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はじまりのはじまり

 はじめてのウィルからのお手紙が来てから間もなく。

 大変です。主任が仕事に来なくなりました。





 それは、みんなで手紙を読んでから二日後。本来出勤をしてるはずの主任が朝にいない。昼になっても夕方になっても来ない。

 …次の日になっても来ない。

 初日は、遅刻だろう、そのうち来るだろう、休みを勘違いしたんだろうか、と思いながら一人で仕事をこなしてやり過ごしたが、流石に二日目になるとそうもいかない。

 あんなに気だるそうにやってても、ここ最近は朝はギリギリで終わりはほぼ定時にすっ飛ぶように帰っていってても、それでも主任が仕事に来ないなんて日はなかった。彼は意外に真面目でこの仕事にそこそこの自慢を持っているようだったから、仕事が嫌になって鬱になって出社拒否するなんてことは考えられない。

 あたしは心配になり、その日の仕事が終わったら主任の部屋まで様子を見に行こうと思って、部屋番号すら知らないことに気づいた。そういえばもう3年以上2人で働いているが、あんまりプライベートな話をしたことがない。

 …いくら自分の身が可愛くて就職した先とはいえ、同僚に興味を持ってなさすぎることに自分でも情けなくてしばらく頭を抱えた。部屋番号どころか仲の良い人や正確な年齢も知らなかった。


(主任、ごめんなさい。ハゲてるのと可愛い子が好きとしか知らなかったです…)


 その場で色々と後悔と懺悔をしてしまったが、ここで一人でぶつぶつ言っていても仕方あるまいと、あたしはまず総務部を尋ねることにした。


「あの…就業時間後にすみません」


 毎日配荷で訪ねているけれど、何か用があって総務部を尋ねるなんて久しぶりだ。ましてや、こんな自分でもよくわかっていない案件で尋ねるなんて始めてで、すごい緊張しながら声をかける。


「どうしました?」


 総務部の中でお局と言われる年配の女性が答えてくれる。いつも色々と細やかに気配りをしてくれる人だ。とりあえず相談に乗ってくれそうな事にホッとしつつつ、あたしは口を開いた。


「あの…メール室のカナと申します」

「はい、存じ上げてます」

「すみません…こちらに相談していいのかわからないのですが、主任が昨日から仕事に来なくて」

「ノルドさんが?」

「そうなんです。心配なので、部屋まで様子を見に行きたくて」


 そう言うと彼女は頷いて、奥の棚から隊員名簿を持って来て部屋番号を紙に書き写す。


「部屋の中で倒れてたりされてたら心配ですから、住居棟の管理人さんに行ってついてきてもらった方がいいかもしれないですね。彼女ならスペアキーも管理されてますし」

「あ、そうですね。ご教示ありがとうございます」

「あともし何かあったら、司令部に届け出てください。こないだ悪魔が消えた話とかもあったばかりですから」


 彼女に罪はないのだろうけど、ウィルのことを悪魔呼ばわりされて少しムッとした。ウィルは消えたわけではないし、悪魔でもない。今回の主任の事とはまったく関係ないけれど、そう反論できないのが悔しい。


「そうですね。とりあえず、部屋を訪ねて見ます」


 彼女に頭を下げて御礼を言うと、あたしは早々に総務部を後にした。





 主任の部屋はあたしの部屋のワンフロア上にあり、マックよりも一等級上の部屋だった。

 途中管理人室によって事情を話すと、齢70は超えているであろう管理人のおばあちゃんはすぐに一緒に行く準備をしてくれる。すっかり背中が曲がり、目も殆ど開いてないようにみえる彼女も、こう見えて昔戦闘職種できれっきれの魔法使いだったのは有名な話である。


「すみません…こんな時間に」

「いえいえ、何を言いますか。皆さんの生活のお世話があたしの仕事ですから。それより、ノルドはどうしたのか心配だねぇ。仕事をサボるような子じゃないから」

「主任のこと、よくご存知なんですか?」


 呼び捨てにしていることもさることながら、人となりも知ってそうな管理人さんの一言に驚くと、彼女は少し笑って教えてくれた。


「あたしがまだ戦闘職種で前線にいた頃、一緒のチームだったのよ。あいつが足を無くしちゃうまではねぇ」

「え!?」

「あら、知らなかった?あの子は物凄く血気盛んでねぇ…昔、戦闘の時に無茶をしちゃって両足ともないのよ。今は魔力をこめた義足をはめて歩いているけど、あんま遠くまで行ったり、長時間の力仕事したりすると疲れちゃうみたいね」

「初耳です…」


 上司の部屋番号を知らないというのはままあることだと思うけど、まさか上司が義足なことまで気づかないとは…確かにあたしがいる時は配達などの動く仕事は必ずあたしがやっていたけれども。

 あたしが考えてる事をさもお見通しとでと言うように、管理人さんは肩を竦めた。


「あの子はあの子でプライドがあるからね。あまり人には知られないように生活してるみたい。今の部署もただの配達中継っていうよりは、本部の警備としての配属だし」

「そうなんですか…」


 いくら死亡フラグを折るためとはいえ、自分の身の安全のためだけにやってた自分が恥ずかしい。真面目に効率よくやろうとは思ってたけど、やっぱり簡単な仕事だという意識は何処かにあった。

 罪悪感にかられながら口静かになったあたしに、管理人さんは主任の部屋の前に着くまで一切話しかけて来なかった。もしかしたら、彼女は主任を見守っていて、前からその同僚という立場のあたしに対して思うところがあったのかもしれない。


「ノルド、ノルド」


 管理人さんがこんこんと部屋のドアを叩く。はじめは弱めに、徐々にそれは強くなっていったが、部屋の中から返事はない。


「では、開けますね」


 さっきのほんわかとした雰囲気とは打って変わって、彼女は眉根を寄せると鍵穴にスペアキーを差し込んだ。ゆっくり静かに解錠して、ドアノブを回すと、意外なほどドアは軽く開いた。


「ノルド、入りますよ」

「しゅにーん…」


 管理人さんがあたしを守るように手を広げて、先に入ってくれる。70歳を超えた人に守ってもらうとかどんだけひ弱なんだとは思うが、彼女は元戦闘職、一般人のあたしとは年の差を引いても天と地ほど違うのだ。


「…いないわね。」


 部屋の中は真っ暗で、人がいる気配はない。なんだったら、しばらくいなかったかのような空気の冷たさだ。

 同様に、管理人さんがあたしを守るような体制のまま、もう一つの部屋とお風呂、トイレ、クローゼットなどを見て回ったが、結局主任の姿はなかった。


「どっかいっちゃったんでしょうか…」

「そうね。でもこの間の事もあるし、取り合えずすぐに司令部に報告に行きましょう。あなた、時間は大丈夫?」

「はい」

「じゃあちょっとひとっ走りして、司令部の人を呼んできて頂戴。さすがにあたしの足だと少し時間がかかるだろうから」


 そう頼まれて、あたしは言葉もなく頷くと、跳ねるようにその場を走り出した。





「うーん、確かに遠くには行ってなさそうだ」

「そうね。義足のメンテナンスキットや金品も多く残されているし」

「ただその割には、昔彼が使っていただろう戦闘服や武器がないのが不可解だね」

「とうに捨てていたのかもしれないわ」

「いや、あれらは特殊な魔法がかかっているものだから捨てるときや脱退する時は必ず組織に返却する義務がある。ないってことは勝手に捨てたか、持ち出したか…」


 司令部に行くと、ちょうどアリサはインカムで外部と話をしているところだったので、とりあえずそこらへんにいた男性を捕まえて、主任が行方不明で、管理人さんと部屋に行ったら誰もいなかったこと、管理人さんに司令部の人を呼ぶように言いつけられたことを伝えた。

 主任の話のときは、ただのサボりではないかと言う目で見られたが、管理人さんに呼ぶように言われたと言ったらその人はすぐに司令部の偉そうな人に話を通してくれた。

 今はその司令部の偉そうな人と外部との通信が終わったアリサと、管理人さんとあたし、それに何人か研究職の人が主任の部屋に来ている。

 管理人さんと司令部の偉そうな人は旧知の仲なのか、会うと言葉も少なく、すぐに互いに主任の部屋を検分し始め、そして小一時間ほどした後、先ほどの会話を始めたのである。


「もし意図的に持ち出したり捨てたとしたら外部に売ったかそれとも…」

「着用せざるをえない状況にあったか、かしら」

「そう考えるのが一番自然だけどね。ただ、本部内で危険なことがあるとは思えないからなぁ」

「自ら危険な状況に飛び込んでいったかもしれない…ということね」


 二人は顔を見合わせ、唸るがどうやら結論は出ないようだ。


「なんにせよ、単純に人一人いなくなった話じゃなさそうだ。こないだの悪魔の子事件もあるし、不用意に不安を広げたくない。あまり公にはせず、引き続き調査は続けよう」


 司令部の偉い人はそういうと研究職の人たちに何か指示を出しに行く。


「あの…主任は無事なんでしょうか…」


 あたしが不安そうに尋ねると、管理人さんは困ったように笑っていった。


「五分五分ってところかしらね。だいぶマシになったんだとは思ってたんだけど、あの子、昔から血気盛んなところがあるから…危ないことに首をつっこんじゃったのかもしれないわ」


 その声音は優しく、顔には笑みを浮かべているが、その実心配で不安なのが目を見てわかる。


「とりあえず、今日はもう遅いし、あなたは一度帰ってお休みなさい。これからどうするか…どうなるかはおって司令部から連絡があると思うわ」


 そう管理人さんに言われて、隣にいるアリサを仰ぐと、彼女にも無言で頷かれた。あたしがここにいてもやることはなさそうだし、邪魔をするだけになるということだろう。


「はい。すみません、よろしくお願いいたします」


そういって管理人さんとアリサ、奥にいる人たちに頭を下げると、あたしは不安な気持ちを抱えたまま、一人部屋に戻ったのだった。

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