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養蜂家と蜜薬師の花嫁  作者: 江本マシメサ


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養蜂家の青年は、蜜蜂の越冬支度を手伝う

 アニャは朝からせっせと、何か作っているようだった。


「ねえアニャ、何を作っているの?」

「蜂蜜ミントのリップよ。このシーズンになると空気が乾燥して、唇が乾燥するでしょう? 注文が殺到するの」

「へえ、そうなんだ」


 材料は蜜蝋、オリーブオイル、蜂蜜、ミントの精油。

 蜜蝋にオリーブオイルを加えて湯煎でクリーム状にし、これに蜂蜜とミントの精油を加えたら完成らしい。


「これを塗ったら、唇が乾燥知らず。プルプルになるのよ」

「へえ、アニャも使っているの?」

「もちろん」

「だったら、どれくらい唇がプルプルか、確認とかできる?」

「は!?」


 アニャは「何を言っているんだ?」みたいな視線を向けている。

 頬を指先でトントンと叩き、ここにキスをして確認させてくれと訴えた。


「ああ、そういう意味ね」


 アニャは「はいはい」と言って、頬に軽く口づけてくれた。

 柔らかな触感があった。一瞬で終わってしまったけれど。


「これでいい?」

「はい。ありがとうございました」


 アニャの唇はとってもプルプルでした。

 いや、確認しなくても知っているのだけれど。

 朝からこんなに幸せでいいのか。

 アニャという存在は、神が遣わしてくれた天使なのだろう。

 神様、ありがとうございます。アニャは、今日も可愛いです。

 心から感謝した。


 ◇◇◇


 本格的に、冬支度が始まる。

 まずは、蜜蜂の巣を見て回ることが先決らしい。養蜂家は蜜蜂優先の暮らしをしているのだ。


 大角山羊のセンツァに跨がり、ゾッとするような崖をアニャの操るクリーロと共に駆け上がる。

 いまだに、崖の移動は慣れない。完全にセンツァに任せ、薄目で跨がっている。


 冬が深まれば、巣箱の様子を見に行けなくなる。そのため、越冬できるか確認するのは養蜂家の重要な仕事なのだ。


 まず、重要なのは蜜蜂の群れの要となる女王の存在。基本的に、二年ごとに新しい女王となる。

 一年目の女王蜂でも、産卵能力の低下や産卵異常がないか目を光らせていなければならないのだ。 


 巣箱の近くにやってくると、雄蜂が働き蜂に追い出されているところに遭遇してしまった。


「うう……これ、何度見ても辛い」

「仕方がないわよ。越冬には、働かない雄蜂は必要ないんだから」

「そうなんだけれど」


 どうしても、実家の家族と重ね合わせてしまうのだ。

 働かない雄蜂がいつまでたっても巣に残ったままだと、いずれ群れはダメになる。だから、容赦なく追い出すのだ。


 追い出された雄蜂は巣の中に戻ろうとしたが、働き蜂たちに総攻撃されていた。


「かわいそうに」


 雄蜂をそっと両手に包み込んで、巣から離れた花咲く場所へと運んだ。山は秋になっても、あちらこちらに花が咲いているのだ。

 きっと長くは生きられないだろう。それでも、強く生きるんだぞと応援してしまった。


 雄蜂の翅はツヤツヤで、健康そのものだ。病気に冒されていると、翅がしわしわになって飛行もままならなくなる。

 蜜蜂が病気になっていないか、確認して回るのも越冬準備において大事な仕事である。


 働き蜂たちは、脚に赤いものを着けて巣に戻っていた。あれは、樹液と蜜蜂の唾液を混ぜたプロポリスと呼ばれるもの。これを巣の隙間に詰めて、冬の厳しい風が入り込まないようにするらしい。蜜蜂の、越冬の知恵である。


 続いて、巣の中を覗いて貯蜜が十分か調べた。だいたい、冬を越すには巣枠二十枚分ほどの蜂蜜が必要となるようだ。

 春から夏にかけてたっぷり蜂蜜をいただいたが、巣箱の中には十分な量があった。


「すごいな、山の蜜蜂は。実家の蜜蜂なんか、越冬のために何度も給餌をしなければいけなかったんだ」

「ここは秋になっても花が豊富だから、大丈夫なの」

「みたいだね」


 冬の間は蜜蜂の餌作りも俺の仕事だった。作り方は実にシンプル。

 大鍋に砂糖と水を入れて、カラメル化させないように加熱するのだ。

 ぼんやりしながら作ると、すぐに焦げて香ばしい匂いが漂ってくる。そのときは、蜜蜂ではなく人間の餌になるわけだが。

 甥や姪から英雄扱いされるものの、砂糖は安いものではないので当然母や義姉に怒られる。

 わざと失敗してよ、なんて言ってくる子もいたが、冗談じゃない。悪魔よりも恐ろしい母や義姉の恐ろしさを知らないので、そんな発言ができるのだろう。


「イヴァン、次に行きましょう」

「了解」


 お弁当を持って出かけたが、すべての巣箱を見終わったころには日が沈みかけていた。

 一日中センツァに乗って移動して回るなんてことは、初めてだったかもしれない。

 膝がガクガクになって、生まれたての小牛のようになってしまう。

 アニャはさすがと言えばいいのか。山育ちなので、足腰はしっかりしていた。

 なんて逞しい妻なのか。改めて、惚れ直してしまった。


「イヴァン、どうしたの、そんなところにしゃがみ込んで」

「いや、さっきから膝が笑っていて」

「仕方がないわね」


 そう言って、アニャは手を差し伸べてくれた。ありがたく握り返し、家路に就いたのだった。


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