第15食 チキンラーメン
今や我々の生活に欠かせないもの、それはインスタントラーメンである。
手軽でお安くおなかを満たすことのできるその一品は、間違いなく日本が誇る発明品のひとつだと私は思う。
その中でも元祖インスタントラーメンとされる唯一無二の存在、それが日清のチキンラーメンだ。
時は1958年、日清食品の創業者である安藤百福氏が開発したのがこのチキンラーメンだった。
おいしくて保存ができ、調理が簡単で安価、そして安全というコンセプトの元完成したチキンラーメンは、お湯を注ぐだけで食べられる画期的な商品として話題を呼び、発売当時は品不足となる程爆発的に売れたらしい。
チキンラーメンの流行により、当時一般的な呼び名でなかった『ラーメン』が『中華そば』に代わり広く使われるようになったという逸話からも、その勢いがよくわかる。
幼い頃、私の家でチキンラーメンはおやつのような扱いだった。
乾燥したままの状態で食べやすいサイズに手で割り、スナック菓子のように頂いていたのだ。
元来おやつとして生まれたベビースターラーメンとはまた異なり、塊で提供されるそれは味の濃さもあいまってジャンクな魅力があった。
そんな或る日、私の中に「チキンラーメンを正統派の食べ方で頂いたらおいしいのだろうか」という疑問が生まれる。
早速試してみようと丼の中にお湯を入れて3分。
蓋を開けると中には細く頼りない色の麺が佇んでおり、正直なところ少し物足りない。
その分スープにはうまみが凝縮されていて、チキンラーメンはスープを楽しみに食べるものだという結論に至った。
それから暫くして、私はチキンラーメンが最大限に輝く食べ方を知ってしまう。
それは、玉子とのコラボレーションだった。
2003年、発売45周年を迎えたチキンラーメンに『たまごポケット』が設計された。
要はチキンラーメンの真ん中に玉子を入れるためのくぼみをつけただけなのだが、これが大人気となり当時の過去最高売上を叩き出すことになる。
そして、その頃既に玉子の魅力に取り憑かれていた私の心をも見事に撃ち抜いた。
母は鍋で少しだけチキンラーメンを玉子と一緒に煮てくれる。
煮込まれた半熟玉子を箸で割ると黄身がとろりと流れ出て、それを麺に絡ませながら食べるのが私は大好きだった。
学生の頃は小腹が空いた軽食に。
働くようになってからは仕事を終えてからの夜食に。
手軽に作れて大好きな玉子も食べられるチキンラーメンは、私にとってなくてはならない存在に昇格した。
そんなわけで、未だに自宅にはチキンラーメンを常備している。
なお、生来面倒くさがりの私は母のように鍋を使うことはなく、直接丼にお湯を入れて作る主義だ。
チキンラーメンをひとつまるまるはちょっとした罪悪感があるので、半分に割って、更に半分。
4分の1にした塊をふたつ、小さめの丼に入れてから生卵をそぅっと割り入れる。
その時、チキンラーメンの尖った切っ先で黄身が割れてしまわないよう、最大限の注意を払う。
割れたら割れたでそれも味があるのだが、もはやこれは意地のようなものだ。
CMのように白身に回しかけるようにお湯を入れ、CMのように白くならないことを残念に思いながら、サランラップで蓋。
透明だから外からも丸見えなのだが、あえて別の場所に行って、その出来上がりまでの過程を楽しみに待つ。
魔法というのは人間の目の届かない時にこそ発動するものなのだ。
小さい身体で懸命に鳴き声を上げるキッチンタイマーに呼ばれる頃には、完成品となったチキンラーメンがそこにいる。
ぺりぺりとサランラップを外してみると、ほわんと懐かしいチキンの香りが食欲をそそる。
かつては頼りなく見えたやわらかい麺が、今では玉子を絡ませるには絶品の細ちぢれ麺として見事に活躍している。
濃厚な黄身を纏った麺を啜り、うまみが溶け出したスープを頂くと、懐かしさで胸がいっぱいになる。
十分に固まりきっていない白身も、そのとぅるんとした食感含め味わい深い。
そして、いつしか子どもの頃のようにチキンラーメンを塊で食べなくなったことにふと気付いた。
私は久々にチキンラーメンの切れ端をそのまま口に入れる。
少しジャンクなその味は大人になった私には少し塩辛く、過ぎた年月を懐かしく思うのである。




