小田氏治、常陸府中へ出陣する
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永禄9年(1566年)俺たちは出陣のために小田氏治公によって小田領最大の城で重臣菅谷様の居城である土浦城に集結させられていた。
土浦城はこれまで小田城が落とされた時に毎度毎度氏治様が逃げ込んでほとぼりが冷めるのを待っていた城である。これまで俺たちの活躍により(?)史実よりは2度ほど落城の機会が少なかった上に星型稜堡に魔改造されていた小田家の本拠、小田城であるが、元がただのデカイ居館の平城であるがゆえにしょっちゅう落とされていた。
しかし小田家はこの地を400年以上支配してきた上に比較的温和な気候もあって住人たちに愛されていた。その上氏治様は戦いになると見境なく突貫したがるところはおいておいて、普段は税率の低さ(統治が安定していたので収奪の考えがなかった)もあるが、本人が存外人懐っこくて領内を出歩いては住人たちと交流を深めていたこともある。
小田城が攻められると住人は当然被害を避けるために筑波山(の寺社など)に逃げ隠れる。普通だと戦になると城に住人が集まってくる事も、この時代に限らず例えば幕末の会津若松城のようにあるのだが、小田城は規模も大きくないので戦に動員された兵以外は城に入らずさっさと山に逃げてしまうのだ。
そして小田家が敗北して敵が小田城に入る(結城氏や佐竹氏など)と戦が終わったのに人々は村々に戻ってこず、それどころか持ち出していた備蓄を年貢として土浦などに逃げている小田氏治様の所に収めてしまうのである。
そのため支配しようとしても年貢も得られず、いっそのこと収奪しようとしても人すらいない状況になる。住民を戻そうにも筑波山は霊山であるゆえに寺社の数も規模も大きく、寺社の特権をかざされてそれも出来ない。そうして小田城を攻め取った結城や佐竹は維持できなくなり…しばらくするとしれっと氏治様が逆襲してきて敵を追い出して小田城に復帰してしまうのであった。
ちなみにここまで落城回数と城の魔改造の件を除いて本当に史実。
それはともあれ話を戻すと、土浦城で小田氏治様は軍議を開いていた。
「これから常陸府中(石岡)の大掾を攻めるぞ。」
氏治様は宣言した。
「佐竹の客将、太田資正に奪われた片野城とその西の資正の息子、梶原政景に獲られた柿岡城は我が帝国の奥深くに突き刺さった棘のようなものである。」
…やばい。氏治様ホムセンにあった『風の谷のナウシカ』にハマって号泣していたのか皇弟ミラルパみたいな事を言いだした。大海嘯でも起こして太田資正を倒す気なのだろうか。
「しかし資正は片野城を固く固めている。また片野に攻め寄ろうとすると…この府中の大掾氏に側面を晒すことになる。」
とプロジェクターの画像を軍配で示して説明する氏治様。いや未来のテクノロジーに馴染みすぎでしょう。だったら戦術ももっと勉強してくれ。そっちの勉強が衛府の七忍と薩摩示現流の奴じゃ不味いだろ。
「よってまずこの府中を叩き、土浦から府中に至る線を構築して太田資正を裏筑波に孤立させるのだ。」
示しているグランドプラントしてはなかなか氏治様やりよる。できるかどうかが問題なのだが。
「お言葉ですがお館様。」
と異論を唱えたのは重臣で小田領南側の谷田部城主、岡見治弘様であった。重臣と言っても谷田部から牛久に広がり牛久沼を囲む広い領域を一族で治めているからなのである。
小田家はどちらかと言うと北からの佐竹などの脅威のために度々小田城を落とされており、氏治様本人は北から西の方の桜川沿いの菅谷様や信太様と行動をともにすることが多かった。南方は北条との同盟後もあいかわらず下妻の多賀谷氏の侵攻にさらされていたが、どちらかというと自己裁量とされていた部分が大きかったのである。
「近年お館様は北方への侵攻にこだわり過ぎだと思います。太田資正はたしかに厄介な相手でしょうが、筑波山という天然の壁があり、菅谷殿の土浦城や信太殿の木田余城などの戦力を持ってすればすぐには手出しは出来ないと思われます。ここはせっかくの北条との同盟を活かし、それがしや豊田殿、相馬殿などを先陣にして北条の援軍を仰ぎ、下妻多賀谷を攻略して南方から西方を安定させてはいかがでしょうか。」
これはたしかに一つの見識である。岡見様の言うことも正しいように思う。
「うーむ。しかし北条がいかほどの援軍を送ってくれるというものか?」
と顎をなでる氏治様。
「今ここで動かないと多賀谷は牙を研いでおります!お館様が我らに関わりが薄いゆえ江戸崎の土岐氏などすでにお館様の洞中を離れて千葉氏に属して北条の下知を受けるようになってしまいましたぞ。ここは積極的に動いて我等と北条の関わりをよりしっかりさせるべきです。」
「しかしな。」
と氏治様は岡見様の言葉を遮るようにしていった。
「来るかどうかはっきりしない北条をあてにするよりまずはこの佐竹の脅威を取り除くほうが先決である。よって府中攻めを行う。」
「…わかりもうした。」
岡見様は口惜しそうにしながらも引き下がった。正直ちょっと同情する。
こうして予定通り府中攻めが行われることになり、俺達は土浦城から出撃して常陸府中を目指したのであった。




