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戦国ホームセンター  作者: 白苺
VS太田資正編
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平塚原の戦い


 1570年になった。和暦だと永禄13年だったが、4月からは元亀元年になった。俺はダラダラした関係をしっかりしなければ、ということになって結局『間違いなく高貴な生まれだけど正体を開かせない』滝夜叉姫こと五月姫を正妻に、『それなりの武将の娘だったけど両親親族滅びて天涯孤独に近かった』さくらさんが側室扱いという事に収めることにした。


 五月姫は家の中の取り仕切りなどは

「この世(時代)のやり方は分からぬ。任せた。」


 といって奥向きの仕事はしなかったので、当然さくらさんが切り盛りすることになったのだ、表面上の立場はともかく、俺にとってはダブル正妻状態であった。


 立場をとにかく固めたのは…五月姫にも子供が出来たからで…


「と言うわけでこの滝雲丸が嫡男ということで。」


 とそこだけは譲れない五月姫なようであった。しかし幸いさくらさんは


「滝雲丸が嫡男ならば兄の滝桜丸にも十分な知行を分けられるぐらい出世しなさい!」


 と俺の尻を叩くので…うう。見た目は二人共愛らしいがちょっと鬼なのである。




 我が家の事情はともかく、農作物の増産と酒の製造販売で儲けている小田領にまた次の魔手が迫ってきたのである。


 それは結城晴朝であった。最近は佐竹(とその客将の太田資正)との戦いが多かったので、やや存在が薄かったのだが、元々結城は小田の宿敵なのである。8月、佐竹との戦いで小田が消耗していると見て兵を挙げて攻め込んできたのだ。


 結城晴朝は毎度のとおり、下妻城主多賀谷政経を先陣として攻め寄ってきた。


 偵察に出した飛加藤さんによれば


「今回は主だった将は多賀谷しかいませんぜ。真壁はすっかり佐竹に取り込まれてますし水谷は本業の下野方面で忙しいようで。多賀谷にしても家老の白井全洞は豊田城への抑えに向かってますんで全軍で5000といったところですな。」


 結城の本隊は鬼怒川を渡り、多賀谷も小貝川を下ってこちらに向かっていた。俺たちがいる手子生と穂羣ホムセンにも兵が向かって来たため、兵を出せずに籠城する事になった。


 俺は無線で小田の天羽源鉄先生に連絡を入れた。


「…すみません。多賀谷はこちらの包囲に2000ほどの兵を回していまして。予想よりも鉄砲の数も多く、こちらも落とされないとは思いますが撃破してそちらに合流することは難しそうです。」


 そう。多賀谷は多くの鉄砲を装備していたのだ。推定で100丁は越えてそうだ。毎度おなじみ手榴弾ではスリング使っても射程がきつく、散発的に迫撃砲もどきを打ち込んでいるが、なんていうかすっかり慣れられてなんていうか舐めた様子なのである。


「うむ分かった。こちらは私達に任せて相馬くんは手子生を死守してくれ。」


 と天羽先生。


 多賀谷勢はホムセンの方にも兵を回したようだが、そちらはまだ生きている大規模太陽光発電を利したコンプレッサー銃の乱射(まあざっくりガトリング砲チックには射撃できる)を受けて、早々に退却したらしい。ホムセンの無事を聞いてホッとする間もなく、


 そちらから戻ってきた兵と合流し…すわ力攻めか、と身構えていた俺たちの目の前を兵を1000ほどに減らして残りの部隊は結城晴朝の本陣目指して去っていったのである。


 といっても俺たちの兵力は300ほどで、鉄砲の装備率は高い(例の真田店長製雷管銃もある)が、目の前の1000の多賀谷を叩きに打って出るのはギャンブルがキツかった。


 大量の竹束(銃弾よけに使う)と結構な数の鉄砲隊を残していったのだ。結局俺達手子生の部隊は出陣することが出来なかったのであった。


 数日間に渡り、多賀谷勢と城内の俺たちは睨み合っていたが…そうするうちに軍勢の音が聞こえたかと思うとなんだかぼろぼろになった結城の軍勢が城の北側を通過していった。ボロボロとはいっても力攻めをされては厄介、と身構えていたのだが、手子生城を包囲していた部隊を吸収すると、小貝川を渡りそのまま撤退していったのである。


「…助かったのか?」


 と一息付いた俺の所に結城勢の追撃から戻った織部くんがやって来て戦況を教えてくれた。


「結城勢は平塚原まで侵入し、そこの安楽寺に陣を貼りました。小田は旗本の他、上ノ室城主・吉原越前、花室城主・大津長門らを大将に平塚原で結城と交戦、その日は決着がつきませんでした。土浦城主の菅谷様が別働隊を率いて桜川を渡り、一ノ矢原で三手に味方を分けると結城勢の本陣を火攻めにして打ち破ったのです。菅谷様いわく『火炎瓶はよく燃えますな!ガッハッハ。』とのことです。」


 この『平塚原の戦い』で結城勢を打ち破ったことで小田氏治の武名は更に轟くことになった。


 この敗戦を機にこれまで結城の家臣として小田と相対していた多賀谷政経は先に結城洞中から佐竹洞中に鞍替えしていた真壁氏のように、これ以降は佐竹氏の配下として行動するようになったのである。


 これまで主家(結城)に遠慮していた多賀谷政経は佐竹の傘下となり一気に自由に行動するようになった。そして一気に下妻から小貝川を下って南下し、小田家の重臣岡見治弘様の居城、谷田部城を陥落させたのであった。


 岡見治弘様は無事谷田部城から逃れた。本拠を南の牛久沼の南に位置する牛久城に移し、東禅寺城や東林城など牛久沼北側の城塞群をもって多賀谷に抵抗する姿勢を見せたのであった。しかし多賀谷が谷田部城を支配することにより、岡見一族と小田本城との連絡線は途切れたのである(霞ヶ浦側の土浦経由の筋はあるが…)


 小田と重臣の居城の間に楔を打ち込み、小田家との間を引き離す多賀谷政経の戦略は効果を発揮しつつあった…。


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