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古城物語 〜猫たちの時間4〜  作者: segakiyui
6.碧緑の間

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1

 翌日も、周一郎の容態ははかばかしくなかった。

「あっと、ダンケ、マリーネ」

 朝食を持って来てくれたマリーネが、にこりと邪気のない笑みを見せる。

(やっぱり誰かに似てるな)

 盆を受け取りながら、またそう思った。

 薄茶のおさげを揺らせて、マリーネは周一郎を覗き込む。

「Gute Besserung」

「Danke schön」

 熱に頬を紅潮させた周一郎が微笑んで、頷いて出て行くマリーネを見送る。珍しい。

「何だって?」

「お大事に、って…」

「そうだ、本当にお大事に、だ!」

 びたんっ、と半絞りの濡れタオルを周一郎の額に落とす。

「夜中に起きてる病人がいるかよ」

 昨日の夜、ふと目を覚ますと、周一郎が半身起こして窓の外をじっと見つめていた。風邪を引いてるってのに、体に何も羽織らないまま、闇に目を凝らして何かを待ち受けている。俺はすぐさま、周一郎を強制的にベッドに押し込み、その後はずっと、この馬鹿が起きることがないように目を光らせていたのだ。

「みろ、しっかりこじらせて………飯、食うだろ?」

「あんまり欲しくないんです」

「あんまりってことは、少しは食えるってことだな。ほら、このスープだけでも飲んどけ。……ああ、こら、ちゃんと上に何か羽織れってのに!」

 学習能力がないのかお前は。

 俺の怒鳴り声に肩を軽く竦めるという気障なポーズで応じて、周一郎はもそもそとガウンを引っかけ、スープ皿を受け取った。

「あつ」

「中身を食えよ中身を」

「………ふぅ」

 一口ずつ、それはそれは面倒そうに口に運ぶ周一郎の目は、妙に遠い。気配もどこか薄いのは、病んでいるからというだけではなさそうだ。何を考えていやがるのか、何となくわかるような気がする。また、こういう類の事件を自分が引き寄せたとか自分のせいだとか、つまりは関係のない部分まで背負おうとしていそうだ。

「ふんっ」

 ばくん、とパンに噛みつき、スープをごくごく飲む。熱い。旨い。とにかく、こういう時はしっかり食わないと。

 コンコン。

「ぶぁい」

 口に詰まっていたパンを慌てて呑み込み、ノックに応じて立ち上がる。周一郎が顔を上げ、急いでスープ皿を置いてサングラスをかけるのを横目で見ながら、歩み寄ってドアを開いた。

「あ…」

 そこには、小さな鍋を持った朋子が立っていた。

「何だ?」

 思わずぶっきらぼうに尋ねる。何だか似たようなことが昔あった気もする。

「あの……これ……スープのお代わり……周一郎さんにって、マリーネが…」

 朋子は蚊の鳴くような声で答えた。俺を上目遣いに見つめ、きゅっと唇を噛み、そろそろと手渡しながら、ますます小さな声になる。

「あの……ごめんなさい……あたし……そんな…つもりじゃ…」

「…ああ」

 俺は溜め息をついて振り返った。ベッドの周一郎は不思議な表情で朋子を見つめている。

「もういいよ」

「……怒ってる、よね……滝さん…」

 語尾を震わせて朋子が呟く。

「……怒ってない」

 ふう、ともう一度溜め息をつくと、相手がびくりと震えて、俺は眉をしかめた。

「そりゃ、ちょっとは腹が立ったけど」

 こういうところがお人好しと言われる所以だろうか。けれど、自分のやってしまったことに怯えている娘相手に当たり散らすほど、俺は趣味が悪くない。

「本当?」

 小首を傾げる朋子に、周一郎が重なって、俺は思わず微笑した。

「うん」

「滝さん!」

「どわわっ!」

 ふいに抱きつかれて、あやうくスープのシャワーを浴びかけ、慌てて鍋を両手で支える。しがみついた朋子を何とか離そうと身をよじるが全く離れてくれないので、仕方なしにそのまま、周一郎の枕元のテーブルに鍋を置きに行った。

 周一郎の側に近づいていくと、朋子はびくりと体を強張らせたが、歯の間から絞り出すように掠れた声で謝った。

「ごめんなさい……周一郎…さん」

 柔らかで優しい声、その優しさを逆に警戒するように、周一郎が目を細める。が、すぐに元の淡々とした表情に戻った。

「いいえ、構いません」

 ぎゅうっ、と朋子が俺にしがみつく腕に力を加えた。どうもこの二人は相性というか、根本的なところで折り合いが悪いらしい。

「それで…ね…」

 が、朋子は今度はすぐに事を荒立てなかった。猫撫で声で続ける。

「ちょっと滝さんを借りてもいい? 滝さんに見せたいものがあるの」

「おい」

 よく見てほしい、いやよく見なくてもわかると思うが、俺は今周一郎の看病中だぞ? 見えてるか? いや、理解してんのか? この状態の元凶はそもそも。

「だって、滝さん」

 唸りかけた俺を突然見上げた朋子の目が、妙に妖しい光をたたえていてドキリとした。思わず口を噤む。だが、それはすぐに消えてしまい、うんと幼い少女が何かを訴えようとする時に向けるようなひた向きな目に戻っている。

「あたし……一人…なんだもん…」

 頼りなげな呟きだった。


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