ドルッセンの振り返り
俺の名前は、ドルッセン・カタベリア。騎士団団長のドルーナ・カタベリアの息子。そのため、俺は昔から武芸の稽古を課されていた。将来、お前は王家の方々をお守りするのだと言われながら。
俺はその言葉に誇りを感じていたので、訓練も熱の入ったものとなっていた。そんな環境にいたため、正直なところ、学園に入るのは面倒だとすら感じていた。学園に入るよりも、家にいて、現役の騎士団の方々に師事していた方がよっぽど為になると。けれども学園に入るのは、貴族の嫡男である以上、仕方の無いことだった。
入ってみて、元来の無口さも手伝って、やはり学園には中々馴染めず。特に気にはしなかったが、こんなことならやはり学園に入ったのは無駄だったと思った。…そんなある日、俺は一人の女生徒に出会った。名前は、ユーリ・ノイヤー。ノイヤー男爵令嬢だった。出逢ったのは訓練所…殆ど使われていなかったが、申請すると生徒は好きにそこを使うことができて、俺はほぼ毎日そこで自主練をしていた。
『すごいですねー』
彼女の第一声は、それ。
『……何だ?』
『あ、すいません。私…毎日この裏手に来ているんですけどー…同じく毎日やって来る貴方が何をしているのか気になって…』
『……裏手?』
確かこの裏手には、花壇があるぐらいで、それも人通りがない為、ほぼ雑草だらけの場所だった筈。
『ええ。折角大きな花壇があるのに勿体ないので、そこで好きなお花を育てているんですよー。あ、勿論学園には了承得てますから』
『そんなに慌てなくても、学園に報告しようとは思わん』
『あ、いや…それもあるんですけどー…ほら、あまり褒められたことじゃないでしょう?令嬢が土を弄るなんて。だから、あまり広めないで欲しいかなーっと』
『ああ…別に、人に迷惑を掛けているわけではないだろう?俺はとやかく言わん』
『良かったですー。それで、貴方は毎日何をしていらっしゃるのですかー?』
『……見て分からんか?』
『訓練しているのは分かるんですけどー…一体何でかなーって。だって、ドルッセン様は武術の授業常に主席を取られているのに』
武術は選択授業で、主に俺のような騎士団所属の子供達が受けている。後は単純に身を守る為とか、貴族の次男・三男で将来騎士団員になりたいと思っている奴とか。
『別に、俺は授業の為に訓練している訳ではない』
『……そうなんですかー?』
『ああ。俺は、この国と王家の方々に剣を捧げる為に訓練しているんだ』
キョトンとしていた少女が、俺のその言葉に花が綻ぶように微笑んだ。
『素敵ですねー。貴方のような努力をされる方が守ってくださるのなら、どんなに心強いことでしょう』
その言葉と笑顔は、いつまでも俺の中に残った。……それから、訓練をしていると時々彼女は俺のところに訪れるようになった。大抵、ほんの少し会話を交わして去る。始めは特に何にも感じていなかったが、何時の間にか俺は彼女が訪れてくれるのを何よりも楽しみにしていた。当たり前のことだと思っていた事を、彼女は凄いと、そして素晴らしいことだと何度も口にする。その言葉達が、励みになって益々訓練に熱が入った。自分の剣は王家に捧げるものだと信じて疑わなかったが、彼女に捧げたいとすら思ったこともあった。
それが恋だと気付いたのは、彼女が第二王子であるエドワード様と結ばれた時。始めは落胆したが、けれども彼女を守りたいと思う気持ちと、そして自分のこれまで培ってきた信念と矛盾しなくなったのだと気付いた時には、やさぐれていた気持ちが少し落ち着いた。俺はこれから、彼女を俺なりに守っていこう。そう、心に誓った。
だから、エドワード様がユーリ令嬢を虐げていたというアイリス公爵令嬢と対峙するとなった時には、勿論俺もユーリ令嬢に加勢した。アイリス令嬢を無事排斥することに成功し、彼女を守ることができた……そう、思っていた矢先。
『お前は、何て事をしたんだ』
突然父上に呼び出されたかと思えば、開口一番にそんな事を言われた。一体何の事を指しているのか分からず、首を傾げていると、大袈裟に溜息をつかれる。
『アルメニア公爵令嬢の一件だ!』
『……。自分には、何故そのように怒鳴られるのか見当がつきません』
『それは、本気で言っているのか?』
『はい』
『公爵令嬢に手を上げたという事実ですら許し難いが、騎士を目指す者が女性に手を上げ、そのようによく開き直っていられるな?お前は、騎士の教えを誇りに思っていたではないか』
『ですがアルメニア公爵令嬢は、ユーリ男爵令嬢を虐げていたのです』
『その虐げているところを見たのか?』
『い、いえ…ですが流言を流したというのは…』
『その裏付けを、お前自身が取ったのか?それとも、その現場をお前は見たのか?』
『い、いえ…』
『呆れて物が言えぬわ!確たる証拠もなく女性に手をあげた。それも、第二王子の婚約者にだ。騎士の風上にも置けん!お前はこの家にもだが、騎士という存在にすら泥を塗ったのたぞ』
『ですが、俺は……!』
『言い訳は聞きたくない!暫く家で謹慎して頭を冷やせ!』
取りつく島もなく言い渡されると、俺は執事に連れられて部屋に軟禁された。それから暫く、俺は学園を休み自宅謹慎。訓練をすることも許されず、さりとて他にすることもなく、ぼんやりと部屋にいるだけ。
何故、自分がこのような仕打ちを受けるのかが分からなかった。自分は、ただ彼女を守りたかっただけなのに。けれども頭の中ではぐるぐると“お前は騎士という存在すら泥を塗ったのだ”という父上の言葉が回っていた。
そんな折、母上に呼び出された。
『久しぶりね、ドルッセン』
久しぶりだと言われて、今更ながら母上に長らく会っていなかったことに思い当たった。最近ほぼ休日も学園にいて、謹慎を言い渡されてからも自室から出ていなかったためだ。
『……お久しぶりです』
目の前には茶器と、それから茶請けなのか見た事もない茶色の物体が皿の上に盛り付けられている。
『それはね、チョコレートと言うのよ。最近王都で流行し始めて…食べてみてちょうだい』
母上の勧められるがままに、それを口にする。……美味しい。甘くてけれども少し苦くて、そんな複雑な味。
『アルメニア公爵家の商会で取り扱っているものなの』
『……アルメニア公爵……』
『噂では、その商会を取り仕切っているのは公爵令嬢であるアイリス様だとか』
アイリス公爵令嬢の名前を呼ぶとき、母上は少し悲しげだった。
『ねえ、ドルッセン。貴方は本当に“正しい事”をしたと胸を張って言えるのかしら?』
『正しい事、ですか…?』
『ええ、そう。正直、政治的にも我が家の家の関係としても貴方の行動は大問題だったけれども、それは全て置いたとして、それでも正しい事をしたと言える?』
母上の言葉の真意が分からない。正しい事をした…そう思ってた。謹慎を言い渡された後、騎士団に泥を塗ったのだという父上の言葉の意味を考え、結局、父上は俺にカタベリア家の貴族としての立ち位置を考えて怒ったのではないか…という考えに至った。それならば、尚更自分の行動を恥じる必要はないとも。彼女を守ることができたのだから、家など関係ないと。
『私はね、ドルッセン。こんな言い方は失礼だけど、アイリス公爵令嬢に同情しているわ』
『それは何故ですか、母上』
『結果を見れば、ユーリ・ノイヤー男爵令嬢は婚約者がいる男性に色目を使った…そう取られても仕方ない事をしたのではなくて?同じ女として、私はアイリス公爵令嬢のした事は仕方のない事だと思うわ。愛している婚約者に近づく女。嫉妬と悲嘆、そういった感情が湧いて、それがユーリ令嬢に向いたとして誰が責められますか?』
『それは……』
『愛した人を奪われて。貴方達が大勢の人の前で糾弾したせいで、社交界からも追い払われて』
ふと、彼女の学園での最後の言葉を思い出す。“貴女は、これ以上私の何を奪うというのでしょうか。私の婚約者、私の地位……”
涙を流しながら言った、その言葉を。
『私は、この菓子は彼女の覚悟のように思えます。誰とも結婚せず、独りを貫くことができるようになるという覚悟が。彼女は婚約を破棄された上に、社交界から追放された身。確かに、新たな婚約というのは難しいでしょう。ねえ、ドルッセン。そんな女性に手を挙げ、人生を狂わすことに加担し、寄ってたかって彼女を貶めた。…そんな行動を、貴女は本当に騎士として正しいと言えるのかしら』
『それは…』
反論できなかった。考えたこともなかった。彼女が苦しんでいたかもしれない、なんていうことも…悲しんでいたのかもしれない、という当たり前のことを。
『好きな子を守れて満足?貴方の剣は、そんなことのためだけに磨いてきたの?目の前で苦しんでいたかもしれない非力な女性に手を上げて、それで貴方は満足していたのかしら』
母上から言葉がある度に、どんどん心が抉れる。確かに…と、思ってしまった。でも、もう後戻りはできない。
『母は騎士ではないので、その志も誓いも分かりません。分かりませんが、アイリス令嬢に対して貴方が行ったのは、ただの暴力だということは分かります』
父上に叱責を受けた時は、反発心しか湧いてこなかった。けれども、今、心にあるのは混乱と後悔。
『貴方は自分の行動を、省みなさい』
母上との対面があっただすぐ後に、あまり休むのもマズイということで学園に戻った。授業には出ていたが、その他の時間は只管訓練に費やした。頭の中をスッキリさせたかった。母上の言葉や、アイリス令嬢の言葉が頭の中を巡って自分を苛むことから逃げたかったのかもしれない。少しユーリ令嬢やエドワード様と疎遠になったまま、学園を卒業した。
卒業後、俺は予定通り騎士団員見習いとして騎士団に入団。以降は先輩方に揉まれつつも充実した毎日を送っていた。
そんなある日、軍との模擬試合に参加してみないかとの誘いがあった。正直何故自分が?と思わなくもなかったが、折角の誘いだからということで参加を表明した。
そして、現れたのはガゼル将軍。軍部所属の方ながら、その武勇伝は騎士団員にとっても憧れの方だ。そして、その脇には彼の弟子と言う人物が2人。弟子という言葉には、軍部も騎士団もざわめいた。正直、ガゼル将軍の個人訓練は受けたくても中々受けることができない。それ程、人気で人が殺到するからだ。
そんな彼ら3人に見守られつつ、試合が開始。どの試合も、随分と盛り上がっていた。2勝2敗…次が自分の番だと緊張しつつ壇上に上がった。目の前には、軍部所属の兵が1人。緊張感が最高峰になったところで、試合開始の合図があるかと思えば、まさかのガゼル将軍の弟子2人との戦い。それも、軍部の者と手を組んで。
…面白い。そう、思った。憧れのガゼル将軍に手解きを受けている2人はどんなものなのか…また、自分の力はどこまで通用するのか。




