思考の渦
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ディダとライルが去った後、私は通常の業務に戻った。けれども、先ほどのやり取りが頭から離れない。
「……あ」
結果、見事に書類に書き間違えをしてしまった。
気もそぞろ、と言うのはこんな状態のことを指すのだろうな……なんて、とりとめもない考えが頭に浮かぶ。
一度ペンを置き、思いっきり体を伸ばした。ボキボキと乙女にあるまじき音が響く。
脳裏に浮かぶのは、先ほどのやり取り。
……正解なんて、ない。それは、領主代行の任を受けてから幾度となく思ったことだ。
けれども、またもやその壁にぶち当たる。
所詮“if”…“もしも”の話をしているだけだと、切り捨てることは容易い。
その時に、覚悟を決めてしまえば良いのだと自身を誤魔化して主張すれば良い話だ。
けれども、それではきっと……ディダは、納得しない。そして、誤魔化して塗り固めたメッキはきっと土壇場で剥がれ落ちる。
その時が本当に訪れた時……恐らく、自分自身すら誤魔化せないだろう。無様に取り乱す様が目に浮かぶ気すらした。
今までだって、何度も人の運命を……イノチを、預かっている。
無能な主は、民を殺すのだから。
……けれども、今度のは次元が違う。
人の命が直接やり取りされ、そしてその責を背負う。
これまで以上に、民達の命を背負う。
……前世のワタシどころか今世の私ですら、そのあまりに重く大きい責に身がすくむ様な気がした。
誰も、傷つかない世であれば良かった。
……それはただの建前。自分が指示を出すことを恐れているだけ。
もしも、ここが本当にゲームの世界であれば……。
誰にでも優しい世界だったのかもしれない。
誰も傷つかず、まるで物語のように汚い部分はオブラートに包まれて、それすらもさも美談のように語られて。
否、ゲームの中ですら……アイリスという悪役がいて、それが汚い部分を一手に引き受けていたのだ。本当に、誰にでも優しい世界なんぞないのかもしれない。
いずれにせよ、この世界は現実だ。
でなければ、こんなにもまざまざと見せつけられることなどないはずだ。
様々な思惑が交差する中での、貴族達のドロドロとした争い。
物語の中では語られなかった、貧富の差による眉を顰めたくなるような光景。
その1つ1つに、様々な想いが生じて。
だからこうして、今でも思い悩んでいるのだ。
……ターニャに、何か飲み物を持ってきてもらおう。今の状態じゃ仕事にならない。
思考を放棄して、私はターニャを呼ぼうとした。
「……あら……」
そのタイミングで、書類の山が崩れた。何枚かのそれが、宙に舞う。
ああ、やってしまった……。
折角分類されていた書類が混じってしまった。正直これを整理し直す労力と時間を考えると嫌気がさす。
「……ターニャ」
「はい、ここに」
「申し訳ないのだけど、サロンに行くわ。お茶を用意するように指示を出しておいて。それから、ここの書類の整理を頼んでも良い?」
「畏まりました」
結局、全てを放り出して休憩へとむかった。




