第17食 麻辣湯
巷で麻辣湯が流行っている。
麻辣湯、名前だけ聞くととっても辛そうだ。
麻辣とは中華料理の中でも特に辛いと言われている四川料理に多く見られる味付けのことで、花椒という中華山椒による舌が痺れるような辛さの『麻』と、唐辛子によるひりひりする辛さの『辣』、この2種類の辛さのことをいう。
有名な料理としては麻婆豆腐が挙げられる。
日本人は『辣』の辛さには馴染みがあるが、『麻』の痺れを伴う辛さは新鮮だ。
同じ山椒といえど、日本でよく食べられているものとは風味が違う。
びりびりと舌が痺れる感覚はなかなか味わえるものではない。
私は以前仕事で中国に滞在していたことがあり、その時に火鍋を食べる機会が何度かあった。
火鍋はその名の通り鍋料理なので、様々な食材が麻辣味に煮込まれることになる。
本場の『麻』はなかなかに刺激的で、中国ではメジャーな具材である冬瓜や湯葉はよく味を吸い込み激辛具材へと変貌を遂げていた。
ただ、火鍋は鍋の中に仕切りがあるものが一般的で、麻辣スープだけでなく鶏や魚介類などからだしを取った白湯スープも同時に楽しむことが多い。
よって、辛さに耐えられない辛味弱者は白湯に逃げることができた(但し鍋の仕切りが低いと終盤はどちらも赤いスープに侵食されるケースが多いが……)
一方、麻辣湯はそのまますべてが麻辣スープであり、私たちを優しく受け止めてくれる白湯はそこにいない。
そんなに辛さに強いわけではない私は、初めて麻辣湯を食べに行く時ドキドキしたものだ。
それでも連日TVで特集が組まれれば食べてみたくなるのが人の性である。
たまたま近くの駅に有名店ができたこともあり、勇気を振り絞って行ってみることにした。
私が行ったのは七宝麻辣湯というチェーン店で、最初に具材を自分で好きなだけ取り、その重さに応じて金額が決まるという仕組みだった。
白菜や水菜、豆腐など一般的に鍋に入れられる食材たちに留まらず、ミニトマトやパプリカもあれば海鮮団子や餃子、揚げパンなどバリエーション豊かな具材が並んでおり、最初の時点で既に楽しい。
特に私はきのこが好きなので、えのきやしめじ、エリンギ、まいたけといったメジャー選手に留まらず、白きくらげやフクロタケなどレアな方々にもお逢いできホクホク満足である。
具材を取ったあとはスープの種類と併せて麺も選ぶことができる。
まずはスタンダードに麻辣スープの辛さレベル1を選んだが、私の前に並んでいた女性は涼しい顔でレベル3を選んでおり、密かに畏怖の念を抱かざるを得なかった。
なお、スープは他にも辛みの一切ない白湯や追加の味噌味、一風変わってトムヤムクン味等も選ぶことができる。
そして、麺もスタンダードは春雨であるものの、きしめん級に太い春雨麺や中華麺もあり、組合せによってバリエーション豊かに楽しめるのも良い。
会計を済ませてから着席していると、やがて私の麻辣湯が運ばれてきた。
丼の中を見てみると、好き放題取った野菜が綺麗な形で盛り付けられている。
麻辣スープの赤々とした色は気になるものの、非常に食欲を掻き立てられるビジュアルである。
恐る恐るスープをれんげで一匙。
口に入れてみると、辛みの前にほのかな薬膳の香りが広がった。
『ピリ辛』とされていたレベル1、覚悟していた程ではなく、これなら十分食べられる。
成る程、これは健康に良さそうだ。
そもそも具材からして野菜がいっぱいで、それぞれの具材毎にどんな症状に効能があるかの解説があるので自ずと健康志向へと導かれる。
スープを吸った春雨はもちもちとしていて十分な食べ応えだ。
お馴染みの顔として選んだもやしはじゃくじゃく食感が絶妙だし、せっかくだからと選んだほうれん草、青梗菜、つるむらさき等の多彩な葉物たちは「身体に優しいことをしている」という自己陶酔感を加速させる。
私の好きなきのこオールスターズも正解で、まいたけや黒きくらげは勿論、普段なかなかお目にかかれない白きくらげのプルプル感も堪能できた。
食べ進める内に身体がぽかぽかあたたまるのを感じる。
最初は余裕を感じていた辛さレベル1も、蓄積した分ヒリヒリビリビリ感を増してきた。
それでも身体に良いと思うと箸が止まらない。
結局スープもすべておいしく頂き、私の初麻辣湯体験は幕を閉じた。
そして麻辣湯の特徴は、中毒性があることである。
あの薬膳効果を身体が欲するのか、それとも『麻』の痺れが病みつきになるのか――そのあともふと「麻辣湯が食べたい……」となることがあった。
結果、気付けば定期的に私は麻辣湯屋を訪れている。
中でも印象的だったのは、一度会社帰りにふらりと立ち寄った店だ。
ネットで調べただけでは気付かなかったもののいわゆるガチ中華店で、外装から内装まで中国感一色、店員のみならずお客さんまでオール中国人といった空間だった。
タッチパネルで日本語も併記されていたからなんとか注文できたものの、自分ひとりがこの店の異物であるという感覚にドキドキした記憶がある。
本格派ゆえに辛さも半端ないのでは……と戦々恐々だったが、こちらもレベル1はなんとか食べられる辛さでほっとしたものである。
より本場に近いのか日本風に忖度しない香りがまた独特で、まるで中国に旅行に来たかのような愉しい時間を過ごすことができた。
なお、職場で一緒に働いている中国人の同僚たちに言わせると「日本の麻辣湯は高い!」らしい。
日本で食べると1,000円超えがスタンダードだが、本場中国ではその半額くらいで食べられるそうだ。
まぁプチ中国旅行と思えば安いか――そんなことを考えながら、次はいつ麻辣湯を食べに行こうかと思いを巡らせるのである。




