お嬢様、倒れる
ディーンがいることで領政に割く時間が短縮できたことで、最近よく街に繰り出している。やっぱり街に出ると、リフレッシュになって良い。
「あ、ディーン!最後に孤児院にも寄って良いかしら」
「アリス様が望むように」
因みに、街に繰り出す時にはディーンを誘ってる。考えたこととか思いついたこと、その場で言うとやっばり意見を返してくれるし…話が早くて良いんだもの。最初、ターニャは大反対だったけれどもね。“得体の知れぬ者を連れて行くなんて”と。けれどもお母様の口添えと、お祖父様が同行してくれるからってことで強行突破。
因みにディーンが子供相手にするのはあんまり想像つかなかったけれども、結構扱いが上手い。おかげで、私よりも子供達の人気が高い。……悔しいと僅かに思うけれども、子供達と戯れている姿を見ていると眼福なので我慢している。
「おにーちゃん、おねーちゃん。また来てくれる?」
上目づかいでそう問われてしまえば、くらりとくる。ああ、可愛い……!
「勿論よ。ね、ディーン」
「ええ。ですから、良い子にして待っていて下さい」
日暮れどき、十分満喫した私は帰路についた。うーん、今日は楽しかったわ。また明日、頑張ろう。
お母様が来て以来、休憩を取るようにはなったけれども、相変わらず休日というのはなかった。けれどもつい最近、ディーンが働いてくれる間は1日休日として街に出てくるようにしている。
というか、ディーンのおかげで予定よりも仕事が早く終わるので、結果手持ち無沙汰になって1日ぐらい空けても大丈夫になる。けれどもやっぱり休日って大切ね。
「……アリス様は……」
「もう敷地内だから、アリスでなくて大丈夫よ」
私のツッコミに、ディーンは軽く笑った。
「失礼。お嬢様は、何故あそこまで働かれるのですか?」
思ってもみなかった質問に、暫し思考が止まる。
「貴方だって、働いているじゃない」
「私とは違いますよ。私が働くのは、生きる為というのもあります。ですが、お嬢様は違う。公爵令嬢として、宰相の娘として…働かなくとも生きていけるでしょう?」
まあ、確かにそうよね。貴族の中でも、女性が働くことなんて極々一部。家を守り、盛り立てることは奥様の領分だとは思うけれども…大抵は前までのウチのように、執事達使用人が家や領の管理をするというのが殆ど。
「でも、私はお父様より領主代行の地位を賜っているもの。その地位に恥じぬように働くのは、貴族だからこそじゃない?」
「大変失礼ながら…私がイメージしていた貴族とは、ただただ領民から税を搾取し、それで生きているものだと思っていました。それに、お嬢様はセバスさんに旦那様と同じように統治を委任することもできた筈です」
「その方法が、思いつかなかったという訳ではないわ。でもやっぱり、折角与えられた仕事だから…未熟な身でも、精一杯やろうって思ったの。それが、キッカケ。でも今は……」
そっと私は自分の手を見る。…小さな小さな、手。領民全ての命と未来を握り、守るのにはとても分不相応だと、自分で見てて笑ってしまう。
「あの院の子達と会って、私でも…ううん、私だからできることがあるって、そう思ったの。私が頑張ることで、少しでも民の笑顔が増えるのであれば…民が幸せになれるのであれば、それってとても素晴らしいことではない?」
「……そうですね」
美形に微笑まれて、一瞬見惚れてしまった。…危ない危ない。ディーンの笑顔って破壊力抜群だから、本当、気をつけないと。少し気恥ずかしくなって、私は館に帰ると皆に礼を言ってそそくさと部屋に戻った。ああ、もう…こんなのキャラじゃないわ。
……それから、2日後。今回のディーンの契約終了日に、私はここに来てから初めてぶっ倒れた。今まで健康第一に過ごしてきた筈なのに…何故。
けれども高熱のせいで、そんなどうでも良い事を考えているほど余裕もなく、只管眠っていた。
次に目を開けた時、部屋は既に薄暗くなってしまっていた。……1日中、眠っていたのか。
「……はぁぁ……」
体調管理は、仕事をする上で基本中の基本。ぶっ倒れて、1日中寝てしまうなんて…私もまだまだダメね。
「……ターニャ」
少し声がかすれているが、喉に異常はないみたい。……とにかく、喉が渇いたわ。汗をかいて衣服がピットリくっついているのが、気持ち悪い。
呼べば、部屋で待機していたターニャはすぐに私の枕元まで来てくれた。その表情は、少し怒っているようだったし、泣きそうでもあった。
「……お水を、ちょうだい。それから、水に浸して絞ったタオルも。身体を拭きたいわ」
「畏まりました」
予め準備してあったのだろう。すぐに私は水が入ったグラスを持たされ、それを飲み込む。…うん、渇いた喉に染み渡るわ。
それから、ターニャがテキパキと濡れタオルで身体を拭いてくれた。
……明日、仕事がどれだけ溜まっているのか…考えるだけで恐ろしい。今日の午前中にディーンは実家に帰っちゃってるし。ああ、昨日休みなんて取らなければ良かった…なんて思うけれども、後の祭り。兎も角今日は、ゆっくり休もうということで、再び眠りについた。
翌朝、少し重い身体を引きずって書斎に行った。ああ、どれだけ書類が溜まっているのかしら…と思って、扉を開いたら机の上にはいつもと同じ量…否、いつもより少ない量のものが置いてあった。
「あら……?」
そのタイミングでノック音がしたかと思えば、入って来たのはディーン。
「ディーン!どうしたの?貴方、昨日の午前中までじゃなかったかしら?」
「お嬢様こそ、お身体はもう大丈夫なんですか?」
「ええ。昨日1日休ませて貰いましたから。それより、この量…」
「私の権限で廻せるものは廻しておきました。此方にあるのは、お嬢様の最終の承認が必要なものと報告のみです」
「そう……ありがとう。でも、ディーン。貴方良かったの?日にちが過ぎてしまったけれども」
「お嬢様のお具合が悪くなったのに、放っては行けませんよ。明日には出させて貰いますが」
「……迷惑を掛けて、ごめんなさい」
「良いんですよ。私が勝手にしたことですから。では、此方に目を通して置いてください」
ディーンはそれから書類を置いて行くと、部屋を出て行った。彼が出てから、ざっと机に置かれた報告書に目を通す。…特に、問題ない。問題がないからこそ、困る。
「……はぁぁ……」
思わず、重い溜息を吐いてしまった。……このままじゃ、ダメ。このままじゃ、私は彼に依存してしまう。仕事の面でも、それ以外でも。……今だって、そう。彼がいることで、安心してしまっている。頼ってしまっている。……側に、いて欲しいと願ってしまっている。
でも、ダメ。…もう、嫌なの。エド様の時に、思い知ったじゃない。いつか人は裏切るって。だからこそ、私は自分の足で立たなければならないと思おうと。
いつだって、そうだった。助けては貰う。頼ることもする。この人なら任せられると、信頼もする。けれどもその反面、ここまでなら任せられるだとか…ここまでなら信頼できるだとか、線引きしている。それこそ、いつ裏切られても良いという心算でいた。
…なのに、彼はそれを壊そうとする。勝手に心の奥底の線引きを越えようとしてきて、全てを任せたくなってしまう。だから……怖い。
私はその考えを否定するように、首を大きく横に振った。…もう、この事は考えないようにしよう。考えないで、蓋をして…そしたら、何時の間にか消えている筈だ。




