多賀谷重経現る
この物語、作者のせいで色々無茶な上軽いですが、一応城の縄張り図(魔改造設定の手子生は役に立ちませんが)地形図高低図、当時の河川の流れなどは目に通して、現地も行ったことがあるので頭に入れてやってます。実は。
俺は手子生城から150人+輜重隊50人の部隊を率いて出陣し、小田城から見て桜川の対岸にある若森の古城を目指した。
ここを多賀谷政経が修築して拠点としようとしているのだ。すでに若森古城の少し北にある若守城(わかりにくいが別の城でこっちのほうが少し小さい)は多賀谷の手に落ちてそこを拠点に若森城の修築をしているという。
俺たちは花室川を渡り、松林を抜け、先に戦があった平塚原を通り、若森城に近づいた。
開けてきたところで若森の方が望める地点までやって来た俺は双眼鏡を出して様子をうかがう。
「…多賀谷勢はすでに若森城に入っているようだな。堀や土塁の修築もあらかた終わって土塁の上の塀や門もすでに出来上がっているようだ…」
「となると城攻めですか。」
と今回副官として付いてきてくれた野球軍団長、乱馬さんが聞いてくる。
「多賀谷の軍勢は旗の数から見て1000は下らず、下手すると2000はいそうな勢いですね。城攻めだけでも無茶なのですが・・・それに加えて。」
「加えて?」
俺は乱馬さんに双眼鏡を渡すと説明した。
「若森城は深田…実質上沼に突き出した台地の上にあります。一番奥が本丸で、その前が二の丸。すでに多賀谷は修築を終えて二の丸の前には大堀があり、堀の脇の張り出しからは横矢もかけられます。この台地に沿って連郭式の城を作って、その手前側に大きな堀を置いて防備を固めるのは常陸の城ではよく見られる様式ですね。近くだと牛久城とか有名なところだと水戸城とか。その前の門も馬出しになっていて攻めにくいですし…さらに。」
「さらにあるのですか?」
「門の外側に塹壕を掘って陣地を作り、馬防柵やら逆茂木やらで固めてます。」
「ちょうど我らが上杉にやったようにですな。」
「そうです。この辺りの武将にはすっかり覚えられてしまったようで。」
「相馬殿、どうなされます?」
「…兵力差的には城攻めには5倍の兵力が必要としますが、今回は逆に5分の1.厳しいですね。」
「となれば私が若森城に忍び込んで破壊工作をするというのはいかがでしょう?」
「いや、それは止めておきましょう。乱馬さんが城中で美少女と出会って『戦いの中で戦いを忘れた。』とか行って討ち死にされるのも困りますし。」
「ははは。そうはなりませんが…まあ忍者軍団を率いる相馬殿が難しい、と言うなら我々素人では困難なのはわかりますな。」
「ここは火砲の優位を持って攻めてみましょう。」
と決した。そこで最初から持ち込んでいた迫撃砲やロケット弾を打ち込む。今回ロケット団はちょっとカッコイ悪いがリアカーに山程連装して積んだのを簡易野砲的に使うのだ。貧乏人のカチューシャ。
シュバッ!シュバッ!
と次々と音がして若森城の方へ向かって飛んでいくロケット団。爆発音とともに土塁の上の塀が吹き飛び、大手と見られる門(とはいっても大きな城ではないので簡単な冠木門だが。)も破壊された。
「相馬殿!これで相手の防衛施設はかなり叩けましたな!」
「いざ、進んでみましょう!全軍前進!」
と鉄砲隊を前に並べて前進する。塹壕から100mぐらいの距離に近づいた時…一斉に音が鳴り響き、塹壕から一斉射撃が繰り出された。
まだ距離がある(火縄銃の射程は100mぐらいだが、有効射程となると50mぐらいだ)ので目立った被害は出なかったが、俺達は竹束を並べて後ろに潜り込む。竹束では不安だから中にはポリカーボネートの板で補強してあるのだ。
「相馬殿!奴ら鉄砲を多く持っておりますな!ではここで血路を切り開いてみましょう!赤穂君、小泉くん、クラッカーだ!」
と肩自慢の赤穂くんと小泉くんがクラッカー(手榴弾)を塹壕に投げ込む。爆発音とともに塹壕から足軽たちが逃げ出して、後方の塹壕に下がる。
「まだまだおかわりはあるぞ!いけ!レーザービーム!」
レーザービームと行っても光線銃が出てくるわけではなく、自らの肩をかつての名外野手、イチローに例えたものだろう。
乱馬さんの投げた手榴弾は的確に相手方の塹壕に吸い込まれていき、多賀谷の兵を追い散らす。
出てきた兵を火縄銃で狙って撃ち、相手に射撃の準備をする間も与えないようにしていると、塹壕に籠もっていた足軽たちは死守するようには言われていなかったのか、壊れかけた門の内側に消えていく。
俺たちは兵を進めて城に近づく…が、土塁の上には数多くの弓兵が並び、射程に入ったら雨霰と矢を降らせる構えを見せている。
「ええい。ここでガトリング銃でもあったら楽なのに。」
「相馬殿、それは贅沢というもの。いくら真田店長でも魔法の手があるわけではありませんからな!」
ひとまず城の前の兵は追い払ったものの、なにか打つ手がなければ相手の方が多いのだ。城の弓の射程の前で一旦停まり、次の手をどうしようかと思案していると…
若森の城からド派手な鎧をつけた武者が兵を引き連れて出陣してきた。
…前進キンキラ、てか金。印象としてはZガンダムの百式、じゃなくてなぜかピコ太郎。PPAPの。
そのピコ太郎(流石にグラサンじゃなくてこれも金の兜だけどね。)がぞろぞろと鑓ではくて鉄砲隊を従えて出てくる。…その数300?正直この時代、この場所に出てくる数としてはベラボウに多い。そのピコ太郎は俺達のだいぶ前に馬を止めると、鉄砲足軽に命じて整列させ、こちらに銃口を向ける。それからこちらに大声で語りかけてきた。
「我らに散々爆裂弾を馳走してくれたその軍勢、相馬典薬殿の隊とお見受けする!」
「いかにも相馬典薬である!そちらも名乗られよ!」
それは答えた。それに対してピコ太郎は
「我は下妻城主多賀谷政経が嫡男、多賀谷修理太夫重経である!」
多賀谷重経、どうりで派手好きなはずだ。まだ14−5歳ぐらいのはず。しかし史実ではその武勇と謀略で領土を拡大し、最盛期には『下妻20万石』と言われる勢力を作り上げ、鉄砲運用でも優れて1000丁を越える鉄砲隊を持って佐竹や結城の宗家よりも大きな直轄領を誇るようになった謀将だ。小田原征伐以降の動き方をミスって最後は零落しちゃうけど。
と言っても多賀谷重経が相手となると油断はできない。しかも史実よりもずっと早く火砲の有用性に気づいて編成/運用してしまっている。ヤバい。
「ここは我らが先駆けしてアノものを引きずり下ろしましょうか?」
と耳打ちする乱馬さん。
「いや、多賀谷重経は強いのです…とっても。多分ここにいるメンツだと剣豪の斎藤伝鬼房さんぐらいでないと厳しいかと。それと奴がいる所は城の弓兵の射程内ですね。」
「相馬典薬殿!」
多賀谷重経が続けてくる
「貴殿の上杉との戦いぶり!我は幼い頃父から聞いて感服いたしました!見てくだされ!今では我らもこの様に鉄砲を使いこなせますぞ!」
と子供が自慢のおもちゃを見せびらかすように言ってくる。ちょっと怖いかも。
「その我が心の師たる相馬殿に免じてここは退いてもらえませぬか。退いてもらえたら手出しは致しませぬ。」
そもそも俺の名前に殿、を多賀谷重経がつけている時点でちょっとおかしいのだが、どうやら俺たちのことは買ってくれているらしい。
「ここは奴の言う通り退却しよう。」
俺は横を向いて皆に話した。
「このまま攻め込んでも長篠の戦いどころかラストサムライの二の舞だわ。」
「では多賀谷重経を信じると?」
「いやぁ、あの謀略大好きがただでは返してくれないでしょう。」
と俺たちはちょっと相談すると、旗を巻いて退却する姿勢を示した。
それから兵を返して手子生の方へ退却を始める…殿は俺が勤める。
しばらくは多賀谷勢は動きを見せなかったが、俺達が本格的に退却を始めた、と見てとるや多賀谷重経は号令を発して、一斉に鉄砲隊と、その後ろの槍隊がこちらに向かって動き始めた。だからいったこっちゃねー。油断も隙もない。
「だよな。なので「このようなこともあろうかと。」」
先に火をつけて置いてしばらくしたら勝手に発射されるようにしてあったリアカーカチューシャモドキの残りが一斉に火を吹いた。水平射撃で多賀谷の兵の間をロケットが飛び回っては爆発する。
「止まれ!止まれー!」
と多賀谷重経が号令しているのを耳にしながら、身軽になった俺達は全力で多賀谷勢から離れる。元々鎧甲冑を着けているこの時代の武士たちよりはボディーアーマー主体の俺達の方が身軽なのよね。今回この時代の兵の皆さんは守備に残してきて正解だったでござる。長槍も投げ捨てて追いつかれた時の近接戦闘はスコップだぜ、とランニングする俺たち。途中に釘で作ったマキビシを撒き散らし、足の早い脚絆を履いた敵兵が『いたぃ!』などと叫んでいるのを聞きながら、どうにか俺たちは多賀谷の兵を振り切って手子生城に戻ることに成功したのであった。
とは言っても俺たちは若森城の修築を阻止することが出来なかった。多賀谷重経は若森城に兵を率いて駐屯し、俺たちホムセン衆と小田城との物理的な連絡は困難になってしまったのである。




