ひとりぼっち
部屋に取り残されたあたしは、天井から四方まで部屋をゆっくりと見回した。
一人にされると、この部屋はひどく居心地が悪い。じっくりと見てもカメラのような装置も見当たらず、監視の魔法も掛かっていなさそうなのに、常に誰かに見られているような視線を感じる。エレノアと二人の時はあまり気にしていなかったが、何かに見られているような、撮られているような纏わりつく空気があった。
ベッドから起き上がり、一通り部屋の中を見て回る。鉄格子がはまっている窓にも特別誰もいないし、仕掛けもなかった。
(気にしすぎかな……)
そもそも、ここは勾留部屋なのだ。監視される仕掛けがあっても不思議ではないというか、あって当たり前である。
あたしは感じている気味悪さを振り払うように頭を振ると、あの司令部の人の言う通り手早く身体を拭いて着替えることにした。視線のこともあるが、背に腹は変えられない。洗面器にタオルを浸して硬く絞り、出来る限り身体を手早く拭いて着替えた。本部内だから装備品は着けなくてもいいかと、ベッドの上に並べて置いて、その横に座る。必然的にエレノアのベッドを見ると、昨日着てたのであろう下着などがインナーのTシャツでくるまれているだけで、小剣やポーチなどの装備品は一切なかった。この部屋にはもう戻ってこないのだろうか。それにしてはインナーなどが置いてあるあたり、戻らないつもりで全てを持って行ったわけではなさそうだ。
あたしは少し考えたあと、結局手袋やポーチと言った装備を身につけた。やや窮屈ではあるが、エレノアがそうしているのであれば習った方が良い気がする。全てをつけ終わり、ブーツの紐まできっちりと締めると、またやることがなくなってしまった。手持ち無沙汰になったあたしは飲み物を飲もうとローテーブルにあるポットからお茶を注ぎつつ、あたしはエレノアが言いかけたことが何かを考える。
(……エレノアはメイドさんに会えなかったことを、やっぱりって言ってた)
それは会えなかったことを指しているのだろうか。でも面会は禁止だと言っていたから、会えなかったとしても不思議ではないはずなのだ。だとすると、彼女が眠ってしまったことに対してなのかもしれない。確かに、何かを確かめようという考えがあってお願いしたようだから、それが達成する前に寝入ったというのは彼女にしてはありえないミスな気がする。
(強制的に眠らせられた……?)
あたしはお茶に口を運びかけて、手を止めた。この部屋にいる以上、そんな手の込んだことをしなくても相手を眠らせる魔法をかけることができそうなものだが、それでもなんとなく気味が悪くて一度お茶を口元から離す。確かめるように、くん、と鼻を近づければ、嗅いだことのあるハーブの香りがする。昨日は咽が渇いていて一気に飲み干してしまい気にも留めていなかったが、このお茶、支部でよくボッツさんが入れてくれたものと香りが一緒だ。流行っているのか、それともボッツさんが差し入れてでもくれたのだろうか。
結局一口も飲まないまま、コップをローテーブルに戻す。時計に目をやると、エレノアが出て行ってからすでに四十分がたっていた。
随分と長く感じるなとため息を吐くと、ちょうどドアの鍵ががちゃがちゃと忙しなく開けられる音がした。
「よかった!いた!」
扉が開くと、ボッツさんが飛び込んできた。それに続いて、隊服を来た男の人達が数人入ってくる。その騒がしさに呆気に取られたままでいると、男の人たちはあたしの周りを取り囲んだ。
「ど、どうしたんですか?」
「あのね、カナさん、落ち着いて聞いて欲しいんですけど……」
息を切らし、額に汗をかきながらしゃべるボッツさんをわけも分からないまま見つめていると、彼は一度ごくりと咽を鳴らしたあと、口を開いた。
「…エレノアが審問中に暴れだして、逃走してます」
「え?」
エレノアが暴れただの逃げただの、信じられない彼の言葉に、自分の聞き間違いじゃないかと思わず聞き返したあたしに、彼は顔をしかめたままこくこくと頷き、続ける。
「驚くのも無理はないですけど、本当です。エレノアが審問中に急に暴れて魔法を使い出して、部隊員数人が負傷。彼女は、その隙に逃げ出して、現在も逃走中です。昨日の行動も含めて意図はわからないけど、イーリス治安部隊へのテロ行為か、彼女が悪魔に取り付かれているんじゃないかって言われてます。今、みんな必死で探してるんですが、昨日から行動を共にしてたカナさんにも、疑いがかかってるんです」
ボッツさんがそう言う終わるか否かのタイミングで、あたしを取り囲んでいた人のうちの一人が、昨日と同じ手錠をあたしにかけた。その重さと魔法の効果で、一気に身体がだるくなる。
「大変申し訳ないんですけど、カナさんには司令部横のもう一つの審問室に移動していただきます。エレノアが見つかるまで、そこで待機してもらうことになります。申し訳ないんですが、念のため、それをつけたままで」
未だに頭の整理ができないあたしが不安そうにボッツさんを見つめると、彼は苦笑しながら頷いて言った。
「大丈夫ですよ。カナさんはそんなことないって分かってますし、僕らが守りますから」
あたしの肩をぽんぽんと叩いた彼は、入り口の方からの声に呼ばれ、「また」と呟いて、ドアを出て行く。混乱しているまま、それを呆然と見送って動かないあたしに痺れを切らしたのか、周りに居た男の人が、手錠に鎖をつけて、乱暴に引っ張った。
「なにをぼーっとしているんですか。行きますよ」
手錠の先についた鎖をかなり短く持った一人が大げさに引っ張る。硬くて重たい手錠が手の付け根を引っ張って、その痛みに顔を顰めた。「痛い」と口を開こうとした時、後ろにいた別の男の人が肩を乱暴に押した。思わずつんのめって床に膝を床に強打する。痛みに言葉もなく顔を歪めると、頭上から馬鹿にしたようなせせら笑いながら吐く、わざとらしいため息が聞こえた。
「行くって言ってるでしょう。ほら、早く」
あたしは膝の痛みと混乱で何も言い返すことができないまま、立ち上がって彼らに従った。
司令部の扉を開けて、軽く突き飛ばすように中に入れられる。いくら勾留中とは言え先ほどからイーリス治安部隊のメンバーに罪人のように乱暴に扱われ、苛立ちや悔しさが入り混じってなんとも言えず悲しくてすっかり俯きながら歩いていたあたしは、ここで初めて顔をあげた。
(アリサ!……はいないんだ)
アリサがいつも座っている彼女の定位置を見たが、そこでは別の女性が書類を片手にインカムに何か喋りかけていた。司令部では普段に比べてもけして少なくない人がいて、みんな慌しく仕事をしているのだが、ガルデンさんもマルサンさんもいつもいるデスクのあたりにはいない。振り返ってみると、司令部内のやや高い位置にある部長用のデスクがあるが、そこにアラン司令部長の姿もなかった。普段はやや苦手な司令部長でさえ確認してしまうくらい、知っている人が誰も見当たらなくて不安になる。まるで知らないところに来たようだ。今まで、自分がどれだけ周りの人に面倒を見てもらって、気持ち的にも守られていたのかというのを痛感する。
「ここに入っていてください」
奥の部屋に通されると、逃げないようにであろう、壁のフックのようなものに手錠から伸びている鎖の先端が止められた。座るように促されて一番奥の中央にあった椅子に腰掛けると、左右にそれぞれ人が立った。それ以外の人たちが出て行くと、入り口から一人だけ、ボッツさんが入ってきた。先ほどは気づかなかったが、ボッツさんは右腕の二の腕あたりに包帯を巻いている。もしかして、エレノア逃走の時の負傷者の一人はボッツさんなのだろうか。何はともあれ、知っている人がこの場に居ることに少しだけ安心して姿勢を正す。
「このような時ではありますが、エレノア・シャウムブルク部隊員捜索に関する聞き取りも含め、審問をはじめます」
長いテーブルの端、向かい合うように座ったボッツさんに言われて、あたしは首をかしげた。
「アラン司令部長は参加されないんですか?」
「司令部長は現在エレノア部隊員の捜索指揮をとってらっしゃいますため、この場は代理で私が執り行います」
あたしの質問に答えた後、ボッツさんは咳払いを一つしてファイルを開けた。
「さて、カナさんには三つの規定違反行為があるとされています。一つ、着用義務のあるインカムを故意にはずした状態で勝手な外出をしたこと。一つ、支部司令部員の指示がないにも関わらず、独断的に事件現場の追加調査を行ったこと。一つ、自分勝手な行動で、支部ならびに本部、ひいてはイーリス治安部隊全体に無用な混乱を招いたこと。以上は間違いありませんね?」
「はい」
言い分はもちろんあるのだが、事実としてそれらに何の齟齬もないため、あたしは素直に頷く。ボッツさんは書類のようなものにチェックをつけると、サインをしてファイルを閉じた。
「はい。では、昨日の規定違反行為に関する審問については以上です。処罰に関しては追って検討、通達いたします。続きまして、エレノア部隊員の行動について聞き取りを行います」
包帯が巻かれているところを擦ってから、ボッツさんはこちらを再度見た。
「カナさん、エレノアは何を企んでいるのですか」
「企んでいるって……。正直、あたしにはまったく思い当たる節がありません。逆に、エレノアがいなくなった時の行動を教えてくださいませんか。そこに昨日・今日の行動と合わせれば、わかることもあるかもしれません」
ボッツさんの目をじっと見つめ返しながら言うと、彼は少し迷った後ゆっくりと口を開いた。
「……審問中、エレノア部隊員はどうしてもと面会を要求しました。そうすれば全てわかるし、話す、と。我々はその望み通りに面会人を連れて来ました。すると、二、三言話した後、急に顔色を変え、魔法を唱えて逃げ出したのです」
「エレノアが面会を希望したのはシャウムブルク家のメイドさんですか?」
「いえ。マックでしたが、彼は今治療室にいますので難しく……。その後、それならばウィリアムに会いたいと言い出したので、ちょうど本部にいた彼をエレノアのいたもう一つの審問室に連れてきました」
「ウィルがいるんですか!?」
面会できるのかと喜んだあたしに、ボッツさんは眉根を寄せて下を見て首を振った。
「……彼も今治療室にいます。何分、エレノアの魔法は全方位に向かって威力を発揮する爆発タイプの火魔法で、一番至近距離でまともにくらったのは彼ですから」
そんな、と驚いて言葉を失うあたしに、追い討ちをかけるようにボッツさんは言う。
「正直、殺すのではないかという勢いの爆発でした。幸い隊服の魔法効果などもあり、即死ではありませんでしたが、今、彼がかなり危ない状態です。」
「エレノアが、ウィルに、そんな、こと……」
するはずがない、と言おうとするのに言葉が出ない。咽がつぶれてしまったかのように口をパクパクとするだけだ。
「正直女性に見せるのは憚られるほど酷い状態ですが、見に行きますか?カナさんは手錠をつけてますし、そのままでよければ許可も出るでしょう。よろしければお連れします」
そう聞くボッツさんに頷くと、彼はあたしの横に居た二人に指示を出し、一度部屋を離れた。




