66話 バリア魔法を使わない天才たち
赤いドラゴンを挟むようにアザゼルとベルーガ上昇して接近する。
二人とも浮遊魔法を使えるので、空での戦いに難はない。
問題があるとすれば、相手が規格外の存在であるドラゴンであることだけ。
「さあ、行って」
ベルーガがグリフィンの首を撫でてやり、この場から逃げるように伝えた。
グリフィンは一般的に強い魔物の部類だが、今回は相手が悪い。
ドラゴンが相手では、かわいいグリフィンがやられかねない。
指示に従うグリフィンは、去り際にベルーガの勝利を願うように高らかに鳴いてみせた。
「ふふっ、かわいい子ね」
「さて、どうしたものか」
シールドを先にやったものの、目の前の圧倒的な存在相手に少し戸惑う。
魔法が通用するのかさえ疑問がわく存在だ。
しかし、試してみる他ない。
『腐敗の魔法』
アザゼルが人類を滅ぼすために編み出した、殺すことに特化した魔法である。
赤いドラゴンに向けられたこの魔法は、この距離ではほとんど不可避の速攻魔法。
見事に命中し、効果もあった。赤いドラゴンの鱗を溶かし始める。腐敗が始まっていた。
魔法が効くことを確かめられたが、何せ相手のサイズが規格外に大きい。
腐敗が命に届くまで、まだまだ時間がかかりそうだった。
それまで自分たちが生き延びられるか、今度はそれが心配になってくる。
「仕込みは完了です。あとは、どう生き延びるかですね」
「十分です、アザゼル様。あとは私が」
ベルーガが集中する。
少し扱い辛いパートナーだけど、このくらいの相手ならちょうどいい。
「おいで、サンダーバード」
ベルーガの呼びかけに応じて、雲に稲妻が生じた。
辺りの雲行きが怪しくなり、空が灰色に染まり始める。
すっかりボリューミーになった雲間から、一羽の巨大な黄色い鳥が飛来する。
身体に稲妻を纏った、巨大な幻鳥サンダーバードである。
現れて早々、好戦的なその目で、赤いドラゴンを睨みつけていた。
「いい子ね。力を貸してちょうだい」
いつもは暴れん坊で扱い辛いサンダーバードも、赤いドラゴンを前にすると頼もしく思える。
首元を軽くなでてやると、サンダーバードは喜んだ。
撫でるだけでも体に電流が走るので、ベルーガとしても大変である。ベルーガの美しい髪の毛が電流で逆立っていた。
「さあ、戦っておいで」
甲高い鳴き声を発して、稲妻を纏ったサンダーバードが赤いドラゴンに突進していく。
規格外の生物同士による戦闘が始まり、あたりに衝撃波が流れた。
もはやここが戦いの主戦場と言わんばかりの迫力だ。
「私もいますよ」
水魔法で作り上げた長く伸びた剣で、ベルーガが赤いドラゴンの首元を斬りつける。
大したダメージにはなっていないが、鱗を数枚剥がすことには成功した。
『腐敗の魔法』
「こちらもお忘れなく」
アザゼルも攻撃の手を止めない。少しずつだが、腐敗は進んでいっている。そして、この魔法も決まり、もう一か所からも腐敗が侵食していく。
時間さえ稼げれば、勝てそうな戦いになってきた。
「サンダーバード、接近戦はほどほどに。油断したら一瞬でやれますよ」
ベルーガの忠告通り、サンダーバードは距離を取る。
距離をとる間は、ベルーガのもう一つ得意魔法である水魔法でフォローする。
水魔法でダメージは与えられていないが、大量の水はドラゴンの動きを鈍くさせるのには成功した。
下は大海だ。水魔法の力を補うには最適の場所だった。
「さて、濡れた体に雷はしびれますよ?」
自身の身をもって何度も体感している痛みを、赤いドラゴンに告げる。
濡れたその体に、上に移動していたサンダーバードからの強烈な電が落ちる。
ドラゴンの苦悶に満ちた声が轟いた。
その直後、今度は強烈な反撃がくる。
360度、全方位に放たれた熱波がアザゼルとベルーガを襲う。二人とも各々の魔法でガードはしたものの、規格外の攻撃力はガードを突破して熱ダメージが通った。
アザゼルは髪の毛が燃え、ベルーガは衣服に引火した。二人とも少しすすまみれになったが、なんとか持ち堪える。
「一撃でこれですか……。ベルーガ、大事ないか?」
「ええ、シールド様に勝利をお届けするまでは倒れませぬ」
「良い心がけだ。しかし、いつまでも時間をかけているわけにはいかない。こんなのが続けば、流石に意識が飛びそうだ」
「同意です」
一撃でこの威力。やはりその地力は桁違い。二人ともそれを痛感していた。
「そろそろ賭けに出て仕留めるとしよう」
『死の大鎌』
まがまがしい闇の武器がアザゼルの手に出現する。
大量殺戮を目的とした腐敗の魔法とは違い、一対一に長けた武器である。
300年前、異世界からやってきた勇者の片腕を奪った武器でもある。
封印魔法の前に負けこそしたものの、人間を震撼させた、死の鍛冶師と呼ばれた魔族が死に際に残した魔法の鎌である。
扱いが非常に難しく、アザゼルにしか使いこなせない。そしてドラゴンに接近しなければならならず、ハイリスクハイリターンの武器だ。
「これで終わりにします。ベルーガ、フォローを。最悪、相打ちにはしてみせます」
「いいえ、アザゼル様も生きて戻らねばシールド様を悲しませてしまいます」
「……ふっ。頑張って生き残るとしましょう」
サンダーバードが勝負時を察したのか、最大出力で稲妻を纏う。
これまでにないスピードでドラゴンに近づく。カクカクと角ばった動きは、瞬間移動しているようにも見える。
特異な移動がドラゴンの対応を遅らせ、サンダーバードが懐に潜り込む。
流石にドラゴンの体のほうが倍ほど大きく、体積はもっと違う。
しかし、腹に潜り込んでの強烈な電撃がまたも赤いドラゴンの動きを硬直させた。
ダメージも結構入っている。電撃を割れた鱗から熱エネルギーが暴発し、それがサンダーバードを打ち抜いた。仕事はしたが、ドラゴンを前にサンダーバードはここで離脱。
「サン! ……クラーケンの墨です。存分に飲んでください」
下のサンダーバードに意識を向けているドラゴンの顔を覆うように、黒い水の球体が現れる。
ベルーガの得意とする水魔法と、パートナーのクラーケンの墨を借りた複合魔法だ。
一瞬でドラゴンの鼻息で吹き飛ばされる程度の魔法。
所詮ダメージなど通るはずもない。しかし、サンダーバードの電撃による体の硬直と上から一瞬墨で視界と意識を向けさせるだけで十分だった。
それだけの時があれば、アザゼル程の使い手が放っておくはずもない。
言葉にはしないが、ベルーガには少しの時間稼げれば十分だと理解していた。
300年前の神々の戦争時代も、こうしてアザゼルと共に人間の英雄と呼ばれる連中を葬っている。
その時と比べると、二人の戦いの感覚は少し鈍っているが、それでもやはり生まれながらに持っているセンスが違う。
ドラゴンに気づかれることなく首根っこに迫ったアザゼルは、斬りつける瞬間まですべての生気を抑えていた。
羽虫程度の存在感で迫り、今全ての力を解放して必殺の一撃を繰り出す。
殺気が漏れたのは一瞬だった、死の大鎌がドラゴンの首を切り裂いた後に少しだけ。
見届けたベルーガは、アザゼルの相変わらずの天才的な戦闘センスに敬服した。
「私とは違い、全然鈍っていないじゃないですか……」
封印されていた間でさえ、戦いのことばかりを考えていたアザゼルだ。
早々勘が鈍るわけもなかった。
戦いの中にずっと身を置いていたアザゼルの真価が発揮されて、うれしく思う。
そして、そのアザゼルがようやく安らぎの土地を見つけられたことも、ベルーガとしてはうれしく思うのだった。同時に、それを齎してくれたシールド・レイアレスに、誰よりも大きく感謝した。
空からドラゴンが落ちていく。赤いドラゴンが死んだ。
しかし、死んでなお厄介なのがドラゴンである。
身体から大量の瘴気が漏れ出る。
そこらの人間なら軽く吸い込んだだけで死ぬほどの代物だ。
流石のアザゼルとベルーガでさえ、これを吸いこむのはまずい。
ベルーガが巨大な泡で二人を包み込む。サンダーバードにもこの場を離れるように伝えた。
ドラゴンが海へと落ちていく。
いずれは巨大な魔石を残し、その血肉は他の魔物の糧となるのだが、しばらくは危ない瘴気が立ち込めそうだった。
「あっ!?」
ベルーガがアザゼルの手元の異変に気が付く。
少し音がした。
死の大鎌に罅が入り、次の瞬間には砕けて細かい粒子となって消えていった。見ると斬りつけた側のアザゼルの腕も焼かれていた。
「アザゼル様、それは神々の戦争時代より大事にしていた武器……」
アザゼルにも少し思うところがあったようだ。
感情が揺れて、しばらく言葉が出てこない。
「……流石にドラゴンを斬ったのです、この子も精一杯踏ん張ってくれたみたいです」
冷静なようで、痛む心に耐えているのは明白だった。
ドラゴンを斬ったのだ、その反動は凄まじいものになる。
「しかし、これでよいのです」
ベルーガにはその言葉が本当かどうか判断できなかった。
強がっているようにも聞こえる。
「これまでたくさん働いてくれましたし、こんな大事な戦争で敵のドラゴンまで葬ってくれたのです。これでシールド様の足を引っ張らずに済みました」
「流石アザゼル様です。鎌がなければ、想像以上に厳しい戦いでした」
「ええ。それに、もしかしたらこの子は役目を失ったことを悟ったのかもしれないですね」
「え?」
ベルーガは理解が追い付かなかった。
役目を終えるときがあるのか? 少し疑問に感じた。
「シールド様が作り上げる世界に、この子の居場所はない。いいえ、必要なくなるのでしょう」
「ああ……」
少しだけ、アザゼルの言葉の意味を理解する。
心の内も少し覗けた。きっとアザゼルは本当に後悔がないのだろう。
そう理解できるのは、ベルーガ自身も同じ気持ちがあるから。
これからの時代に、300年前に身に着けた魔法は必要ない。
グリフィンやクラーケン、サンダーバードと平和に暮らしていける未来が見えた気がした。
赤いドラゴンvsアザゼル、ベルーガ。
アザゼル、ベルーガの完勝で幕を閉じる。




