慟哭
本日二話目の投稿です
彼女のその様子に、嫌な予感が過ぎる。
まさか、また何かアカシア王国に動きがあったのか……それとも、トワイル国との戦線で不味いことが起きたのか。
「……何があったの?」
「トワイル国との戦争に勝利を収めたとのことです」
「まあ……!それは良かったじゃない」
その喜ばしい報せに、けれども彼女の顔色は晴れない。
むしろ強張っているといって良いほど。
「はい。ですが、ディーンが……ディーンが……」
彼女は口にするのも恐ろしいといった程で呟く。
アルフレッド王子ではなくディーンと呼ぶほど、彼女も動揺しているということか。
「……ディーンが戦死したとの報せも、同時に入ってきました」
瞬間、私の世界は真っ黒になった。
「……は?」
意味が、分からない。
死んだ……死ぬとは、どういう意味だったか。
理解するのを、頭が……心が拒否する。
けれども彼女の言葉が、そんな私の頭の中で繰り返し繰り返し響く。
「……ターニャ。よく分からないのだけど……ディーンが、どうしたの?」
私の問いに、ターニャは一瞬顔を歪め……けれどもすぐに表情を消すと、口を開いた。
「流れ矢に当たって、亡くなったとのことです」
「それは……確かなことなの?」
ドクリ、嫌な心臓の音が私の中に鳴り響いた。
彼女の答えを聞くのが、怖い。
「……っ。はい。各方面に潜り込ませた部下全てから同様の報告がございました」
そしてその答えに、私の心は千々に裂かれた。
「……何の冗談? だって、勝ったのでしょう? タスメリア王国が勝ったって言ったじゃない……! それなのに、どうして……」
冷静さを喪って、私は立ち上がりあらんばかりに叫ぶ。
「……どうして……」
激情は、けれどもそう長く続かなかった。
嘘だと、ターニャに言って欲しかった。
誤った情報だと、否定して欲しかった。
けれども彼女の表情を、見れば分かる。
だって、こんな彼女を私は見たことがない。
口を震わせ、目元は私を悼むそれ。
……紛れも無い事実なのだと、何よりも語っていた。
その瞬間、喪失感と虚無感が私を苛む。
それらの感情と共に力が抜けて、私はその場に倒れ込みそうになった。
とっさに、机にしがみつくようにして蹲る。
それと同時に、ふわり、机に乗っていた書類が宙に舞った。
「……お嬢様……」
呆然と固まる私に、ターニャが一歩ずつ近づいて来た。
……止めて、近づかないで。
私に、それをこれ以上突きつけないで。
そう心が悲鳴をあげて、身体が後ずさろうとする。
けれども私は貼り付けられてように、動けなかった。
「……ごめんなさい。少し、一人にさせて」
絞り出すように、言葉を口にする。
その言葉に、ターニャもメリダも顔を歪ませた。
ああ……そんな顔をしないで。私は、大丈夫だから……と言ってあげたいのだけれども、それを口にする余裕すら私にはなかった。
私は無言で立ち上がると、そのまま私室に戻るべく歩き出す。
……世界が、霞んでいた。
霞んで、歪んで、私が向かう先が正しい道なのかが分からなかった。
何もかもが色褪せ、何もかもがこの目に映っているのに認識ができない。
上も下も分からず、まるで浮かんでいるような感覚さえ。
壁伝いに歩き、なんとか部屋に戻る。
扉を開け中に入ったら途端力が抜けて、ズルズルとその場に倒れこんだ。
「ディーン……」
彼の名を呟いたのと同時に、私の瞳からは涙が溢れ落ちた。
どのぐらい、そうしていただろうか。
私はその場で呆然と座り込んだままの状態だった。
気がついた時には、窓から夕日が差し込んでいた。
……少し、休むだけのつもりだったのに。
ああ、仕事に戻らないと……と、そんな考えがふと浮かぶ。
けれども、身体がその場に縫い取られたように全く動かない。
立ち上がろうと込めていた力を一気に抜き、どかりとその場に再び座り込んだ。
そういえば、初めて倒れた時……真っ先に心配したことは、仕事のことだったっけ。
けれども、ディーンが自分の都合を押してまで助けてくれたおかげで、何とかなったという思い出が頭に浮かぶ。
「ねえ、助けてよ。ディーン……。あの時みたいに……」
あの時とよく似た状況。
それならば彼はひょっこり姿を現すかもしれないなどという淡い期待を抱いて……けれどもその希望を、冷静な部分の自分が自ら打ち消す。
同じ状況なのに、ディーンは来ない。
……ターニャが言っていたじゃないか。
ディーンは、死んだのだと。
流れ矢に当たって、亡くなったのだと。
亡くなった……彼はもう、この世にいない。
どこを探しても、どこを見ても。
彼を見ることも、彼と話すことも……もう、できない。
そこまで考えて、私は心の内に積もり積もった黒い感情を吐き出すように慟哭をあげた。
「ああああぁぁ……!」
そしてそれと共に、再び涙が溢れた。
いやだ、いやだ、いやだ……!
あの人がもういないなんて、信じられない。信じたくない。
だって……勝ったじゃないか。
エド様にも、トワイル国にも。それなのに、どうして……!
髪を搔き毟り、あらん限りの声を出す。
もう、あの声が聞けないなんて。
もう、あの笑顔を見ることができないなんて。
……もう、あの人がいないなんて!
世界が、真っ暗になった。
悲しい、哀しい、苦しい……。
次々とそれらの想いが私を苛んでは、苦しめる。
胸が痛かった。どんなに掻きむしろうとも、その感情が心の奥底に根付いて、どうしようもなかった。
シャラン、と胸元にあった懐中時計が揺れる。
私は服の下にあったそれを取り出し、撫でた。
思い出すのは、この懐中時計を渡されたときのこと。
優しくて、綺麗な思い出。
「どうして……どうしてよ……!」
半身を失ったかのような苦しみが伴う、とてつもない絶望感。
ギュッと、手にあるそれを握り締めた。
苦しくて、認めたくなくて、失ったそれを求めるように何もない先に手を伸ばした。
けれども当然、私の手は何も掴むことはない。
ただただ、宙に浮かぶばかりだった。
その現実に、苦しさは更に募る。
私はそのまま、感情のままに泣け叫び続けた。
そして体力を使い果たして、気がつけばその場に蹲るようにして倒れ込んでいた。
起き上がるなり、またもや両目からは涙が溢れる。
夢じゃ、ない。
視界に映るそれが、意識を飛ばすまでの光景そのままなのだから。
「ディーン……どごに、いるの……?」
こんな思いをするぐらいなら、いっそのこと生まれ変わらなければ良かったと世界を恨む。
どす黒い感情が心を蝕み、その痛みにまた涙が溢れ出る。
ふと顔を上げれば、いつの間にか外は暗くなっていた。
……まるで、私の心を映すかのように。
曇天の空は、星の光すらなかった。
…… 夜なんて、明けなければ良い。
明日なんて、来なければ良いのだ。
……だって、彼はいないのだから。
彼がいないのに、私だけが時を刻むなんて……耐えられない。
この喪失感を抱えながら、それでも進み続けなければならないなんて。
私は泣き叫び続け、そして再び倒れた。




