつくのがやっとだ。


 すると、アイメル様は右手を差し出してきた。


「申し訳ない、私は無駄に歩幅がありますから……あなたの歩幅に合わせるためにも、手を繋いでおいたほうがいいかと」


 もっともな話だ。誰かと手を繋いだ憶えのない私は、おずおずと左手を大きな右手へと置く。


 すっかりアイメル様の手のうちに収まった私の手は、まるで大人と子どもの手というサイズ感で、手を繋ぐというよりアイメル様の五本の指に包まれているようだ。引っ張られれば否応なく引きずられていきそうなほどの体格差に力の差は、本能的に恐怖が芽生えてしまう。


 アイメル様はすぐには歩かず、私の様子を観察しているようだった。


 あまりにもまじまじと見つめられるため、つい私は見上げて不服を訴える。


「アイメル様。何かございましたら、おっしゃってくださいまし。じっと見つめられると、いくら何でも恥ずかしいです」

「それは、気付かず申し訳ない」

「いいえ。やはり私はアイメル様の隣を歩くには少々、小さいでしょうか……」

「そんなことはありません。今日一日は私がしっかりと責任持ってエスコートします。あなたを覚えるためですから、心配しないでください」


 そういうものなのかしら、と私はやっぱりアイメル様の真意を掴み損ねている。


 アイメル様はどうしたいのだろう。言っていただければ、合わせるのに。


 何となく違和感があるものの、それは私たち二人の距離がまだ離れていることの証だろうと思った。


(寝室を同じくするなんて、早すぎたかしら……そういえば、結婚を決めてこちらに来てまだ一ヶ月も経っていないし、でも結婚の話だっていきなりだったもの。お互いをもっと知らないといけないはずだけれど、アイメル様のことがもっと分かれば私だって合わせられるのに)


 私とアイメル様は、恐る恐る歩き出す。


 初めは一歩ずつ確認するように、私の足を追うようにアイメル様も足を運んでいく。


 それが慣れたら、私は徐々に普段どおりの歩くペースへと上げていく。アイメル様は自然にそのペースへと合わせてくれた。


 ダンスのリードのように、私がアイメル様をリードして歩くのは恐縮ではあるが、こうすれば私は歩幅を気にすることはない。アイメル様は大丈夫だろうか、と視線を向けると、微笑みが返ってきた。


「そのまま、こちらは気にせず歩いてください。慣れてきましたから」

「分かりました。では、おしゃべりしながら行きましょう」


 私とアイメル様は、お互いを知らなさすぎる。


 私の話なんて大したことはない。オールヴァン公爵家に生まれた『灰色女(グレイッシュ)』で、聖女の妹の陰でこっそり暮らしてきただけの令嬢。


 でも、アイメル様は違う。


「以前にもお話ししたとおり、シェプハー家は代々騎士の家系です。遡れば確かにこの国でもかなり古参の騎士の家で、魔法を使わずともやっていけるよう鍛えてきました」

「だから、アイメル様は体格がとても大きいのでしょうか」

「ははっ、おそらく。王城騎士団はあまり世間に知られていませんが、皆魔法とは縁遠い者たちばかりです。貴族たちが強力な魔法のノウハウを独占している以上、騎士が魔法を使うということは(はばか)られていたため、自身の肉体一つで魔法をねじ伏せる必要がありました」

「ねじ伏せる必要があるのですね」

「……はい。まあ、色々と」

「なるほど」

「王家を守るため、魔法で魔法に対抗する宮廷魔法使いもいますが、彼らは必ずどこかの貴族と繋がりがあります。そのため、貴族の叛意に警戒するためには、貴族とは関わりのない騎士も王族の方々の周辺に配置しなくてはなりません。そのため、王家と騎士団は伝統的に密接な関わりを持っています」

「それは知りませんでした。不勉強でお恥ずかしいです」

「いやいや、これこそ世間では知られていないことなのです。今の王城騎士団団長は第二王子殿下でして」

「えっ!?」

「団長は本来名誉職ではありますが、第二王子殿下も騎士に負けず劣らず鍛えておられます。騎士では王族の方々のプライベートにまで踏み込むことが難しく、宮廷の奥で何かあれば第二王子殿下が対処することになります。大抵の暗殺者なら拳の一撃で何とかなるでしょう」


 それはそれで怖い気もする。


 しかし、私の手をすっかり包む大きな手であれば、同じくそのくらい難なくこなすのだろう。そう思うと、私の夫はとても頼りになるのだと改めて実感する。


 それはさておき、王城騎士団の団長が名誉職であれば、副団長は実質的なトップだ。アイメル様は本当の意味で王城騎士団を率いるほどのお方だったとは、私はまったく知らなかった。


 それゆえに、もし聖女アリシアの権威で職を追われることになれば、悔やんでも悔やみきれない。早く何とかしなくては、その思いは無意識にアイメル様の手を握りしめてしまっていた。


「どうかしましたか?」

「いえ……そうだわ、アイメル様のご趣味はどんなものでしょう?」

「趣味? 趣味ですか。体を鍛えることなら、一日中でも」

「では、お好みのカーテンの柄は?」

「あっ……そ、そうですね、忘れていました。派手でなければ、落ち着いた色合いや柄が好みです」


 思わず、私は小さく笑ってしまった。


「私と同じです。派手なものは好みではなくって、私は地味な顔立ちと髪の色ですから、全体的に落ち着いたものだと助かります。無地でもかまいませんし、淡い色合いも好きです」

「なるほど、なるほど……それがいいかと! 柄物は破ってしまったときに合わせて縫うのが厄介ですから」

「え? カーテンを破るのですか?」

「……昔、そういうことがありまして」


 聞けば、アイメル様は幼いころからカーテンレールとカーテンを壊す常習犯だったらしい。


 その話を語るアイメル様はどこかしょんぼりしていて、毎回こっぴどく叱られるも成長期は力の加減ができずよく破壊してしまっていた、しかもご自分で針を持って縫って直していた、とのことだ。


 私は、アイメル様が大きな背中を丸めて小さな針を持ってちくちくとお裁縫をしている姿を想像すると、何だかおかしかった。


「その他にも、ことあるごとに服を破いては自分で縫い、擦り切れれば当て布をし、裁縫技術だけは男にしてはそれなりに上手い部類だと自負しています」

「では、刺繍などは?」

「刺繍ですか、私はやったことはないですね」

「なら、こうしませんか? 無地のカーテン生地を買って、好きなように刺繍を入れてはどうでしょう。私がお教えしますわ。カーテンと同じ色の絹糸も使えば、風ではためき光が当たると刺繍が見えるということもできますし」


 二人して少し口を閉ざして、頭の中でその光景を想像してみる。


 朝、窓から差し込む光がうっすらとカーテンの清楚な柄を浮き出し、ベッドで寝ながらその様子を眺める。レースのカーテンもあればもっといい、影が壁や床まで精緻な模様を描き出す。


 決して派手ではない、だけどそこにさりげなく、私たちが手ずから刻んだ証が見える。


 そういう風情(ふぜい)をアイメル様も思い描き、大きく頷いて賛同してくれた。


「それはいい案ですね。二人で完成させればきっと楽しいでしょう」

「いい思い出になると思います。アイメル様がお忙しいときは私が細かいところをやっておきますから、少しずつ進めましょう」


 二人の寝室となる広い部屋のカーテンは一枚や二枚では利かず、完成するまで何ヶ月もかかるかもしれない。


 それでも、アイメル様は嬉しそうだ。提案した甲斐があった。


「よし。では、今日はカーテンの生地と糸、刺繍針を買うということで」

「はい。アイメル様のお好きな刺繍の図案も買いましょうね」


 ほんの少し二人の歩く速さは増して、そんな他愛ないおしゃべりを続けながら、乗合馬車の停留所まではあっという間だった。


 アイメル様のことをまた一つ知ることができた。





 その嬉しさで、私の集中力はより鋭く、より精密に——復讐へと牙を研いでいった。

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