二
居間に顔を出したら、祖父母とガイと両親と叔父叔母が勢揃いしていて、子供達は誰も居なかった。
話があると言われて着席すると、ミズキは後でまた、ということで俺だけが残された。
この感じだと両親の話だなと察し、再度座り直した。
先日、三番目の叔母とその親友が真冬の海から助けた女性を、この家で預かることに決めたそうだ。
入院していた女性は、ようやく喋るようになった。
彼女の記憶は、子供の頃のままで止まっているらしい。
落ち葉色の巻き髪に、うんと色白の肌に、凹凸がはっきりとした顔立ちと、大きな目に翠緑色の瞳は、どう見ても異国人。
彼女はアリアと名乗り、自分は姚国の人間であると口にしたという。
「……姚国人? まさか」
「それが姚国の西部首都、もう消滅した名前を姚国読みで口にしたんだ。この国のあの年代の女性は知る機会の無い名称だ」
姚国は友好国から第三属国に転落して、煌国領土に足を踏み入れることは出来ない。
不法入国その他ならともかく。
その辺りの話をしても、アリアは「煌国とは仲良しなはずよ。だって私の両親は煌国人に医療を教わったって言っていたもの」と回答したという。
「保護したのがレイとユミトで世話するって言ったけど、寮の子達と普段の勤務に加えて、子供みたいな成人謎女性の世話は無理。彼女の身元は俺が引き受けることにした」
祖父母や叔父も二人に頼まれたか、もしくは自ら引き受けたのだろう。
こういうことは初めてではない。
と、なると俺への話はこうなはずと予想して先回りすることにする。
「ジオ君と怪しい若い女性と一つ屋根の下はちょっと、ということで自分はルーベル家へですか? 一つ屋根の下でも良いけど、しばらくレイスと一緒に暮らせる口実が出来ました。なんならバカ孫を見張って下さい、ですか?」
既に同年代の女性が暮らしているので、理由をつけてルーベル家に俺を呼びたいのはガイだろうと、彼を見据えた。
「いやぁ、新人研修生なのに扱いがアレだから、防所でみっちり修行してから戻しますって上に上手いこと掛け合って、防所なら我が家からの方が通いやすいなぁと」
「祖父君、ありがとうございます!!! ありがとうございます!!! きちんと本来の所属先で学びたいです!!!」
こうして、俺は謎の異国人アリアと入れ替わりでこの家を出ると決定。
親しい年の近い従兄弟のレイスと暮らして、毎日家でガイに仕事を助けてもらえて、叔父ロイと楽しい文学談義をして、叔母リルの美味しい手料理三昧に舌鼓の日々が再びやってくるとウキウキ。
多分どうせ、もろもろの事情で一週間くらいで終わる儚い生活だろうけど。
★
祖父母とガイと叔父ネビーに俺の両親が居間から去り、ウィオラと俺だけになり、この家で暮らす子供達とウィオラの弟子三人が居間に集合。
「ちちいいいいいいいいいいいいい!!」
床に突っ伏して大泣きしているのは、叔父叔母の三男ラルス。
ウィオラの弟子カナヲとマリサがラルスの近くでオロオロしている。
「ほらほら、幼子をあやさないと子供教室の講師にはなれませんよ」
泣きじゃくる我が子をあやさないで、ウィオラは愉快そうに笑っている。
その背後に背中をくっつけているのは彼女の次男シイナで、母上、母上、早くお稽古とおねだり中。
ウィオラの前にお行儀良く正座しているのはウィオラの長男オルガで、弟シイナに向かって「まずは座りなさい」と珍しく兄らしい言動。
その隣で俺の年下叔母ララも正座をして「シイナさん。座りましょう」と彼を手招き。
ララの隣には弟カナンが竹細工を使って、別居叔母の赤ちゃんチカをあやしているというか、カナンが可愛い赤ちゃんチカで遊んでいる。
俺はカナンとチカの後ろに腰を下ろして、いつでもチカの子守りを出来るようにした。
叔母ウィオラがリンリンリン、リンリンリンと鈴棒を鳴らして「楽しいお話が始まりますよ」と笑いながら立ち上がった。
「ほらほらラルス。お母様がお歌を歌ってあげますからね」
「ラルスもおうたー!!!」
我儘本能年齢真っ盛りの二才児ラルスが、嫌々をやめてバッと立ち上がり、とたとた走ってオルガの膝にちょこんと座って、小さなおててをぱちぱちさせた。
「シイナ、見るのも聞くのもお稽古ですよ。背中ではお母様が見えないのでは?」
「はい! 母上!」
わりと甘えたのシイナがウィオラの背中から離れてオルガの隣に正座。
「いよっ! 天下のゆうがすみ!」
「ゆうがすみ! ほら、チカ。ゆうがすみですよ〜」
赤ちゃんのチカを抱っこした弟カナンはまだ半元服未満なので手つきが相変わらず怪しい。
いつでもチカを救えるようにしないとと意識。
「これは海のお話でございます」
ウィオラが小芝居を始めたのは、謎人物を引き取るにあたって会議をする大人達に、子供達が突撃しないように引きつけるためだろう。
そう考えて黙って観劇していたけど、途中で説明でもあると気がつく。
始まった物語は異国の童話、人魚姫。
皇子様に恋をした人魚のお姫様は人になりたいと願い、魔女から薬を買い、ついに足を手に入れて海面から顔を出す。
「く、苦しい……息が……」
「あははは! 愚かな人魚姫よ、人は海では息が出来ないのよ! さぁ、助かりたければその美しい声を寄越しなさい!」
一人二役のウィオラが歌い、声はどんどん枯れていき、ついには喉を両手で押さえて涙ながらに溺れていく。
まるで本当に溺死してしまうのではないかと感じる迫真の演技に、ゾワっと鳥肌が立ち、シイナとカナンが「助けないと!」と立ち上がった。
何もなかったようにスッと正座したウィオラが、二人を手で静止して、パシンッと扇子を手のひらに当てて音を出す。
「死にかけた人魚姫を助けたのは、なんとレイさんとユミトさんです」
この発言に、子供達がぽかんと呆けた。
「本当に人魚姫か分かりませんが、レイさんとユミトさんが海で助けたお嬢さんは、海藻で足をぐるぐる巻きにしていたそうです。それでどこからどう見ても煌国人ではありません」
美味しい食卓を飾ってくれる野菜やお米達は、豊かな大地が育んでくれる。
その恵みの大地色のふわふわとした髪に、春の終わりのきらきらした美しい若草の色をした目。
「そのようなお嬢さんがもうすぐ同居します。人魚姫と同じで声が出なくて、人の世界が分からないのか色々知識不足です。皆さん、優しくお世話するのですよ」
「母上! 人魚姫がこの家に来るのですか!」
「叔母上! 人魚が本当にいたんですか⁈」
シイナとカナンは大興奮だけど、オルガは冷静で「また人を拾ったってことですね。人助けは我が家の使命です」と腕を組んでうんうんと首を縦に振った。
「お名前はアリアさん。数日後にはここへ来るので、皆さん、仲良くするのですよ」
「はい! 母上!」
「叔母上、僕も仲良くします!」
「アリアさんはとても綺麗ですので、オルガさんを護衛隊長に任命します」
「仕方ないなぁ。それは仕方ない。母上、この中で護衛隊長になれるのは俺しかいませんから引き受けます」
大人びたところが多くても、オルガはまだまだ子供だから、このようにすぐ乗せられる。
「ははー。おうたー! もっとおうたー! 抱っこ」
「ラルスさんはお歌が好きですね。カナヲさんに歌ってもらいましょうか」
ほらほら、抱っこに歌ですよと師匠に言われたカナヲは、ラルスに「いやあああああ!」と逃げられて途方に暮れた様子。
年末に前の弟子が去って、年が明けてしばらくして来た二人の弟子は、これまでの弟子と同じく箱入りお嬢様なので、色々なことに慣れていない。
すこぶる可愛いので仕事の疲れが癒やされる。
子守りくらいは出来る弟子が来ることもあるけど、カナヲもマリサも全然。
「ミズキさん、カナヲさんにお手本をお願いします」
「はい、お師匠。ラルス君〜、ミズキお姉様と歌いましょう? きらきらひかる、夜空の星は、大喧嘩。なぜかしら?」
何も知らない人間が見たら、美女ではないけど可愛い若い女性が、優しく優しく子供に笑いかけて、とても美しい歌を交えて子守りをするという光景。
この詐欺師め。
「はいはいはーい! はい! はい! かなえるの! おひめさまのねがい!」
「きらきらひかる、夜空の星は、大ー喧嘩!!!」
さぁさぁ、踊りましょうとミズキが子供達を誘うように舞い始めた。
片目つむりをされたので、今のうちにウィオラと外へという意味だろう。
カナヲとマリサが、ミズキに促されて三味線の演奏を開始したので聴きたかった。
騙されなかったオルガだけがついてきて、母親のウィオラと俺の手を取り、俺達の間で「秘密の話ですか?」と問いかけた。
「ありませんよ。ジオさんはお仕事でお疲れですから夕食前にお風呂で、お母様はお祖母様と夕食作りです。手伝ってくれますか?」
「料理なんて嫌い。ジオ兄上と風呂にはーいろ」
「オルガさん。言葉遣いが悪いです。入ります、ですよ」
「はい母上」
オルガと二人で風呂ならのんびり出来ると思ったけど、弟カナンと従兄弟シイナも突撃してきて四人風呂で、父が「ラルス君もよろしく」と更に増やしたから、いつものように騒々しい風呂時間に変化。
賑やかな家なので、悲しいことや辛いことがあった人間でも、だんだん元気を出すのがこのレオ家。
俺はしばらくこの家から去るけど、静かめな俺が減ってもこの家は賑やかなので、きっと死にたかった人魚姫とやらも、元気になるに違いない。
不法滞在、不法入国しか出来ない姚国人が入水自殺しようとしたなんて、かなり悲しい想像しか出来ないから、全て忘れて新しい人生で幸せになると良い。




