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戦国ホームセンター  作者: 白苺
VS佐竹義重編
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佐竹義重、蠢動する

投稿再開です。おまたせしました。今回からVS佐竹編に入ります。


 1573年.世界は核の炎に包まれた…じゃなくて常陸国には銃弾が飛び交っていた。

こうして俺たちはついに手這坂の戦いのフラグをへし折り、小田家は片野・柿岡も回復して氏治様が代を継いでからは筑波郡の大部分を支配する最大に近い版図を得た。


 しかしそれに相対するのは『鬼義重』こと佐竹義重。まだ26歳の若武者である。父義昭はようやく洞中を取りまとめ、常陸制圧にあと一歩まで迫ったが、10年前まだ30代の若さで病死してしまった。それを継いだのが佐竹義重である。巨大な金砕棒を振るい、陣頭で自ら振るう姿から『鬼』と言われていたのだ。


 織田信長の尾張もそうだったように、佐竹義重も10代の若さで佐竹家を継いでからは一旦、宗家の求心力は弱まった。そのため例えば水戸の江戸氏と府中の大掾氏が戦うようなことがおこっていたのである。


 しかし義重はその持ち前の武勇と知略で次々と手を打っていった。西の下野は那須氏や宇都宮氏と同盟して固め、北の白河結城を下して南陸奥に拠点を築いたかと思えば、その東で常陸のすぐ北側の岩城氏に養子を送り込むなどして事実上傘下に収めて北方の敵対勢力をあらかた片付けてしまったのだ。岩城氏や白河結城氏の北方となると会津の巨人、蘆名盛氏とその後を継いだ盛興となるが、蘆名とは友好関係にあって佐竹氏は北と西の2方向は平らげて南に注力できるようになってしまったのである。ちなみに東は太平洋ね。その支配域は(まぁこの時代大名が専制的に支配できているわけではないので一応影響力があってうまく行ったら動員できるよ、当範囲ね。)石高で表すとざっと75万石、動員力は18000を越えていた。


 そうなると佐竹の目の前に直接立ちふさがるのは…俺たちホムセン衆が属している小田氏治になってしまったのだ。小田は小田原北条家からも助力を得ているから、関東の制覇を狙う北条と、北関東の覇者となりつつある佐竹のちょうど真正面に位置してしまったことになった。


 先の戦いで所領を広げたとはいっても筑波郡は約6万石強、それに信太郡4万石と新治郡南半分強5万石をあわせて15万石といった所なのである。しかも多賀谷政経に谷田部城を押さえられて筑波郡の南と信太郡を治める岡見氏との連携は取りづらい状況になっているからますます辛い。史実じゃこれより一回り狭い支配域で6000騎を動員していたが、6000騎だとざっくり20万石ぐらいは普通は必要だから、結構小田家の動員って無理をしていたかよほど住人が小田家のために戦っていたかなんだと思う。


 こうして佐竹はその75万石(相当)の多くを小田家を攻めるのに振り向けられるのに対して、小田家は多めに見繕って15万石。単純に石高だけでも1:5なのである。機動戦士ガンダムの地球連邦とジオンの差が30倍とか、太平洋戦争のアメリカと日本の差が12倍とかに比べればだいぶマシと言えるかもしれないし、北条もお手すきならば助けに来てくれるが…お手すきならば、なのである。そこが問題だった。


「牛久城には北条の兵が詰め番ではいってくれるようになりましたぞ!これで千葉頼胤めからの兵を打ち破れました。お館様ももっと北条を頼って土浦に兵を置いてもらったいかがでありますか?」


 と久しぶりに土浦城に顔を出した岡見家惣領、岡見治弘様が小田氏治様に千葉を破った戦勝の挨拶に訪れた際の挨拶で言い出した。俺たちも含めて小田傘下の諸将は土浦に今後の方策を話し合うために集まっていたのである。


「北条家の力も大きかったと思うが、岡見、最近貴殿に仕えた栗林義長という将が八面六臂の活躍だったと言うではないか。」


 と氏治様。


「たしかに栗林はすごい。僅かな兵を預けて我らは北条の援軍と籠城していただけで千葉の軍の船が燃え上がっていたのでございます。まるで三国志の赤壁のように。」

「それで『今孔明』と呼ばれているのか。」

「左様でございます。あ、今孔明と言えば当家には天羽源鉄様もいらっしゃいましたな。」


 と言われて天羽源鉄先生は


「いえいえ私など孔明の足元にも及ばず…孔明の異称はその栗林殿に差し上げます。」

「その遠慮深さが天羽先生ですなぁ。」


 と氏治様はかえって感心した。


「とはいえ岡見殿、これで東からの脅威はひとまず去ったな。となれば。」

「まずは多賀谷めが居座る我が居城、谷田部を取り返してくだされば、岡見の一族も佐竹との戦いに当たれましょう。」

「うむ。」


 という訳で、小田家の戦略としてはまずは谷田部城を攻略して岡見家との連携を取り戻す、という方針になったのである。


「ところでその栗林殿はこちらには参らぬのか?」


 と氏治様が尋ねると


「まだ東に対する備えを色々準備しているとのことでして…谷田部攻めについてはなぜか『まだ早い。俺は千葉や土岐に対する手筈が終わったら若栗城にはいって事後の準備をする。』と言って出てこないのです。」

「そうか。残念であるな。」


 といって諸将は谷田部攻めのためにそれぞれの城に戻って準備をすることになったのであった。


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