三
ヒナと打ち合わせをした俺は、嘘は最小限、平常心と言い聞かせながら叔父に会うために屯所へ。
仕事でちょこちょこ顔を出して、副隊長の家族だと認識されているので、叔父を訪ねてきましたと誰かに告げる前に、顔見知りの師団長に話しかけられた。
叔父に急ぎの相談があるけど忙しいかと問いかけたら、ついさっきそこで見かけて、管理棟方面へ去ったから副隊長室ではとのこと。
管理棟の門番の一人に身分証明書を見せて、叔父に会いたいと告げたら呼びに行ってくれた。
しばらくしたら叔父が顔を出した。
「今日は休みなのか。誰かに何かあって遣いか?」
「休みで何かあったのは自分です」
この場で構わない話題なので、財布をスラれたと思い込んで女性に難癖をつけてしまった。
冤罪をかけられた彼女は逃げたけど、自分は副隊長の弟だと名乗ったので、何かしらの被害届があるかもしれない。
そう、自分が作った脚本を伝えた。演技なんて出来なくて構わない。
これは動揺していないとおかしい内容だから。
「そうか。書類を作って担当に回しておこう。相談室を使うから来なさい」
「ご迷惑をおかけします」
相談室で二人きりになると、叔父は部屋の鍵を閉めて小さなため息を吐いた。
「本当にすみません」
「座りなさい」
促されて着席すると叔父はこう告げた。
「高級遊楼の足抜け遊楽女を匿おうとしたのか? それとも足抜けさせたのか?」
「……」
なぜいきなりそうなる!
とりあえず何も言わずに様子見。
「答えなさい。さっきたまたま彼女に会って、顔や声だけでは確証がなかったけど、花楽印があった」
「……あっ。ミズキと朧屋へ行った時に叔父上は隣の部屋に……」
「そうだ。忘れていたんだな」
「……」
つい最近、朧屋の朝露花魁の遊楽女の一人、雛罌粟が足抜けした。
彼女は水揚げが近く、水揚げ相手も決まっていて、その相手にバレると非常にマズいということで正式な捜索願いは出されていない。
しかし、幹部の一部にだけ話が回ってきている。
「副隊長の弟、ジオに難癖をつけられたという女性に花楽印|があり、あの顔は朝露花魁と同じ座敷にいた人物だ」
「……」
「君は彼女に会ったんだろう。答えなさい。高級遊楼の足抜け遊楽女を匿おうとしたのか? それとも足抜けさせたのか?」
「……ヒナさんとは先程、偶然会いました。足抜けは死罪です。人殺しになりたくなくて……つい、見逃しました……」
「足抜けは死罪。それは建前で足抜けは連れ戻しだ。遊楽女や遊女は大事な商品だからな。価値がなければ死罪。被害者から減刑嘆願が出ないとそうなる」
「……。それは……自分は人殺しだと思います。彼女に罪はありません」
ヒナは高額商品予定者だから減刑嘆願されるだろう。つまり、彼女が死罪になることはない。
「借金の踏み倒しという罪があるだろう」
「それは殺されるべき重罪ではありません」
「朧屋の経営が傾いて、大勢の人間が路頭に迷うことになってもか? あの朝露花魁の後釜が足抜け。評判は地に落ちる」
稼げる店の遊女の生活は豊かで仕事も減るが、稼げない店の遊女は悲惨。
未来の花魁候補の努力も水の泡。何人もの少女の将来が暗くなる。絶対に死人が出る。
説明されたら、なぜ想像しなかったのか不思議という簡単な話だ。
「それも全部覚悟の上で足抜けしたのか、何も考えずにそうしたのかは不明だけど、知識豊かな君は軽い罪だなんて言うな」
「……」
少し考えれば分かることなのに、分からなかったから、俺の頭は自己認識とは異なり真っ白になっていたのだろう。
「覚悟を持って大事な人を足抜けさせたのではなくて、たまたま会って見過ごした。それなら連れ戻しで構わないな」
「……は」
い、という言葉は出なくて涙が滲んできた。
「彼女は色ボケクソ男達にヤられ続ける人生なら死んだ方がマシだと言うていました……。連れ戻されたら死んでしまう気がします……。あの目は……本気でした……」
「それで?」
「それでってなんですか! 人が死ぬのを許容しろというんですか!」
「遊女は毎日死んでいるし、老若男女も毎日死んでいる」
「そんな言い方っ……」
味の鋭い眼光に言葉が詰まった。
「……」
「彼女だけを助けて偽善者気取りか?」
「叔父上、偽善は善也。この世に利の無い善などないゆえに、全ての善に偽りなどない。龍神王様のお言葉です」
「救援破壊は一心也。龍神王様のお言葉だ。つまり、朧屋は没落して構わないし、何人も死ねってことだな」
大勢の区民を助ける副隊長、自慢の叔父の冷淡な声と嘲りのような笑みに軽い眩暈がした。
「そんな事は言っていません!」
「俺は副隊長で世の中の秩序を乱す訳にはいかない。見つけた以上、彼女は朧屋に連れ戻す」
「待って、待って下さい叔父上!!!」
叔父の羽織りを掴んで顔を上げると、叔父は俺の手を振り払わないでくれた。
「どうにも、どうにもなりませんか?」
「そりゃあ俺には色々な力があるから、どうにかしようとすればなるけど、どうにかしたいのか?」
「どうにかなるのにこのまま彼女を見捨てるんですか!」
うんと優しい叔父がこんなに薄情だとは思わず大きな声が出てしまった。
「君は見捨てたんだろう」
「っ……。それは……」
見下すような視線だけど、それでも叔父は俺の手を振り払わないでいてくれる。
「彼女は店や朝露花魁や義理の姉妹達に泥を塗って恩を仇で返した」
そう言われたらグゥの音も出ない。
「……。しかし、叔父上……。彼女は必死に生きようとしています。それなのに死んでしまいます……」
「大切に育ててきた大金の成る木をみすみす死なせないさ。足抜けされたから店の管理不足ではあるが。死にたくないから死ぬ気で逃げた子はおそらく自死しない」
「……そうですね。そうか……」
「だから良いな」
納得はしたけど良くなくて俺は叔父の羽織りを強く握りしめた。
それでもなんとなく、このまま連れ戻されたらヒナは生きられない気がする。
「良く……ありません……」
叔父はしゃがんで、俺の胸ぐらを掴んで睨みつけてきた。
「自分の目の前でなければ死んでも構わないって見なかった振りを選んだんだろう? 君は助けてと手を伸ばしてきた人間の手を拒絶したんだ」
こんな風に叔父に睨まれたことがないので恐ろしくなり固まる。
「……」
「恩人に恩を仇で返せ? 俺はそれなりに甥っ子を可愛がってきた自負がある。まさかそんな要求を、何の対価も無しにされるなんて心外だ」
「……恩人って誰のことですか?」
「朝露花魁とは少し縁がある。俺というよりウィオラさんだ」
「叔母上とあの朝露花魁が? もしかしてこの間のミズキの件ですか?」
「さぁな。どこの誰と誰に深い縁があるのかなんてパッと見では分からないものだ。また一つ賢く慣れて良かったな。卿家として隠匿罪拒否をしたことは褒めてやる」
畳に軽く投げられて、痛みで小さく呻いて顔を上げたら、叔父は仁王立ちで俺を見下ろしていた。
その顔はあまりにも激しい怒りに満ちている。
「今後、彼女に尋問を行う。その時は君が尋問官になれ。君の職なら許される範囲だ。それを不正を行った罰にする」
「……尋問? 彼女をもう捕まえたんですか?」
「俺の名前を騙った悪党に被害に遭ったと小屯所に駆け込んだ結果、部下が連れてきて先程会った」
「……会って捕まえたということですね」
「何も知らない女性兵官が彼女から聴取している。君は俺に密告したことにして、俺は甥を立派な役人に育てたいから研修をさせる。火消し付きの役人は何でもさせられるからな」
「……彼女を裏切って、おまけに尋問しろということですか!」
「罪には罰だ。罪人をこの世にのさばらせるな。俺は、ルカやジンは、お前をそう育ててきた! 見ないフリではなくて全力で庇ったならマシだ。そこには信念があるはずだから」
叔父が何に怒っているのか理解して俺は己の弱い心を悔いた。
「叔父上……すみ……」
「謝罪なんて求めていない! 自己保身で目を曇らせて、困っている人間を無視どころか拒絶し、罪を犯し、おまけに罪人をのさばらせたいなんて、よくも言えたな!」
雷が落下したような気がして自然と歯が鳴る。
指摘されてみれば、俺がしたことはそういうことだ。
「俺かロイさん、ガイさんでも良い。彼女を連れてきて、店にも彼女にも最悪にならない道はないですか? そう頼れば済んだ話なのに自己保身。失敗は誰にでもあるし君はまだ若い。まだ何も起こっていないから今回は許す」
「す……すみませ……」
「謝罪なんて要らないから反省して直せ! 直らなければ家からも家族からも追い出すからな! 俺がする前にルカやジンがするだろうけど俺も許さん!」
こうして俺はしばらく叔父に怒られ続けた。
ヒナにはパッと見、花楽印がない。
火傷で潰れているからだ。花楽印を実際に見た事があり、なおかつ足抜け人は自ら印を隠す細工をすると知っていると「ん?」と着目する。
普通、花楽印は人目につかないところに押されるが、たまに絶対に足抜かされたくない高級品には、見る人が見れば分かるところに押される。
俺が火傷で潰した花楽印を見過ごしたのは仕方ないこと。
しかし少し観察したら分かる、虐待でもされたような火傷跡は見過ごすな。
遊楽女という前提がなければ保護や支援対象人になるのになぜ見ていない。
普通、花魁、それも知名度の高い高級店の顔である太夫の遊楽女は大切に大切に育てられるし、足抜けされないように洗脳していくもの。
しかし、彼女は死を覚悟で足抜けして、手に入るはずだった成り上がり人生を捨てた。
そこには必ず何かしらの不幸があるはずなのに、俺は自己保身をしたくて目を曇らせたから、観察や考察をしていない。
絶対に確かめなかっただろう、脚本内容がバカという指摘に全く反論出来ず。
「どうせ難癖のお詫びだなんだと首を突っ込んで、生活支援をする手筈だったんだろう。それこそ隠匿罪だ」
「……隠匿罪になるからそれは女性兵官にしてもらおうかと」
「それなら火傷跡に気がつけ、この大馬鹿野郎。その場で副隊長が直々に担当するならと引き下がった部下も大馬鹿で目が節穴だから俺達の教育不足だ」
叔父がこんなにキレ続けるのは珍しい。いつもは怒りによるお説教ではなくて、叱る、教えるという感じなのに。
ため息は多いし、顔がとにかく怖い。
言いたいことは山程あるけど、今は仕事中だから後でにしようとしたのに怒らせるなとも怒られた。
足抜けはすぐ死罪でも、即座に連れ戻しでもない。
世の中の秩序を守り、善良な人間に対する被害を減らす為にまずは慎重に捜査するもの。
ついでに部下達の仕事振りも確認したいので、ヒナのことは叔父が監査役につき、裏で調査を進めつつ彼女の様子を探る。
頭の悪い兵官や火消しを、聡明なの頭で導き治安維持に貢献するのが俺の職業なのに、なぜ教えないといけないとネチネチ、ネチネチ怒られた。
本人も言ったけど、これらは叱責やお説教ではなくて怒りによる言葉だ。
こうして、ヒナの足抜けの事はしばらく秘匿事項となり、彼女のことは叔父が引き受けることになった。




